ヘッダイメージ
東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島
※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

隠岐(商業)


偏差値39( 2つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)83.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 5856位/7791校( 学科単位 )
中国・四国地方 688位/892校( 学科単位 )
島根県 63位/78校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】 1件目の書込みをお願いします。



【島根県立隠岐高等学校】
島根県立隠岐高等学校(しまねけんりつ おきこうとうがっこう, Shimane Prefectural Oki High School)は、島根県隠岐郡隠岐の島町に所在する公立の高等学校。
概要 ◇歴史 :1913年(大正2年)に開校した「西郷町外十一村組合立隠岐女子技芸学校」を前身とする。高等女学校を経て1948年(昭和23年)の学制改革で男女共学の新制高等学校となった。2013年(平成25年)に創立100周年を迎える。
◇設置課程・学科 :全日制課程 2学科 :
・普通科 :
・商業科
◇校訓 :「健(健やかにして)・智(賢く智り)・拓(未来を拓く)」
◇校章 :3方向に分かれた松葉の絵を背景にして「高」の文字(旧字体)を置いている。
◇校章 :作詞は宮田隆、作曲は長岡敏夫による。歌詞は3番まであり、各番の最後に校名の「隠岐高校」が登場する。
◇同窓会 :「城山会」と称している。
沿革 ◇高等女学校時代
・1912年(大正元年)11月26日 - 島根県知事より組合立隠岐女子技芸学校の設置が認可される。
・1913年(大正2年)
 ・4月16日 - 「西郷町外十一村組合立隠岐女子技芸学校」(修業年限2年)が隠岐島庁の庁舎一部を仮校舎に開校。
 ・9月 - 西町吉田2、八尾河畔の新校舎に移転。
・1915年(大正4年)4月1日 - 専修科を設置。
・1917年(大正6年)8月31日 - 専修科を廃止。
・1921年(大正10年)4月1日 - 組織変更し、「組合立隠岐実科高等女学校」に昇格・改称。修業年限を3年とする。
・1923年(大正12年)4月1日 - 組織変更し、「組合立隠岐高等女学校」に改称。 修業年限を4年とする。
・1926年(大正15年)
 ・4月1日 - 県立移管により「島根県立隠岐高等女学校」に改称。修業年限を4年、定員を200名とする。
 ・7月11日 - 校地を拡張し、校舎を増築。校長室・事務室・保健室・講堂・寮舎・物置が完成。
・1927年(昭和2年)5月 - 校舎を増改築し、物象教室・同準備室・被服教室・家政教室・寮舎等が完成。
・1930年(昭和5年)~1931年(昭和6年)- 生徒数減少により廃校問題が起こる。
・1944年(昭和19年)- 日立安来工場・広海軍工廠等に学徒動員・勤労動員が開始(~1945年(昭和20年)の終戦まで)。
・1945年(昭和20年)9月 - 大水害により校舎1階部分が水没。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 ・高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
 ・新制中学校を併設し(名称:島根県立隠岐高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 ・併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 ・高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
◇新制高等学校
・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
 ・高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立隠岐高等学校」(現校名)が発足。全日制課程普通科2学級を設置し、修業年限を3年とする。男女共学を開始。
  ・高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立隠岐高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ入学した3年生のみとなる。
・1949年(昭和24年)
 ・3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了する)。
 ・4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内の公立高校再編が行われる。
  ・島根県立隠岐水産高等学校と統合され、普通科と水産科を有する総合制高等学校「島根県立隠岐高等学校」が発足。
  ・2校舎制をとる(統合前の校舎を継続して使用)。
 ・10月 - 過去の水害により移転が検討され、新校舎の建設地が決定する。
・1950年(昭和20年)7月 - 新校舎の建設に着手。
・1952年(昭和27年)4月1日 - 家庭科(1学級)を新設。
・1953年(昭和28年)12月11日 - 新校地(西郷町西町吉田2~8番地)に新校舎が完成し移転を完了。旧校舎跡地に男女寄宿舎が完成。
・1954年(昭和29年)
 ・3月31日 - 校舎を増改築し、校長室・職員室・事務室・衛生室・洗濯室・調理実習室が完成。
 ・4月1日 - 水産科が分離し、島根県立隠岐水産高等学校として独立。
・1955年(昭和30年)
 ・この年 - テニスコートを設置。
 ・3月31日 - 音楽室が完成。
 ・4月1日 - 中ノ島 海士村福井に定時制の島前分校(普通科・修業年限4年)を設置。
・1957年(昭和32年)10月5日 - 家庭科教室(洋裁室・和裁室・研究室・普通教室2)が完成。
・1958年(昭和33年)4月1日 - 島前分校を全日制に切り替える。
・1961年(昭和36年)7月 - 島根県立松江北高等学校通信制課程の協力校(隠岐協力校)となる。
・1962年(昭和37年)5月 - 校庭の隅に校長公舎が完成。
・1963年(昭和38年)4月1日 - 商業科(1学級)を新設。
・1964年(昭和39年)3月22日 - 図書館・卒業生ホール・商業科教室が完成。
・1965年(昭和40年)
 ・2月 - 美術教室・音楽教室が完成。
 ・4月1日 - 島前分校が分離し、島根県立隠岐島前高等学校として独立。
・1970年(昭和45年)
 ・4月1日 - 生徒数減少により家庭科の募集を停止。
 ・9月28日 - 体育館が完成。
・1972年(昭和47年)3月31日 - 家庭科を廃止。
・1981年(昭和56年)
 ・6月 - 新校舎が完成し、有木尼寺原台地(現在地)に移転。
 ・10月 - テニスコート・第4種公認グラウンドが完成。
 ・12月 - PTAにより弓道場が完成。
・1982年(昭和57年)7月 - 城山会館(同窓会館)が完成。
・1986年(昭和61年)10月 - パソコンを導入。
・1988年(昭和63年)3月 - 寄宿舎「清明寮」が港町田井に完成し移転を完了。
・1989年(平成元年)7月23日 - 軟式野球部を硬式野球部へ移行。野球部後援会が発足。
・1996年(平成8年)
 ・1月25日 - 校訓碑を建立。
 ・4月16日 - 校内遺跡公園が完成。
・2001年(平成13年)
 ・3月 - 「志の道」が完成。
 ・4月1日 - 学校評議員制度を導入。
・2002年(平成14年)- 推薦入試を実施。
・2003年(平成15年)
 ・3月 - 硬式野球部、第75回選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場(浦和学院に1回戦敗退)。
 ・8月29日 - 90周年記念「志の道」記念碑・第75回選抜高等学校野球大会出場記念碑を建立。
・2004年(平成16年)3月 - 屋外練習場が完成。
・2007年(平成19年)1月 - この時から大学入試センター試験が隠岐高等学校を会場に実施されるようになる。
・2010年(平成22年)4月 - 島根県立宍道高等学校 通信制課程のスクーリング協力校(隠岐協力校)となる。
著名な出身者 ・ 池田高世偉(第2代隠岐の島町長)
・ 高梨みつば(漫画家)
・ 浜根隆(「浜根・杉本」)

「島根県立隠岐高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年4月20日10時(日本時間)現在での最新版を取得。

東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島


楽天ウェブサービスセンター