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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

清水谷(普通)


偏差値59( 4つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)158.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 937位/7793校( 学科単位 )
近畿地方 234位/1347校( 学科単位 )
大阪府 79位/422校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【大阪府立清水谷高等学校】
概要 同校は、最初の府立高女「大阪府第一高等女学校」として1900年(明治33年)9月5日、文部省の告示第194号で設置を認可された。その後、同年5月に開校の「大阪市立第二高等女学校」を合併し、翌1901年3月12日「大阪府清水谷高等女学校」と改称(文部省告示第50号)。4月17日に入学式を行った。この時、市立第二高女の生徒も入試を経て清水谷高女の生徒となっている。創立時、義務教育ではない高等女学校(修業4年間、後に5年間)への進学率は2%で、昭和期になっても1935年で16.5%という時代のため、限られた船場の資産家の令嬢が通う名門として、文部省も官報で紹介するなど「日本第一の学校として称えられ」、第一回卒業生から早くも5人が日本女子大学に進学した。教師たちは「日本の清水谷」「世界の清水谷」と発破をかけ、早稲田大学創設者で内閣総理大臣を務めた大隈重信伯爵や若槻禮次郞男爵、近代日本経済の父渋沢栄一男爵、東京帝国大学総長を務めた物理学者山川健次郎男爵、国際連盟事務次長を務め著書『武士道』で知られる新渡戸稲造らが来校し、将校や芸術家、外国人も含め少なくとも各界110人が講演。知的刺激を与え続けた結果、東北帝国大学(現・東北大学)に進み女性数学者の先駆けとなった森本治枝など、多くの才媛を輩出した。大阪市長の池上四郎も娘の紀子(秋篠宮家悠仁親王殿下の曾祖母)を通わせ、後継市長で「大阪の父」と呼ばれた關一も娘3人を通わせている。また、バスケットボールやテニスの全国大会で優勝したり、梶山悦子(鎌倉悦子)が1932年ロス五輪の競泳飛込競技で女子高飛込6位、女子飛板飛込7位と入賞。1903年の第5回内国勧業博覧会では皇族の前でテニスや卓球の模範演技を行したりしており、スポーツ活動も盛んな文武両道だった。太平洋戦争(第二次世界大戦)後の1948年(昭和23年)学制改革により新制高校の「大阪府立清水谷高等学校」となり、近隣の大阪府立高津高等学校(旧制府立高津中学校)と生徒・教職員を交流(男女共学化)。平成を経て令和の現在に至る。
交通 ・ Osaka Metro(長堀鶴見緑地線)玉造駅より西へ約600m
・ Osaka Metro(谷町線・長堀鶴見緑地線)谷町六丁目駅より東へ約700m
・ JR西日本(大阪環状線)玉造駅より西へ約900m
年表 ・ 1900年(明治33年) - 4月24日、「大阪市立第二高等女学校」(大阪市南区千年町)を認可(文部省告示第132号)。5月27日、開校式を挙行。6月11日、授業を開始。同年7月5日、大阪府参事会が府立の第一高女の校地をの東区清水谷東之町(現在地)と決定。9月5日、文部省が「大阪府第一高等女学校」設立を認可(文部省告示第194号)。10月、府第一高女の校舎が起工。11月17日、大阪府会の市部会が、市立第一高女の府移管の時期変更の件を建議
・ 1901年(明治34年) - 2月21日、文部省が大阪府第一高女校長兼市立第二高女校長大村忠二郎を発令。3月4日、市立第一と第二高女を明治34年度より府に移管の件を大阪市会が可決。2月7日、府第一高女の仮事務所を市立第二高女内に設置(府告示第60号)。3月12日、文部省が大阪府第一高等女学校を「大阪府清水谷高等女学校」に改称(文部省告示第50号)。同年4月8日、入学試験。4月15日、開校・授業を開始。4月17日、入学式を挙行。6月3日、「大阪府立清水谷高等女学校」に改称
・ 1905年 - 4月19日、文部大臣久保田譲が来校
・ 1911年 - 3月、同窓会館「済美館」新築(木造)
・ 1925年(大正14年) - 済美館を改築(鉄筋コンクリート構造3階建て)
・ 1929年(昭和4年) - 郊外農園を開設
・ 1941年 - 2月15日、音楽会に李王妃殿下が台臨
・ 1944年 - 3年生以上の生徒が陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所(北河内郡枚方町)へ通年動員
・ 1945年 - 6月1日、第二次大阪大空襲で校舎等被災し、校内にいた職員1名と生徒4名が死亡。6月15日、第四次大阪大空襲で校舎に焼夷弾が落ち出火(人的被害なし)
・ 1948年 - 4月1日、学制改革により「大阪府立清水谷高等学校」となる。4月28日、大阪府立高津高等学校(旧制の大阪府立高津中学校)と生徒・教職員を交流(くじ引きで入れ替え)して、男女共学を開始。4月30日、校舎の半分を(新制)大阪市立天王寺第二中学校に貸し出し、同中学が同居(1951年8月まで)
・ 1949年 - 郊外農園を廃止
・ 1951年 - 6月12日、周年行事の年だが「五十周年記念式典」を開催せず(中学校が同居の影響)
・ 1962年 - 高校生急増の対策として校舎増築。音楽学科を設置の構想(実現せず)
・ 1969年 - 学園紛争の影響で、一部の生徒がバリケード封鎖
・ 1987年 - 校舎改築の調査費が計上され、改築が具体化
・ 1990年(平成2年) - 校舎工事が開始(解体と新築)
・ 1995年 - 4月1日、2学期制を導入。4月15日、新校舎の竣工式典
・ 2001年 - 6月16日、開校100周年清友会記念祝賀会。10月20日、創立100周年記念式典・記念講演
・ 2002年 - 大学との連携や、海外語学研修を開始
・ 2003年 - 文部科学省の「学力向上フロンティアハイスクール」に指定(2005年度まで)
・ 2007年 - 週2日7限授業を開始。国立教育政策研究所の「教育課程研究指定校」に(教科横断的な課題に関する研究に取り組む事業、2008年度まで)
・ 2011年 - 4月1日、3学期制を導入。11月6日、110周年記念式典を挙行
・ 2021年(令和3年) - 120周年記念式典を予定(各周年の学校沿革誌を基に)

「大阪府立清水谷高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年7月10日3時(日本時間)現在での最新版を取得。


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