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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

甲陽学院(普通)


偏差値71( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)203.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 33位/7793校( 学科単位 )
近畿地方 12位/1347校( 学科単位 )
兵庫県 2位/305校( 学科単位 )
公立/私立私立
男女男子
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【甲陽学院中学校・高等学校】
概要 関西教育界の第一人者で、女子教育で定評のあった伊賀駒吉郎が「官立学校は型にはまった教育しかできない」と「自由な私学」を求め、1917年(大正6年)、阪神間枝川(現在の甲子園)の地に「私立甲陽中学」を創立。開校前から自由、ハイカラ、ハイソという評判があった。「桜梅桃李一時春」を建学の精神とし、『甲陽十二訓』、自由主義の下、「明朗・溌剌・無邪気」、「気品高く教養豊かな有為の人材の養成」を目的とする校風が自主的に育まれた。当時の学級の構成は「桜・梅・桃・李」である。第一次世界大戦後の不況により本学の経営が困難に陥るが、白鹿の酒造家である辰馬吉左衛門が私財を投じ1920年(大正9年)3月、財団法人辰馬学院を設立。中学校令に基づく中学校を発足させる。酒造家ならではの経営を行い、教育に関しては一切を歴代の校長に任せた。戦後の学制改革では、パブリックスクールを手本の一つとして新体制が整えられた。当時の校長と理事長の2人で京大、阪大などを歴訪し新教員をリクルートした。新制以来、所在地が中学と高校で別であるのは特徴的である。現在は、中学は海風薫る浜辺に、高校は天を仰ぐ山辺に、ともに阪神間文教都市西宮市夙川沿いにある。以来、甲陽の歴史は、自然とのふれあい豊かな環境とともにある。所在地の違いは中学、高校の校風にも反映されており、中学では制服があり規律正しいが、高校では校則もほぼなく自由となる。酒造家による経営が反映され、人間形成に役立つ生業(体育、芸術、マナーなど)に力を入れている。「文化祭」ではなく「音楽と展覧の会」という行事が存在する。賢明な経営手腕の下、在校生・教職員・卒業生の三極による、学校内で完結した学問、教育の場を目指している。現在までに約2万人の卒業生を輩出している。
交通 ・甲陽学院中学校:662-0955 兵庫県西宮市中葭原町2-15
 ・阪神電鉄・香櫨園駅下車、南へ徒歩10分
 ・阪急電鉄・夙川駅下車、南へ徒歩20〜23分
 ・JR・さくら夙川駅下車、南西へ徒歩15~17分
 ・阪急バスにて大東町下車、東へ徒歩3~5分
 ・電車で通学する生徒は、「夙川オアシスロード」と呼ばれる歩行者専用道路を通る。
・甲陽学院高等学校:662-0096 兵庫県西宮市角石町3-138
{{ウィキ座標度分秒 34 45 37.1 N 135 19 7.7 E}
 ・阪急電鉄・甲陽園駅下車、北西へ徒歩20~30分
 ・阪急電鉄・芦屋川駅、JR・芦屋駅から阪急バスにて苦楽園下車、北へ徒歩10~15分
 ・阪急電鉄・夙川駅から阪急バスにて苦楽園下車、北へ徒歩10~15分
 ・JR・さくら夙川駅、阪急電鉄・夙川駅から阪神バス・阪急バスにて柏堂町下車、南へ徒歩5分
 ・通学の際には、通学路の一つに兵庫県道82号大沢西宮線を経由したルートがある。このルートは、非常に交通量が多い上に歩道が狭く山道のため、かなり危険であり、このことはかつて高等学校のHP内でも取り上げられていた。甲陽園駅からタクシーを利用したり、夙川駅あるいは苦楽園駅から住宅街の中を歩いてくる生徒も多い。
沿革 ・1917年(大正6年)2月6日:「桜梅桃李」を建学の精神として、阪神間枝川の地(現在の甲子園、当時は阪神甲子園球場建設前)に伊賀駒吉郎により、私立甲陽中学設立。
・1920年(大正9年)3月6日:灘の酒造家(白鹿)・辰馬家の援助を得て創設された財団法人辰馬学院甲陽中学校に始まる。
・1923年(大正12年)8月:第9回全国中等学校野球大会(現:夏の高校野球)優勝。
・1940年(昭和15年)3月:皇紀2600年奉祝記念事業として、専門学校令による甲陽高等商業学校を新設(後、工業専門学校に転じ、戦後廃校)。
・1947年(昭和22年)4月1日:学制改革により、甲陽学院中学部を香櫨園に新設。
・1948年(昭和23年)4月1日:旧甲陽中学校は甲陽高等学校となる。
・1950年(昭和25年)1月1日:甲陽学院中学部を甲陽学院中学校、甲陽高等学校を甲陽学院高等学校に改称。
・1978年(昭和53年)4月:高等学校所在地が騒音公害などで教育環境が次第に悪化したため、高等学校のみを辰馬家が所有していた西宮市角石町の地に移転。旧所在地は現在、白鹿グループ運営のホテルヒューイット甲子園(旧ノボテル甲子園)とイオン甲子園店(土地は現在も白鹿グループが所有)となっている。
・1993年(平成5年)8月:中学校において従来の校舎の東側に新校舎竣工。旧校舎は改築の上、講堂・芸術棟および記念塔として使用している。
・2006年(平成18年)4月:中学校の募集定員を165人から約180人(実際は200名程度)に変更し、55人3クラス制から40人前後の5クラス制へと変更。なお、この変更により40人前後5クラスでの最初の学年が高校へ進学する年から高校入試は廃止されることとなる。
・2007年(平成19年):前年からの募集定員増加に関連し中学校の旧校舎の一部を建て替え。
・2009年(平成21年):高等学校入学枠を廃止。完全中高一貫校化。
・2016年(平成28年):旧講堂が解体される。
・2017年(平成29年)3月:中学新講堂が竣工。

「甲陽学院中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年7月12日1時(日本時間)現在での最新版を取得。


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