ヘッダイメージ
東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島
※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

掛川西(理数)


偏差値66( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)185点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 196位/7793校( 学科単位 )
中部地方 39位/1314校( 学科単位 )
静岡県 14位/227校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【静岡県立掛川西高等学校】
概要 1877年(明治10年)7月に岡田良一郎が倉真村(現在の掛川市倉真)に私塾「冀北(きほく)学舎」(後述)を設立したことを起源とされる。1901年(明治34年)6月1日に静岡県立掛川中学校として開校した。なお、創立記念日は、掛中開校日の1901年(明治34年)6月1日である。校風は質実剛健、文武両道を旨とし、創立から100年以上の歴史を有する伝統校であり、静岡県内では屈指の高校野球の名門校である。通称は「西高(にしこう)」、「掛西(かけにし)」。正式な校訓は存在せず、「鍛えよう若き日を」が長年、当校のスローガンとして採用されている。校地 37,423.79m2 校舎延面積 14,319.60m2 である。普通科、理数科ともに1時限50分授業である。普通科は月,水,木曜日は7時間目まで、火,金曜日は6時間目までだが、理数科は毎週火曜に7時間目の授業がある。英語は年に数回原則水曜日にweekly test(WT), 数学は月1回程度原則火曜日に確認テストが実施されている(2017年度)。国数英では週末課題が有る。理数科は普通科に比べ3単位多い。数学の授業進度は普通科と比べて速く(普通科は理系クラスでも3年生で教科書の内容を1通り終えるのに対し、理数科は2年生で終える)、物理・化学・生物の3科目が全て必修となっている(普通科は1年次に生物基礎・化学基礎、その後文系は地学基礎、理系は化学・物理(又は生物)を行う)。また、2年次に『理数科課題研究』を行っている。掛川市の中心市街地にあり、校地に隣接して東に掛川城、北に静岡県道415号日坂沢田線(旧国道1号)、南に逆川がある。この中でも特に掛川城の麓に存在することは校歌1番に「岩根こごしき天守台 その麓にぞわが校は…」と歌われており、この学校の大きな特徴のひとつであるが、中心市街地に3.7haの土地を占めていることから、移転論が出る事もある。
交通 ・ JR東海東海道本線掛川駅徒歩10分脚注
沿革 ・ 1877年(明治10年) - 7月岡田良一郎が倉真村(現在の掛川市倉真)に私塾「冀北学舎」を設立。
・ 1880年(明治13年) - 静岡県立掛川中学校として設立。岡田良一郎が校長を兼任。
・ 1882年(明治15年) - 佐野郡城東郡立掛川中学校となる。
・ 1886年(明治19年) - 中学校再編により浜松中学校と統合。掛川中学校廃止。
・ 1900年(明治33年) - 5月25日文部大臣より静岡県立掛川中学校設立の件が認可され、敷地を小笠郡掛川町城内「おはなばたけ」の地に定められる。6月校舎新築工事開始。
・ 1901年(明治34年) - 3月1日茨城県高等女学校教諭柳生寧成が同校初代校長に任ぜられ、仮事務所を小笠郡役所内に置く。3月28日選抜試験の上、第2学年に30名(外に転学生14名)、第1学年は99名(外に転学生1名)合計144名入学を許可する。4月6日新築校舎一部落成につき仮事務所を同校内に移す。4月15日入学式挙行、引き続き授業を開始する。6月1日静岡県立掛川中学校として設立。爾来開校式の行われた1901年6月1日を創立記念日とする。10月初めて修学旅行(久納、清水方面)を行う。以後毎年1回実施。寄宿舎新築工事に着手。天皇皇后両陛下御真影並びに教育勅語を奉載する。
・ 1902年(明治35年) - 3月26日第1回修了証書授与式を挙行。4月13日寄宿舎落成につき、生徒の入舎を許可。
・ 1903年(明治36年) - 1月29日本県告示22号を以て生徒定員400名と定められる。
・ 1904年(明治37年) - 2月1日第2寄宿舎増築成り、開舎。9月普通教室1室、並びに図画室の増築成る。11月3日天長節拝賀式後、奉祝陸上運動会を挙行、爾後恒例とする。
・ 1905年(明治38年) - 1月11日旅順陥落祝賀旗行列を行う。3月25日第1回卒業証書授与式を挙行し、卒業生29名を出す。4月12日山口県立豊浦中学校小松倍一同校校長に任ぜられる。6月4日初めて静岡中学校と野球試合を行う。
・ 1906年(明治39年) - 1月13日郷土出身の岡田良平文部大臣来校、生徒に講話する。1月25日掛川に大雪あり、生徒一同陣馬峠にて雪合戦を行う。7月15日校友会誌創刊号を出す。
・ 1907年(明治40年) - 9月宿直室、銃器室新築成る。
・ 1910年(明治43年) - 3月6日理科室新築成る。
・ 1911年(明治44年) - 4月7日三重県立第一中学校教諭堀重里、同校校長に任ぜられる。4月8日郷土出身、一木喜徳郎(後の宮内大臣、法学博士)の講演あり。6月1日創立満10年記念式典を挙行。
・ 1912年(明治45年、大正元年) - 5月22日県立浜松中学校教諭新田徳同校校長に任ぜられる。
・ 1913年(大正 2年) - 10月23日初めて生徒の学芸会、展覧会を開催し、爾後毎年行うこととなる。
・ 1915年(大正 4年) - 7月本県告示第207号を以て生徒定員を450名と定められる。8月校長室の新築成る。10月28日天皇陛下の御真影を奉載する。11月3日校旗制定(図案は丹羽教諭考案)。
・ 1916年(大正 5年) - 12月14日シベリア単騎横断者、陸軍大将福島安正の講演あり。
・ 1917年(大正 6年) - 1月28日皇后陛下御真影奉載。12月22日皇太子殿下御真影奉載。
・ 1919年(大正 8年) - 理科実験室を拡張。
・ 1920年(大正 9年) - 11月2日創立20周年記念式を挙行。
・ 1923年(大正12年) - 3月運動場拡張工事(971坪)竣工する。寄宿舎一棟を掛川町へ払下げる。4月学級数を増加して15学級編成とし、生徒定員750名と定められる。9月普通教室2室を増築。
・ 1924年(大正13年) - 御真影奉安殿を建立。4月講堂増築成る。10月12日保護者会設立。
・ 1925年(大正14年) - 普通教室2室を増築。寄宿舎食堂を改築し、剣道場とする。徴章制定。
・ 1926年(大正15年、昭和元年) - プールを新設(長さ50m、幅12.5m)。
・ 1927年(昭和 2年) - 3月寄宿舎廃止。図画室並びに普通教室1室を増築。
・ 1928年(昭和 3年) - 御大典事業として図書室を建設。10月9日天皇、皇后両陛下の御真影を奉載する。
・ 1930年(昭和 5年) - 5月31日天皇陛下本県下御巡幸に際し、浜松市に於いて上級生徒御親閲を受ける。6月21日創立30周年記念式を挙行。翌22日記念陸上大運動会及び提灯行列を行う。
・ 1932年(昭和 7年) - 2月運動場を拡張。(1300坪)3月東久邇宮殿下の台臨を仰ぐ。
・ 1933年(昭和 8年) - 12月校舎改築の議起こる。
・ 1934年(昭和 9年) - 4月1日第4学年以上、第1種、第2種の制度実施。8月16日木工室、金工室、工作準備室の一棟新築落成。12月校舎新築の議起こる。白ゲートルを廃し、巻キャハンに改められる。
・ 1936年(昭和11年) - 卒業生鵜藤俊平(立教大学)がベルリンオリンピック大会に派遣され、水泳400m決勝にて2着となり、銀メダルを獲得。
・ 1938年(昭和13年) - 5月10日校舎改築起工式を挙行。7月運動場西側の蓮地及び水田374坪を校友会にて購入し、校地として県へ寄付する。8月同校野球部が初めて甲子園に出場(第24回全国中等学校優勝野球大会)。
・ 1939年(昭和14年) - 2月12日新校舎落成式を挙行。5月22日配属将校制度発足15周年につき、記念行事の1つとして御親閲を受ける。
・ 1940年(昭和15年) - 4月26日皇紀2600年記念として学校林を設け、植樹を行う(原泉)。
・ 1941年(昭和16年) - 4月学帽廃し、戦闘帽採用される。
・ 1942年(昭和17年) - 4月学級数を増加して20学級編成とし、生徒定員1000名と定められる。6月20日グライダー命名式(掛中号)挙行。
・ 1944年(昭和19年) - 戦争熾烈のため同校北校舎は徴用されて中島飛行機製作所の軍需工場となる。
・ 1947年(昭和22年) - 4月掛川町外、組合掛川西中学校(新制)六・三制により設立され、同校校舎の一部を貸与。
・ 1948年(昭和23年) - 学制改革により静岡県立掛川第一高等学校となる。生徒定員750名に定められる。
・ 1949年(昭和24年) - 3月22日新制高等学校第1回卒業生96名に対し卒業証書授与式が行われる。同時に旧制掛川中学校最後の卒業式(卒業生24名)も行われる。3月組合立新制掛川西中学校新校舎落成につき、同校生徒は同校より引き上げる。4月1日静岡県立掛川西高等学校と改称。普通科のみ置き、男女共学となる。学区制実施(同校学区は小笠郡城東村以北)。
・ 1950年(昭和25年) - 5月1週5日制を実施。10月6日創立50周年記念式を挙行。
・ 1951年(昭和26年) - 3月運動場西側の水田その他500坪を埋め立て、運動場とする。11月10日図書館(86坪)竣工式を挙行。
・ 1952年(昭和27年) - 4月1日学区制改正により小笠郡全域を郡下高等学校普通科共通の学区とする。1週5日制を改め6日制に復原する。9月8日放送室を新設。
・ 1953年(昭和28年) - 卒業生戸塚九一郎の大臣就任、河井弥八の参議院議長就任祝賀式を開催。
・ 1954年(昭和29年) - 4月校地東側が県道改修のため434坪に減らされる。6月22日校長住宅用地として城西の他に137坪買収する。7月5日運動場北側の水田1746坪を運動場拡張のために買収。10月20日校長住宅新築成る。
・ 1955年(昭和30年) - 4月1日町村合併により学区は1市、15ヵ町村となる。新校旗(中の字の代わりに高の字を入れたもの)が同年度卒業生から贈られる。
・ 1956年(昭和31年) - 9月15日運動場拡張工事並びに野球場スタンド竣工式を挙行。
・ 1957年(昭和32年) - 3月29日体育館地鎮祭を挙行。7月25日野球部県大会に於いて優勝する。(掛川中学校以来19年ぶり2回目の甲子園、掛川西高校改称後は初。)8月12日体育館定礎式を挙行。10月27日本校は第12回国民体育大会のレスリング並びに軟式野球の会場となり、天皇・皇后両陛下行幸啓あらせられる。10月29日国民体育大会台臨のため三笠宮妃殿下本校に御出でになり、記念樹(イチョウ)を植樹遊ばされる。11月21日体育館新築落成式を挙行。
・ 1959年(昭和34年) - 3月卒業生法学博士伊達秋雄、砂川事件を裁判する。7月31日物理室南側の中庭に温室を新築。9月10日用務員室新築。11月7日柔剣道場南側の中庭に卓球場新築。
・ 1960年(昭和35年) - 6月1日プール改修工事完成し、卒業生、元オリンピック水泳選手、鵜藤俊平を招きプール開きを行う。8月23日講堂前、円型庭園植込完成する。10月7日創立60周年記念式典を挙行、以後8、9日と文化祭、同窓会を開催。
・ 1961年(昭和36年) - 3月第33回選抜高等学校野球大会甲子園出場。(春夏通じて通算2回目、選抜は初。)結果は初戦敗退。(投稿1-2米子東)10月国民体育大会、バドミントン2位に入賞。10月北校舎改築竣工式。
・ 1962年(昭和37年) - 10月13日新校舎落成。
・ 1963年(昭和38年) - 4月新入生430名を迎え、生徒急増期に入り生徒数1,000名を超える。6月1日開校記念日、窪川鶴次郎講演。女子バドミントン界の第1人者高木紀子(14回卒)模範試合。表彰。9月旺文社、高梨英男講演。9月13日小原国芳玉川大学学長講演。11月20日、東京大学教授・糸川英夫講演。12月17日、慶應義塾大学教授、林講演。
・ 1964年(昭和39年) - 1月8日東邦大学学長・額田晋講演。4月ランゲージ・ラボラトリー(語学演習室)落成。7月29日高校野球県大会優勝(春夏通じて通算3回目、夏は2回目)。8月9日第46回全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)開会式。大会冒頭、中九州代表、八代東と対戦、延長18回0-0の引き分け再試合となる。8月10日八代東と再試合、当校が6-3で勝利(掛川西対八代東延長18回引き分け再試合を参照。)。8月15日第2回戦、平安高に5-3で敗退。9月20日東海4県バドミントン大会が当校体育館(現第2体育館)で開催、当校優勝。10月3日〜10月24日岡田嘉須雄校長、海外教育事情視察でヨーロッパに派遣。10月東京オリンピック聖火リレーに参加。
・ 1965年(昭和40年) - 11月20日、岡田校長、学校教育功労者として文部省から表彰される。
・ 1966年(昭和41年) - 1月霧ヶ峰でスキー教室開催、以降毎年行われる。6月1日開校記念日、榛葉英治、高木紀子講演。8月高原教室準備のため、実地調査をする。
・ 1967年(昭和42年) - 6月3日〜6月5日、学校祭が春になり、爾来続く。8月4日〜8月8日高原教室(志賀高原)が以後続く。8月5日〜8月11日1年生2班に分かれ、臨界教室。
・ 1968年(昭和43年) - 講堂取り壊し、新体育館竣工式。
・ 1969年(昭和44年) - 1月22日新体育館落成。8月31日反戦派学生、諸団体による大規模な集会。「反安保」、「佐藤訪米中止」、「掛西斗争勝利」などをスローガンに掲げ、デモが掛川市内で行われ、校内外緊張する。(掛西紛争)
・ 1970年(昭和45年) - 3月3日北校舎増築分落成。4月1日定員1,035名となる。5月1日宿日直廃止。5月29日〜5月31日学校祭。創立70周年記念式典開かれる。7月25日校舎(管理棟)改築地鎮祭(第1期工事)。
・ 1971年(昭和46年) - 3月20日本館第1期工事完工。
・ 1972年(昭和47年) - 3月8日本館第2期工事完工。4月24日〜4月28日1年HR合宿(竜山村研修センター、浜北市県立青年の家)。7月卒業生の足立篤郎が農林大臣となる。7月30日〜8月3日高原教室(白馬山麓)。11月18日講演会(京都大学教授・高坂正堯)。12月25日〜12月28日スキー教室(車山)。
・ 1973年(昭和48年) - 2月16日本館第3期工事完工。3月25日築庭改造、前庭舗装、校舎北側自転車置き場、水泳更衣室完成。4月5日必修クラブ設置。校友部と2本立て。5月25日文化部室完成。7月20日焼却炉完成。9月1日1年生水泳大会。10月9日体育大会。11月10日校舎落成、創立73周年記念式典を挙行。11月16日東京大学教授力武常次講演。12月8日マラソン大会。
・ 1974年(昭和49年) - 8月9日〜8月18日第1回合宿学習実施、以後毎年行われる。
・ 1975年(昭和50年) - 3月28日第47回選抜高等学校野球大会(甲子園)に出場(春夏通じて通算4回目、選抜は2回目)。3月30日第1回戦、当校対能登川高 4-3で勝利。4月2日第3回戦、当校対天理高 9-5で勝利。4月4日第4回戦、当校対堀越高 1-5で敗北。(ベスト8)4月1日生徒定員1,035名(1年生は8クラス)となる。7月15日野球ピッチング場、部室増築完成。10月15日奥野健男講演。
・ 1976年(昭和51年) - 2月16日グラウンド照明施設ネット増設。4月1日生徒定員1,080名となる(全学年8クラス)。9月10日高原教室10周年を記念して交通公社静岡支店及び天狗湯旅館に感謝状贈呈。
・ 1977年(昭和52年) - 7月31日第59回全国高等学校野球選手権大会静岡大会で優勝(春夏通じて通算5回目、夏は3回目)。8月8日甲子園大会 当校対取手二高 1-4で敗北。9月16日生活館柔剣道場地鎮祭。12月4日教職員サッカー県大会出場。
・ 1978年(昭和53年) - 1月7日生活館を“冀北会館”と称す。2月15日校舎増築、落成。2月28日生活館、柔剣道場完成。3月5日グラウンド排水用井戸完成。4月17日~4月18日1年生1泊2日HR合宿(冀北会館)。以後、毎年実施。4月22日柔剣道場冀北会館校舎増築落成記念式典を挙行。静岡県副知事諏訪、静岡県教育長佐久間、他臨席。6月3日~6月4日葛城祭を行う。以後春に行う。6月25日バドミントン東海大会優勝。10月31日奈良大学教授田辺昭三(高4回卒)講演。
・ 1979年(昭和54年) - 国大協共通1次テスト初めて行われ、212名が受験。8月31日渡り廊下防水工事完成。9月29日節水工事完成。11月10日地震対策として東側ブロック塀完成。12月6日校長公社改築地鎮祭。12月26日校長公社上棟式。
・ 1980年(昭和55年) - 3月29日校長公社落成式。5月30日創立80周年記念式典を挙行。
・ 1981年(昭和56年) - 9月29日北校舎耐震工事完成。
・ 1982年(昭和57年) - 2月29日運動場整備工事完了。4月1日生徒定員1,035名となる(1学級45名、23学級)。
・ 1984年(昭和59年) - 2月27日プール改修工事完了(3度目)。
・ 1985年(昭和60年) - 4月1日生徒定員1,080名となる(1学級45名、24学級)。12月19日理数科の設置が決まる。
・ 1986年(昭和61年) - 理数科設置。4月1日生徒定員1,075名となる(普通科1,035名23学級、理数科40名1学級)。10月23日本館耐震工事完了。
・ 1987年(昭和62年) - 4月1日生徒定員1,115名となる(普通科1,035名、理数科80名)。
・ 1988年(昭和63年) - 3月25日北校舎東側校舎増築3教室落成(鉄筋コンクリート建延113.3m2)。4月1日生徒定員1,155名となる(普通科1,035名、理数科120名)。
・ 1989年(平成元年) - 4月1日生徒定員1,200名となる(普通科1,080名、理数科120名)。
・ 1990年(平成 2年) - 6月1日創立90周年記念式典を挙行。
・ 1991年(平成 3年) - 4月1日生徒定員1,245名となる(普通科1,125名、理数科120名)。
・ 1992年(平成 4年) - 4月1日生徒定員1,290名となる(普通科1,170名、理数科120名)。
・ 1993年(平成 5年) - 4月1日生徒定員1,317名となる(普通科1,197名、理数科120名)。8月3日第75回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)出場(春夏通じて通算6回目、夏は4回目。)。
・ 1994年(平成 6年) - 3月29日第66回選抜高等学校野球大会(甲子園)出場(春夏通じて通算7回目、選抜は3回目)。4月1日生徒定員1,290名となる(普通科1,170名、理数科120名)。
・ 1995年(平成 7年) - 4月1日生徒定員1,254名となる(普通科1,134名 27学級、理数科120名 3学級)。6月30日野球部雨天練習場落成(鉄骨建て368.45m2)。
・ 1996年(平成 8年) - 3月25日、弓道場改築落成(軽量鉄骨建延117.2m2)。4月1日生徒定員1187名となる(普通科1,067名、理数科120名)。
・ 1997年(平成 9年) - 4月1日生徒定員1,169名となる(普通科1,049名、理数科120名)。
・ 1998年(平成10年) - 4月1日生徒定員1,160名となる(普通科1,040名、理数科120名)。8月10日第80回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)出場(春夏通じて通算8回目、夏は5回目。)。10月12日生徒昇降所棟、西校舎、用務員棟耐震工事が完成。
・ 1999年(平成11年) - 4月1日生徒定員1,200名となる(普通科1,080名、理数科120名)。
・ 2000年(平成12年) - 3月31日「百周年記念館」落成。10月21日創立100周年記念式典を挙行。
・ 2002年(平成14年) - 4月1日生徒定員1,160名となる(普通科1,040名、理数科120名)。
・ 2003年(平成15年) - 4月1日生徒定員1,120名となる(普通科1,000名、理数科120名)。
・ 2004年(平成16年) - 4月1日生徒定員1,080名となる(普通科960名、理数科120名)。
・ 2005年(平成17年) - 4月1日生徒定員1,040名となる(普通科920名、理数科120名)。
・ 2006年(平成18年) - 4月1日生徒定員1,000名となる(普通科880名、理数科120名)。
・ 2007年(平成19年) - 4月1日生徒定員960名となる(普通科840名、理数科120名)。
・ 2009年(平成21年) - 3月27日第81回選抜高等学校野球大会(甲子園)出場(春夏通じて通算9回目、選抜は4回目。)。
・ 2015年(平成27年) - 静岡県高校野球秋季大会において7年ぶりに優勝。
・ 2017年(平成29年) - 修学旅行先が沖縄から台湾になる。11月20日北校舎の改修工事が終了。
卒業生 冀北学舎及び旧制静岡県立掛川中学校の卒業生についてもここで記述する。
○ 政治
・ 足立篤郎(衆議院議員、農林大臣、科学技術庁長官)
・ 石川嘉延(前静岡県知事、第二東名自動車道建設促進期成同盟会会長、元自治省官僚)
・ 一木喜徳郎(岡田良一郎の次男、文部大臣、内務大臣、宮内大臣、枢密院議長)
・ 太田順一(菊川市長)
・ 河井彌八(侍従次長、参議院議長)
・ 黒田淳之助(旧小笠町長)
・ 榛葉賀津也(参議院議員、国民民主党)
・ 榛葉虎之助(旧掛川市長)
・ 榛村純一(旧掛川市長)
・ 鈴木理一郎(旧掛川市長(初代))
・ 戸塚九一郎(建設大臣、労働大臣、北海道開発庁長官)
・ 松井三郎(掛川市市長)
・ 柳澤伯夫(衆議院議員、自由民主党、元厚生労働大臣)
○ 経済
・ 赤岩覚(日本リーバ社長)
・ 岡本甲子男(日本油脂相談役)
・ 榛葉淳(ソフトバンク株式会社代表取締役副社長 兼 COO)
・ 常盤敏時(イオン株式会社 取締役会議長、ジャスコ会長、第一勧業銀行ニューヨーク支店長)
・ 渡辺武(秀英予備校社長)
○ 司法
・ 伊達秋雄(裁判官、元東京地裁判事 / 砂川事件で米軍駐留違憲判決(伊達判決))
○ 軍事
・ 松浦永次郎(海軍中将、戦艦金剛艦長)
○ 文化
・ 朝比奈豊(毎日新聞社代表取締役会長)
・ 大角幸枝(人間国宝(重要無形文化財保持者)、金工家(鍛金技法)、日本工芸会正会員)
・ 小澤祥司(環境ジャーナリスト)
・ かまちよしろう(漫画家。『こにくらじいさん』などで知られる)
・ 木曽美雪(元静岡放送アナウンサー)
・ 窪川鶴次郎(文芸評論家、石川啄木研究者)
・ 久保田真弓(元静岡朝日テレビアナウンサー)
・ 清水真砂子(翻訳家、児童文学評論家。ゲド戦記の翻訳で知られる)
・ 榛葉英治(小説家、1958年『赤い雪』で直木賞を受賞)
・ 榛葉昌寛(男声テノール歌手)
・ 鈴木康一郎(元福島テレビアナウンサー、現中京テレビアナウンサー)
・ 高木まみ子(女優)
・ 高須沙知子(元NHK静岡キャスター)
・ 高須基仁(写真集編集者)
・ 所十三(漫画家。『疾風伝説 特攻の拓』(作画)、『名門多古西応援団』など)
・ 松下誠(ミュージシャン、ギタリスト、アレンジャー)
・ 三戸岡道夫(作家、大日本報徳社副社長、旧協和銀行元副頭取)
・ 望月正子(児童文学作家)
・ 山川紘矢(翻訳家、作家)
○ 学術
・ 大石初太郎(日本語学者、国立国語研究所名誉所員、専修大学教授、文教大学教授、著書『敬語』はロングセラー)
・ 小長井誠(東京工業大学名誉教授、工学博士)現東京都市大学総合研究所特任教授.
・ 栗田子郎(千葉大学名誉教授、理学博士)
・ 栗田稔(名古屋大学教授)
・ 児玉九十(教育者、明星大学創立者・同初代学長)
・ 田辺昭三(考古学者)
・ 角皆静男(北海道大学名誉教授、理学博士)
・ 橋本梧郎(生物学者)
・ 松本亀次郎(北京大学教授)
・ 宮本英雄(京都帝国大学法学部長)
・ 村松岐夫(学習院大学法学部教授、京都大学名誉教授、法学博士)
・ 山崎覚次郎(東京帝国大学法学部教授、経済学部教授後に経済学部長、退官後中央大学教授、日銀顧問、金融学会初代理事会長)
・ 鷲山恭彦(東京学芸大学学長)
○ スポーツ
・ 赤堀大智(プロ野球選手、元横浜DeNAベイスターズ)
・ 天野竹一(プロ野球選手)
・ 天野博江(女子バドミントン選手)
・ 荒川宗一(プロ野球選手)
・ 鵜藤俊平(ベルリンオリンピック銀・銅メダリスト、競泳男子400m自由形)
・ 大石直弘(プロ野球選手)
・ 岡村正広(リオデジャネイロパラリンピック銅メダリスト、男子マラソン)
・ 岡本教平(プロ野球選手)
・ 鈴木寛樹(プロ野球選手(投手)、元横浜ベイスターズ)
・ 中山紀子(旧姓:高木紀子(たかぎのりこ)、バドミントン1972年全英オープンシングルスチャンピオン、ミュンヘンオリンピック(公開競技)金メダリスト)
・ 西加南子(旧姓:伊藤加奈子(いとうかなこ)、アジア大会出場、2009年全日本自転車競技選手権大会エリート女子優勝(日本チャンピオン)、自転車ロードレース)
・ 野口佳子((パラサイクリスト)世界選手権・ITT 2017優勝、世界選手権・個人ロード2018優勝、自転車ロードレース)
・ 村松幸雄(プロ野球選手(投手)、名古屋軍(現中日ドラゴンズ))
・ 山崎諭(東京六大学野球・東大投手 / 東大唯一の2位の時のエース)
・ 山本篤(北京パラリンピック銀メダリスト、陸上男子走り幅跳び)

「静岡県立掛川西高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年7月3日22時(日本時間)現在での最新版を取得。


【学校掲示板】 1件目の書込みをお願いします。