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PL学園(国公立)


偏差値55( 3つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)143.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 1559位/7791校( 学科単位 )
近畿地方 367位/1347校( 学科単位 )
大阪府 121位/422校( 学科単位 )
公立/私立私立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【PL学園中学校・高等学校】
PL学園中学校・高等学校(ピーエルがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府富田林市にある男女共学の私立中高一貫校である。宗教団体・パーフェクト リバティー教団(PL教団)本部敷地内に立地しており、学校法人PL学園が運営する。
概要 中学校では英語科と数学科で習熟度別の授業を導入している。また高等学校では国公立コース・理文選修コースの2コースを設置し、希望進路に応じた学習を図っている。 中学校・高等学校ともに大半の生徒が寮生活を送っている。かつては全寮制であったが、現在は自宅通学も可能になっている。また、以前は高等学校に定時制課程・通信制課程も併設されていた。定時制課程は2000年度(平成12年度)に、通信制課程は2009年度(平成21年度)に休止となっている。 スポーツ関係の部活動の名門校としても知られており、卒業生の清原和博はグラウンドの大きさは高校随一だと述べている。特に後述する硬式野球部は数々の成績を修め大勢のプロ野球選手を生み出してきた。しかし、インターネットが発達すると、部内の暴行やそれによる自殺など異常な実態が明らかとなり、新人部員が激減。硬式野球部は2015年春に部員募集を停止し、2016年7月から休部となっている。一方で軟式野球部は現在も引き続き活動を続けており、全国高等学校軟式野球選手権大会の大阪府代表として出場することもある。 信者数の減少や受験者の受験意識の変化、名門硬式野球部の部員募集停止などにより入学希望者が減少し、2015年2月の高等学校受験では、外部受験枠75名に対して受験者は28名、生徒数も年々減少し、学校自体の存続も危ぶまれている。2022年度現在、高校は3学年合わせて75人、中学校も同じく43人しか生徒がいない状況である。 入学に際しては、生徒本人と保護者に対してパーフェクト リバティー教団への入会と信仰が必須条件になる。ただ、以前は入学と同時に名目的に入信し、教団のアミュレットを購入する程度でも問題がなかったものが、2016年度より大きく方針を転換し、一般的な仏教における仏壇に相当する「お神霊(みたま)」を自宅に持つ家庭の生徒以外の受験を認めない方針となった(なお、学校側では「入試制度に変更があったわけではありません」としている)。古くからPL学園を取材するジャーナリストからは、入学希望者の急減の理由の一つにこの方針転換があると指摘されており、OBからは「教団は学園を布教師の育成学校にしようとしている」との声もある。
沿革 ・ 1955年(昭和30年) - PL学園高等学校が創立。全日制課程を設置。
・ 1957年(昭和32年) - 定時制課程を設置。
・ 1959年(昭和34年) - PL学園中学校が創立。
・ 1962年(昭和37年) - 校歌制定。
・ 1973年(昭和48年) - 通信制課程を設置。
・ 2000年(平成12年) - 定時制課程を廃止。
・ 2009年(平成21年) - 通信制課程を休止。
部活動 母体であるパーフェクト リバティー教団(PL教団)は「人生は芸術である」という教義を掲げている。そのため自己表現を重視することが奨励され、野球を始めとしたスポーツにも力が入れられている。 後述のとおり硬式野球部が全国的に有名であったほか、軟式野球部、バトン部、剣道部などが全国大会レベルで活躍していた。 特にゴルフ部は、男子が1980年の第1回全国高等学校ゴルフ選手権大会と、翌1981年の第2回全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝を果たした。同部からは高村博美(賞金女王1回)、中嶋千尋(ツアー通算4勝)、谷口徹(賞金王2回)ほか数多くのプロゴルファーを輩出した。しかし、2001年に廃部された。
硬式野球部 ■ 沿革
硬式野球部は(昭和31年)に創部され。
◎ 休部へ
同部は1990年代末から2000年以降にかけて数々の暴力事件が報告されて問題になった。特に2013年には部内暴力によって対外試合禁止処分を受け、監督が退任した。詳細は後述する。 2016年(平成28年)に最後の部員たちが夏の大会を終えたことで休部され。 同野球部の出身者で、甲子園大会および日本プロ野球で活躍した清原和博は、その寮生活について非常に過酷なものだったと後の2021年(令和3年)に語っている。清原が同期の松山秀明と共に回想したという、後輩の片岡篤史との談話に基づく。
◎ 1年生への禁止事項
清原が入学した1983年(昭和58年)当時、同野球部の1年生は生活において次のような規則を与えられたという。
・ 朝は6時半ごろに起床する。目覚まし時計を設定するが、同部屋の上級生を起こさないようにその鐘を鳴らしてはならず、鐘が鳴る寸前の「カチッ」という動作音で飛び起きて音を止めた。
 ・ 宮本や坪井によれば、デジタル時計では設定した時間にすぐ鳴動してしまうために使えず、設定時間に鳴動する前の「カチッ」という動作音があるアナログ時計を使用していたとのこと。
・ 起床後に掃除とPL教団へのお祈りを済ませたのち、1年生は自身が付き人とする担当上級生の食事の準備を行い、それを伝える。なお、清原が言うには「一年生もやられっぱなしではなく仕返しはちゃっかりやった」と言っており、その一つとして先輩に作る食事に何らかの異物を入れることがあったという。
・ 寮から高校へは2kmほど離れており、1年生全員で集団登校を行う。登校は3列か4列の縦隊を組み、連続歩調で行進する。
 ・ 大声で「歩調、歩調、歩調、やめ!1、それ、2、それ、3、それ、4、それ、1、はい、2、はい、3、はい、4、はい、1234、1234……」などと叫びながら行進する。
 ・ その途中も常に上級生たちが通りかかるたびに監視しており、もし足が揃っていなかったり声が小さかったりすると暴行を受ける。
・ 野球部員は学校の授業は5時限で終わる。その5時限目の途中に1年生は靴を外履きへ履き替え、終業のチャイムが鳴った途端に全速力で寮まで2kmを走って帰る。
 ・ なぜなら終業から練習までの間に1年生は上級生のために練習前の食事を準備しなければならないからである。そのコンロの数が限られているため、1年生同士で争奪戦になった。
・ 練習は午後3時から午後6時半までと、強豪の野球部としては比較的短い。しかし、1年生にとっては練習後のほうが過酷な時間帯であった。
・ 練習後に1年生が夕食の準備を行い、午後7時から9時ごろにかけて上級生たちが食事に訪れるまで食堂で待機する。
・ 上級生の食事中、1年生はテーブルの前で直立不動を続ける。先輩が「おかわりを注げ」と伝える合図は茶碗で机を「コン」とごく軽く叩くことであるが、1年生は疲労からそれに気づかないこともあり、反応が遅いと茶碗を顔へ投げつけられる。避けるとひどく暴行を受けるので、わざと当たりに行く。
 ・ 清原は、「この経験によって、のちにプロ野球で死球を避けずに当たりに行く勇気を培われたのかもしれない」と冗談半分に語っている。
・ 食事後、上級生たちの残飯を1年生が集めて捨てに行くが、その際に全身に残飯の汁をかぶる。1年生は自分の衣服を洗濯する時間的余裕がなく、衣服から常に生ゴミの匂いがした。
・ 食事後、その日の練習で使われたボールをきれいに磨く。1個でも数が合わないと暴行を受ける。
・ 守備練習では、1年生がエラーをするたびに、上級生である2年生部員が3年生部員より臀部をバットで殴られる制裁を受けた。その報復として2年生は1年生を殴るという制裁があった。その制裁のための時間帯が決められており、基本的に「連帯責任」として全員が暴行を受ける。寮内放送で「1年生、娯楽室へ集合」と告知され、「娯楽室」で暴行されることが通例であった。
 ・ 顔を殴ると傷跡が目立ち問題視されるため、体幹部を殴られたり蹴られたりした。ほか、理不尽な筋力トレーニングを強要されることもあった。
・ その後、1年生が上級生へマッサージを行う。上級生が就寝すると終わりだが、寝たふりをする上級生もおり、1年生が「寝た」と判断して手を止めると即座に殴られる。
・ 深夜に1年生が上級生の衣服を洗濯する。業務用洗剤を使って素手で洗うため、手が常に荒れる。また、洗濯機も1年生同士で争奪戦となるため、確保できないと就寝時間もその分少なくなる。
 ・ 片岡は、自分自身はPL学園時代は体は大きいが要領が悪く、洗濯機を奪い合う競争にもいつも負けており、同期の1年生たちが先輩たちのユニフォームの洗濯を終えて眠りをむさぼる深夜、ようやく片岡自身は洗濯機に先輩のユニフォームを突っ込んでうなだれているという有様だったとのこと。そんな片岡の様子を、同期の立浪和義は「いつか、寮から逃げ出すのではないか」とずっと心配していたという。
 ・ また、洗濯をしたその手で練習中は竹のバットを振るため、ひどく痛む。
・ 1年生にとって寮生活における娯楽は存在しない。
・ 先輩である小早川毅彦はYouTube内で、3年先輩で当時キャプテンだった松下和統がラジオで語った話として、帰省時に寮生活のことを父親に話したら「俺の知っている軍隊よりも、本当の戦争の時の軍隊よりも厳しいな」という感想が返ってきたという逸話を紹介している。

■いじめと監督後継問題
また、同野球部では数々の暴力事件が報告されており、1986年にはいじめによる死亡事故が起きている。 インターネット社会が発達する前までは、外部には上記のようなシゴキの実態がほとんど知られていなかった。学校側や同野球部側が情報統制に細心の注意を払い、部内の暴力で怪我人が出れば教団の敷地内にあるPL病院で治療を受けさせることで隠蔽を図っていたためである。それでも部活見学の際の上級生と1年生の様子から異様な雰囲気を感じて同校への進学を見送った人もいる。元阪神タイガースの関本賢太郎はその内の一人であり、父親からPLへの進学を薦められたが、部活見学を行った際に上下関係の厳しさを感じ取り天理高等学校へ進学先を変更したことを語っている。 1997年には、上級生が暴力を加えて重傷を負わせ、には日常的に上級生が下級生をバットで殴るなどのいじめが原因とされる暴行事件で半年間にわたる活動停止処分を受けている。さらに、被害者の家族に訴えられて裁判沙汰になった。その他の部内の規律として、漫画家のなきぼくろは、「女を見るのは禁止」という規律が存在していたと語っている。も暴力事件が起こり、藤原弘介監督(当時)が辞任。後任として河野有道が監督に復帰したが、には部員の部内暴力と喫煙で1ヶ月の対外試合禁止になった。 4月9日には、高野連・西岡宏堂審議委員長より2月23日午後10時頃、2年生4人が、1年生1人を寮内にて殴る蹴るの暴行を加えたため救急車が出動し、病院送りにしたことが明らかにされた(学年は共に事件当時)。これにより日本学生野球協会審査室会議にて2月24日から8月23日までの6ヶ月間の対外試合禁止処分が決まった。河野はの活動停止処分を受けた際の監督でもあったがその後退任し、4月16日付でPL教団職員に異動した。 かつての教団や教祖であり野球ファンだった御木徳近(1983年に死去)は名門野球部を広告塔として最大限に支援していたが、PL教団は度重なる不祥事や教団幹部の代替わりによる内部の運営体制の変化により次第にトラブル続きの野球部に対して厳しい態度で臨むようになり、野球部の体質改善を積極的に行った。まず、野球部専用の寮であった「研志寮」が2001年のいじめ問題発覚後に「閉鎖的な野球部寮に問題がある」という理由で2002年3月末限りで廃止され、同年4月以降は野球部員も一般生徒と同じ寮で生活している。また全寮制の廃止もあり、通学可能な地域に居住している部員は自宅から通学している。研志寮の建物はPL学園小学校の「小学SC寮」に転用され改装されたが、老朽化に伴い2019年に解体された。 また、社会情勢や教育環境の変化から教団の学校運営方針が「スポーツ選手の育成強化」から「在校生徒の学力向上重視」に主軸を置くようになったため、かつて行われてきた有能者を見つけるための外部スカウト制度やスカウトによる推薦入学や特待生の制度も寮の廃止と同時期に全て廃止され、一般入試で合格した在校生が入部する一般的な部活に変更された。毎年恒例となっていた夏季と冬季の合宿制度も全て廃止され、大きな問題となっていた上級生の「説教」制度も一切禁止された。練習時間も大幅に短縮され、それ以外の時間帯の練習は特別な事情や教団・学校の承認が無い限り一切禁止とした。さらに学力維持と向上のため、年間成績や定期テストなどで一定の成績に満たない部員は約1ヶ月間練習禁止処分にして補習を受けさせるようにした他、1週間に1回全員での教団講話の拝聴を義務付けた。部活関係者以外の野球部OBとの接触やOBの学校訪問も一切禁止とした。上級生と下級生が同部屋で生活し、下級生が上級生の雑用等をこなす野球部独自の「付き人制度」も教団や保護者、一般生徒などから生徒間の行き過ぎたプライバシー等の侵害や厳しすぎる上下関係による不祥事を問題視されるようになったため、2013年6月より部活の雑用(食事作り、掃除、洗濯、買い出しなど)は全て寮関係者や教団ボランティアのスタッフが行うように変更され、下級生の雑用を一切禁止とした。同年秋には「付き人制度」そのものが廃止され、全部員が一般生徒と同じ待遇となり野球部の伝統とされてきた厳しい上下関係や規律も大幅に改善され緩和された。 卒業生の一人である清原は、この事件の後2013年にテレビ出演した時にPLの暴力は伝統であると語っている。 後継監督候補には複数のOBが浮上しているが、学校・教団側はかねてから野球部OBの多くが卒業後には教団への信仰から距離を置いていることに不満を持っており、野球部OBが監督に就任する条件の1つとして教団への熱心な信仰を求めているが、学校・教団側の要望に該当する野球部OBがいないことから、2013年秋大会から常勤の監督が不在という状況が長期化していた。練習ではOBのコーチがいるものの、OBのコーチの指導はノッカーとしてのみ認められている(このOBは学校側から監督昇格は認められていない)。このため公式戦では野球未経験の正井一真校長が登録上の監督に就任し、ユニフォームを着てベンチ入りしているが、試合の中で決断を下せる大人が不在となっており、作戦や選手交代を選手同士で決めていた。2014年10月には監督不在により十分な指導ができないことを理由に、入学を希望する中学3年生の新入部員の受け入れ停止を決定した。 2015年3月16日、同年4月1日付の人事異動で正井が校長職から校外の教団施設への転任が決定し、同時に野球部の監督を退任することが発表された。新たな校長に草野裕樹が就任し、野球部の監督も兼任することとなった。

■ 休部
2015年春及び2016年春は新入部員を募集しない方針をとり、2016年2月の時点で2年生部員12人のみが所属していた。 2016年2月、野球部長を兼任する草野校長が同年春に定年退職となるため、同校事務職員の川上祐一が野球部長に就任した。 2016年休部時点での最後の甲子園出場は2009年の夏であり、創部からの通算成績は、春のセンバツには20回出場して優勝3回(81年、82年、87年)、夏の選手権大会には17回出場して優勝4回(78年、83年、85年、87年)、春夏通算96勝となっている。 休部後は、かつての硬式野球部専用グラウンドを、活動継続中の軟式野球部が使用している。 2023年8月、1年生一人が硬式野球部入部を許可され練習を始めていることが報道された。但し高野連を脱退しているため合同チームで出場するにも連盟への再加盟が必要になるという。
校歌 作詞:湯浅竜起、作曲:東信太郎
出身者 ■ 政治

・ 井坂善行 - 元和泉市長
・ 鈴木憲 - 大阪府議会議員、元大阪府議会議長。元大阪維新の会総務会長。

■ 警察

・ 高鍋進 - 神奈川県警察、剣道家
・ 石田利也 - 大阪府警察、剣道家
・ 安藤戒牛 - 愛知県警察、剣道家
・ 山本真理子 - 大阪府警察、剣道家

■ プロ野球選手

 4期  野田征稔  長崎県  1959  内野手、外野手 
  PL教団   制度導入前  阪神タイガース    阪神、タイ代表コーチ、BC福井監督   
 8期  坪井新三郎  大阪府  1963  内野手 
  PL教団  1969  ドラフト外  中日ドラゴンズ  太平洋    野球部に所属せず
 8期  戸田善紀  大阪府  1963  投手 
 
   制度導入前  阪急ブレーブス  中日    
 8期  愛甲徹   -   1963  投手  日本大中退 
   制度導入前  東京オリオンズ      
 8期  中塚政幸  香川県  1963  一塁手、外野手  中央大 
  1967  2位  大洋ホエールズ    横浜、BC群馬コーチ等  
 10期  得津高宏  和歌山県  1965  外野手 
  クラレ岡山  1966  6位  東京オリオンズ    ロッテコーチ  1965年近鉄8位拒否
 10期  長井繁夫  群馬県  1965  内野手  中央大 
  1969  3位  ヤクルトアトムズ      1965年近鉄3位拒否
 10期  福嶋久晃  和歌山県  1965  捕手 
  大昭和製紙  1966  ドラフト外  大洋ホエールズ  広島  広島・横浜・関西高コーチ  1965年広島8位拒否
 11期  加藤英治  愛知県  1966  投手 
 
  1966  1位  近鉄バファローズ      
 11期  加藤秀司  静岡県  1966  内野手 
  松下電器  1968  2位  阪急ブレーブス  広島-近鉄-巨人-南海  サーパス神戸監督等  1966年東映4位拒否
 11期  野口善男  熊本県  1966  内野手  法政大 
  1970  1位  大洋ホエールズ    横浜球団取締役  
 12期  大和田正海  大阪府  1967  捕手 
  出原商店  1971  ドラフト外  阪急ブレーブス  阪神    
 13期  川口孝秀  大阪府  1968  投手 
 
  1968  ドラフト外  中日ドラゴンズ  近鉄    
 15期  新井宏昌  大阪府  1970  外野手  法政大 
  1974  2位  南海ホークス  近鉄  オリックス・ソフトバンク・広島コーチ等  1970年近鉄9位放棄
 15期  新美敏  熊本県  1970  投手 
  日本楽器  1972年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) 1972  1位  日拓ホームフライヤーズ  広島  広島・日本ハムコーチ等  
 16期  行澤久隆  大阪府  1971  内野手  中央大 
  1975  2位  日本ハムファイターズ  西武  西武コーチ等  
 18期  立野政治  香川県  1973  投手 
  日本楽器  1980  ドラフト外  ヤクルトスワローズ      1976年広島4位拒否
 18期  平山正人  大阪府  1973  投手 
  新日本製鐵堺  1976  4位  阪急ブレーブス      1973年南海4位拒否
 19期  金森栄治  石川県  1974  外野手、捕手  早稲田大  プリンスホテル  1981  2位  西武ライオンズ  阪神-ヤクルト  ヤクルト・西武・阪神・ソフトバンク・ロッテ・楽天コーチ等  
 20期  尾花髙夫  和歌山県  1975  投手 
  新日本製鐵堺  1977  4位  ヤクルトスワローズ    現ヤクルト二軍投手チーフコーチ  
 22期  米村明  熊本県  1977  投手  中央大  河合楽器  1984  5位  中日ドラゴンズ    現中日スカウト  
 23期  金石昭人  岐阜県  1978  投手 
 
  1978  ドラフト外  広島東洋カープ  日本ハム-巨人    
 23期  木戸克彦  大阪府  1978  捕手  法政大 
  1982  1位  阪神タイガース    阪神・女子野球日本代表コーチ  
 23期  谷松浩之  熊本県  1978  外野手 
 
  1978  4位  ヤクルトスワローズ      
 24期  西田真二  和歌山県  1978  外野手  法政大 
  1982  1位  広島東洋カープ    現セガサミー監督  
 25期  阿部慶二  大阪府  1979  内野手  亜細亜大中退  ヤマハ発動機  1983  6位  広島東洋カープ    広島コーチ等  
 25期  小早川毅彦  広島県  1979  内野手  法政大 
  1983  2位  広島東洋カープ  ヤクルト  広島コーチ  
 25期  山崎剛  大阪府  1979  投手 
 
  1979  ドラフト外  阪急ブレーブス  阪神    
 25期  山中潔  大阪府  1979  捕手 
 
  1979  4位  広島東洋カープ  ダイエー-中日-日本ハム-ロッテ  現日本ハム二軍バッテリーコーチ  
 26期  岡部明一  大阪府  1980  外野手  中央大 
  1984  3位  ロッテオリオンズ      
 27期  西川佳明  大阪府  1981  投手  法政大 
  1985  1位  南海ホークス  阪神    
 27期  吉村禎章  奈良県  1981  外野手 
 
  1981  3位  読売ジャイアンツ    現巨人球団編成副本部長、野球日本代表コーチ  
 27期  若井基安  奈良県  1981  内野手、外野手  法政大  日本石油  1987  2位  南海ホークス    ソフトバンクコーチ等  
 28期  榎田健一郎  大阪府  1982  投手      1982  1位  阪急ブレーブス      
 28期  森浩之  大阪府  1982  捕手  東洋大    1986  2位  南海ホークス    現ソフトバンクヘッドコーチ  
 29期  加藤正樹  大阪府  1983  外野手  早稲田大 
  1987  ドラフト外  近鉄バファローズ    現バイタルネット監督  
 29期  山中勝己  奈良県  1983  内野手  明治大 
  1987  ドラフト外  中日ドラゴンズ      
 30期  岩田徹  和歌山県  1984  捕手 
  三菱自動車水島  1988  4位  阪神タイガース    履正社学園コーチを経て、現大阪偕成高校野球部監督  
 31期  今久留主成幸  大阪府  1985  捕手  明治大 
  1989  4位  横浜大洋ホエールズ  西武  Honda鈴鹿コーチ  
 31期  清原和博  大阪府  1985  内野手 
 
  1985  1位  西武ライオンズ  巨人-オリックス    
 31期  桑田真澄  大阪府  1985  投手 
 
  1985  1位  読売ジャイアンツ  パイレーツ  現巨人ファーム総監督  
 31期  内匠政博  大阪府  1985  外野手  近畿大  日本生命  1992  3位  近鉄バファローズ    現オリックススカウト  
 31期  松山秀明  和歌山県  1985  内野手  青山学院大 
  1989  5位  オリックス・ブレーブス    現ソフトバンク内野守備走塁コーチ  
 32期  霜村英昭   -   1986  内野手 
 
  1986  ドラフト外  ヤクルトスワローズ      
 33期  片岡篤史  京都府  1987  内野手  同志社大 
  1991  2位  日本ハムファイターズ  阪神  YouTuber、現中日二軍監督
 33期  立浪和義  大阪府  1987  内野手 
 
  1987  1位  中日ドラゴンズ    野球殿堂、現中日監督  
 33期  野村弘樹  広島県  1987  投手 
 
  1987  3位  横浜大洋ホエールズ    横浜コーチ  
 33期  橋本清  大阪府  1987  投手 
 
  1987  1位  読売ジャイアンツ  ダイエー    
 34期  宮本慎也  大阪府  1988  内野手  同志社大  プリンスホテル  1994  2位
(逆指名)  ヤクルトスワローズ    ヤクルトコーチ  
 35期  野々垣武志  奈良県  1989  内野手 
 
  1989  ドラフト外  西武ライオンズ  広島-ダイエー-誠泰太陽  現西武・レディースコーチ  
 36期  入来祐作  宮崎県  1990  投手  亜細亜大  本田技研  1996  1位
(逆指名)  読売ジャイアンツ  日本ハム~横浜  現オリックス投手コーチ  
 37期  坪井智哉  東京都  1991  外野手  青山学院大  東芝  1997  4位  阪神タイガース  日本ハム-オリックス等  現石狩レッドフェニックス監督  
 38期  今岡真訪  兵庫県  1992  内野手  東洋大 
  1996  1位
(逆指名)  阪神タイガース  ロッテ  現阪神打撃コーチ  
 39期  松井稼頭央  大阪府  1993  内野手 
 
  1993  3位  西武ライオンズ  メッツ-ロッキーズ-アストロズ-楽天-西武  現西武監督  
 40期  宇高伸次  大阪府  1994  投手  近畿大 
  1998  1位
(逆指名)  近鉄バファローズ  横浜    
 40期  サブロー  岡山県  1994  外野手 
 
  1994  1位  千葉ロッテマリーンズ  巨人-ロッテ  現ロッテ二軍監督  
 41期  辻田摂  奈良県  1995  内野手  東洋大中退 
  2000  8位  中日ドラゴンズ      
 41期  福留孝介  鹿児島県  1995  外野手 
  日本生命  1998  1位
(逆指名)  中日ドラゴンズ  カブス-インディアンス-ホワイトソックス-阪神-中日    1995年近鉄1位拒否
 41期  前田忠節  和歌山県  1995  内野手  東洋大 
  1999  3位  大阪近鉄バファローズ  楽天-阪神  現阪神スカウト  
 42期  荒金久雄  大分県  1996  外野手  青山学院大 
  2000  5位  福岡ダイエーホークス  オリックス     
 42期  前川勝彦  大阪府  1996  投手 
 
  1996  1位  近鉄バファローズ  阪神-オリックス等     
 43期  小林亮寛  福岡県  1997  投手 
 
  1997  6位  千葉ロッテマリーンズ      
 43期  前田新悟  大阪府  1997  内野手  明治大 
  2001  5位  中日ドラゴンズ      
 44期  大西宏明  兵庫県  1998  外野手  近畿大 
  2002  7位  大阪近鉄バファローズ  オリックス-横浜-ソフトバンク  現堺シュライクス監督  
 44期  平石洋介  大分県  1998  外野手  同志社大  トヨタ自動車  2004  7位  東北楽天ゴールデンイーグルス    現西武ヘッドコーチ  
 45期  覚前昌也  京都府  1999  外野手 
 
  1999  7位  大阪近鉄バファローズ      
 45期  七野智秀  兵庫県  1999  内野手 
 
  1999  6位  横浜ベイスターズ      
 45期  田中一徳  兵庫県  1999  外野手 
 
  1999  1位  横浜ベイスターズ    現日本経済大コーチ  
 45期  田中雅彦  大阪府  1999  内野手  近畿大 
  2003  4位  千葉ロッテマリーンズ  ヤクルト  現楽天二軍バッテリーコーチ  
 46期  加藤領健  愛知県  2000  捕手  青山学院大 
  2004  6位  福岡ソフトバンクホークス    ソフトバンク三軍バッテリーコーチ  
 46期  中尾敏浩  福岡県  2000  外野手  青山学院大  JR東日本  2007  大・社5位  東京ヤクルトスワローズ      
 47期  朝井秀樹  大阪府  2001  投手 
 
  2001  1位  大阪近鉄バファローズ  楽天-巨人  巨人球団職員  
 47期  今江敏晃  京都府  2001  内野手 
 
  2001  3位  千葉ロッテマリーンズ  楽天  現楽天一軍監督  
 47期  小斉祐輔  大阪府  2001  外野手  東農大生産学部    2005  育成1位  福岡ソフトバンクホークス  楽天    
 47期  桜井広大  滋賀県  2001  外野手 
 
  2001  4位  阪神タイガース    06BULLS監督  
 49期  小窪哲也  奈良県  2003  内野手  青山学院大 
  2007  大・社3位  広島東洋カープ    現広島内野守備・走塁コーチ  
 52期  冨田康祐  愛知県  2006  投手  青山学院大  香川オリーブガイナーズ  2011  育成1位  横浜ベイスターズ      
 52期  前田健太  大阪府  2006  投手 
 
  2006  高1位  広島東洋カープ  ドジャース-現ツインズ    
 54期  緒方凌介  大阪府  2008  外野手  東洋大 
  2012  6位  阪神タイガース      
 56期  勧野甲輝  大阪府  2010  内野手 
 
  2010  5位  東北楽天ゴールデンイーグルス  ソフトバンク    
 56期  吉川大幾  大阪府  2010  内野手 
 
  2010  2位  中日ドラゴンズ  巨人  現巨人球団職員  
 60期  中川圭太  大阪府  2014  内野手  東洋大 
  2018  7位  オリックスバファローズ       


■ その他野球関連

・ 中村順司 - 1964年度卒。名古屋商科大を経て、PL学園高校監督を務めた。
・ 森永悦弘 - 1964年度卒。亜細亜大を経て、日本楽器に所属した。
・ 斎藤茂樹 - 1970年度卒。明治大から日本鋼管を経て、同大学監督を務めた。
・ 小野忠史 - 1979年度卒。東洋大から松下電器を経て、ガンバ大阪代表取締役社長。
・ 竹田宏 - 1982年第54回選抜高等学校野球大会優勝時の部員。大阪学院大を経て、中学硬式野球部『池田リトルシニア野球協会』設立に関わり監督兼副会長。
・ 鈴木英之 - 1984年度卒。駒澤大から神戸製鋼を経て、関西国際大監督。
・ 北口正光 - 1984年度卒。亜細亜大から松下電器を経て、東京農業大監督。
・ 清水哲 - 1984年度卒。同志社大1年時の秋季リーグ戦で頚髄負傷。現在は野球関連の講演活動や著述家。
・ 松田訓 - 1986年度卒。同志社大から熊谷組、日本通運を経て、流経大柏高校監督を務めた。
・ 清原幸治 - 1989年度卒。清原和博の実弟。青山学院大から松下電器に所属した。
・ 植山幸亮 - 1999年度卒。法政大から三菱ふそう、東京ガスに所属した。
・ 松本晃 - 2003年度卒。横浜商科大からJR東日本に所属した。
・ グルラジャニ・ネイサン - 2015年度卒。亜細亜大中退後、東京国際大に再入学。2020年にBCリーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ入団。
・ 樋口一紀 - 福岡県出身。PL学園中学校卒業後、柳川高校に進学。住友金属を経て1991年ドラフトで千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け入団。

■ その他のスポーツ

・ 竹中健太郎 - 剣道家、鹿屋体育大監督
・ 高村博美 - プロゴルファー
・ 谷口徹 - プロゴルファー
・ 中嶋千尋 - プロゴルファー
・ 桑田泉 - ティーチングプロゴルファー、元青山学院大野球部野手。桑田真澄の弟。
・ 稲垣正司 - バトントワリング選手。シルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー『ZED』の唯一の日本人出演者。
・ 木村朱美 - 元バトントワリング選手
・ 中尾葉 - バトントワリング選手、ダンサー、モデル
・ 吉田有希 - バトントワリング元日本代表
・ 簾田武志 - バトントワリング選手
・ 阪口晴南 - レーシングドライバー

■ 芸能

・ 上重聡 - 日本テレビアナウンサー、元立教大野球部投手
・ 河中美二 - お笑い芸人
・ 坂室賢一 HAYABUSA - ポップスデュオ
・ 山本奈臣実 - 吉本新喜劇女優
・ 美野真奈 - 宝塚歌劇団57期生

■ その他

・ 野添ゆかり - プロ雀士
・ なきぼくろ - 漫画家、元PL学園野球部選手
・ 澤藤統一郎 - 弁護士

「PL学園中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年4月16日13時(日本時間)現在での最新版を取得。

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