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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

済々黌(普通)


偏差値67( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)188.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 137位/7793校( 学科単位 )
九州・沖縄地方 13位/1200校( 学科単位 )
熊本県 2位/191校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【熊本県立済々黌高等学校】
概要
● 校名学校名は、「詩経」の一節「濟濟たる多士、文王以て寧んず」から採られている(「黌」は「学校」を意味する)。そのため卒業生を「多士」と呼び、現在でも「校長」を「黌長」、「校門」を「黌門」などと表記する伝統がある。「済済黌」、「濟々黌」とも表記する。ちなみに黌長印には「熊本県立済済黌高等学校長」とある。「黌」は非常に画数の多い難字であり、野球部が甲子園に出場した際、甲子園球場のビジョンに映し出される「本日の試合結果」の校名表記が第3試合までゴシック体表記だった時代(1984年~1992年)に「済々こう」となっていたことがある(明朝体による表記は可能)。
● 教育方針現在、以下の「教育方針」が定められているが、いずれも明治以来の「三綱領」「八条目」がベースに存在している。
・ 建学の精神である「徳・体・知」の三育併進に努め、逞しい気力と体力を養い、真の文武両道の実現に努める。
・ 基本的生活習慣を確立し、自主性、自律性の涵養に努める。
・ 適切な教育計画のもと、能力・適正に応じた進路指導を重視し、志望を達成する実力を養う。
・ 情操豊かな人間性の陶冶に努め、社会に適応できる人材を育成する。
・ 知的好奇心の発揚に努め、コミュニケーション能力の育成を通じて、思いやりの心を育てる。
● 三綱領正倫理 明大義(倫理を正しうし 大義を明らかにす)
重廉恥 振元氣(廉恥を重んじ 元気を振るう)
磨知識 進文明(知識を磨き 文明を進む)

・ 1882年(明治15年)制定。「校訓」ではなく「主義」「決まり」であるとされ、全校集会、式典などの際に全員で唱和されるものである。
・ 第二次大戦後GHQの軍政官による視察が行われた際、この「大義」の解釈を巡る質問があり、ここで国家主義的思想と判断されれば三綱領の破却は免れないと咄嗟に判断した当時の黌長杉原春作と通訳とによる機略で「Great Social Service」(社会福祉あるいは社会奉仕の精神)と説明、その場をやり過ごしたというエピソードが伝えられている。
● 八条目一.清明仁愛剛健ノ三徳ヲ修メ以テ人格ノ完成ヲ期スヘシ
一.光輝アル我黌ノ歴史ニ鑑ミ以テ愛黌ノ精神ヲ發揮スヘシ
一.孝悌ノ道ヲ厚ウシ忠愛ノ念ヲ長養スヘシ
一.師弟ノ倫ヲ重ンジ學友ノ信公共ノ宜ヲ厚ウスヘシ
一.儉(倹)素以テ己ヲ持シ禮(礼)文以テ其ノ身ヲ修ムヘシ
一.規律ノ習慣ヲ尚ヒ向上ノ志ヲ壮ニシ發憤以テ其ノ業ヲ励ムヘシ
一.高尚純潔ノ情操ヲ涵養シ精確周匝ノ知能ヲ啓發スヘシ
一.齊整強健ノ身體(体)ヲ鍛錬シ耐久旺盛ノ氣力ヲ修養スヘシ

・ 1910年(明治43年)2月制定。
● 黌歌(校歌)明治時代に制定された黌歌の歌詞は非常に難解で、4拍子の曲が途中2拍子(行進曲風)に変わるという珍しい構成を持つ。1931年に昭和天皇が行幸した際には、これを記念して3番が追加され、全部で5番となったが、戦後になってからは歌詞の内容からこの3番が歌われることは滅多にない。また、「恩賜記念式歌」(明治35年の第19回恩賜記念大運動会で発表)、岡野貞一による「創立記念式歌」(明治45年、黌歌と同時に制定)があるが、いずれも現在は歌われることはない。2012年夏に野球部が甲子園に出場した際、ABCテレビの中継では校歌斉唱時に「済々黌高等学校 校歌」ではなく「済々黌 黌歌」とクレジットされた。2013年春出場時のGAORAの中継でも「熊本県立済々黌高等学校 黌歌」とクレジット。
● スクールカラースクールカラーは黄色で、学帽、学生服、本館には黄色(実際は山吹色に近い)の線がデザインされている。このため熊本では「黄線」(キナセン)といえば済々黌の代名詞ともなっている。
● 制服男子の制服は学生服であるが、詰襟に白い襟カラーはつけない。以前は、生徒は入学早々から部活の先輩などに言われ襟カラーを取り去りバンカラなアイデンティティを自主的に表現していた。これは、他高では生活指導の対象だが、本黌は伝統として公認、かつノーカラーでの制服着用を促すため、襟の内側からカラーを留めるボタンを取り去った。このため、生徒ほぼ全員が、入学式からカラーのない制服姿で参列する。制服の裏地には校章の大きな刺繍が縫いこまれ、胸ポケットの縁にキナセン、桜が刻まれた金ボタンで前を留め、黒襟には、左に校章、右に学年組章をつける。ただし、胸ポケットのキナセンは、旧来からのものではなく、普段学生帽をかぶらない生徒が多く、一見本黌の特徴が制服上全く見えなくなってしまうため、新たにつけることになったものである。夏季は、胸に「済々黌」と刺繍された白のカッターシャツに黒の学生ズボンという略装になる。女子の制服は冬季は紺ブレザーに緑ネクタイ。夏季はグレーのセーラーに白リボン。また中間服として、「済々黌」と刺繍された紺のカーディガンを夏服の上から着ることができる。校章・学年組章は胸ポケットにつける。
● スポーツ戦前の剣道部は全国制覇を何度も達成、漕艇部、体操部、陸上競技部、ハンドボール部、水泳部がそれぞれ過去に全国制覇を達成している。野球部は1958年(昭和33年)の第30回選抜高等学校野球大会での優勝を経験(熊本県勢唯一の優勝)。水球部はインターハイ優勝5回を数え、多数のオリンピック選手を輩出している。また、ラグビー部(くりぃむしちゅーも在籍)が1998年(平成10年)の全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)に出場している。
● 卒業式卒業式では、卒業生が最後に学生帽を一斉に投げ上げて退場するのが恒例となっているが、防衛大学校の卒業式を真似て昭和50年代に始まったものとされている。
● アクセス熊本電鉄バス(北4・北5・北6・北9系統) 済々黌前・男女共同参画センター入口バス停徒歩2分。熊本大学(旧制第五高等学校)が隣接している。
年表 ・ 1879年(明治12年)12月5日 - 熊本市高田原相撲町(現下通一丁目)に「同心学舎」として設立。佐々自身は、開校式当日には未だ獄中にあったという。
・ 1881年(明治14年)1月 - 「同心学校」に改称。同年、後援者のひとつ、観光社の経営不振により廃校を余儀なくされる。
・ 1882年(明治15年)2月11日 - 紫溟会の同志などから再び支援を受け、「私立済済黌」として発足、「三綱領」を制定。第一期生81名が入学。
・ 1883年(明治16年)5月21日 - 宮内省より恩賜金500円が下賜される。
・ 1883年(明治16年)8月 - 細川護久より3,000円が贈られる
・ 1887年(明治20年)- 森有礼が視察に訪れる。
・ 1888年(明治21年)- 附属の女子学校(現私立尚絅高等学校)を設立。
・ 1891年(明治24年)10月 - 済々黌・春雨黌・文学館・熊本法律学校が合併し九州学院成立。薮の内(現在の城東町・熊本ホテルキャッスル)に移転。
・ 1894年(明治27年)4月 - 九州学院より分離、熊本県尋常中学校と改称。
・ 1896年(明治29年)4月 - 山鹿・八代・天草の3分校を設立。
・ 1899年(明治32年)1月 - 熊本県中学済々黌と改称。
・ 1900年(明治33年)4月 - 第一済々黌(定員800人、黒髪町に移転。のちの熊本県中学済々黌。)、第二済々黌(定員600人。同年10月、のちの熊本県熊本中学校)に二分。
・ 1901年(明治34年)6月 - 熊本県立中学済々黌と改称。
・ 1913年(大正2年)3月20日 - 孫文が宮崎滔天とともに来校。
・ 1931年(昭和6年)11月16日 - 昭和天皇が行幸。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革の暫定措置として、併設中学校を設置し、旧制中学校の2・3年生を収容。
・ 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、「熊本県立済々黌高等学校」(男子校)として発足(全日制1,050名、定時制200名)。
・ 1949年(昭和24年)4月1日 - 男女共学となる。併設中学校を廃止。
・ 1958年(昭和33年)4月10日 - 選抜高等学校野球大会で優勝。
・ 1983年(昭和54年)3月 - 熊本県立江津高等学校(現・熊本県立湧心館高等学校)新設に伴い、定時制課程の募集を停止。
・ 1982年(昭和57年)3月1日 - 定時制が閉鎖。
・ 1984年(昭和59年)2月11日 - 多士会館が竣工。
・ 1997年(平成9年)3月18日 - 歴史資料館が開館。
・ 1999年(平成11年)2月26日 - 黌士館が竣工。
・ 2011年(平成23年)8月- 新管理棟が竣工。
○ 分離独立した学校
・ 熊本県立熊本高等学校
 ・ 1900年 - 熊本県中学第二済々黌として設立
 ・ 1901年 - 熊本県立熊本中学校と改称
 ・ 1948年 - 学制改革により熊本県立熊本高等学校発足
・ 熊本県立天草高等学校
 ・ 1896年 - 熊本県中学済々黌天草分校として設立
 ・ 1909年 - 熊本県立天草中学校と改称
 ・ 1948年 - 学制改革により熊本県立天草高等学校発足
・ 熊本県立鹿本高等学校
 ・ 1896年 - 熊本県中学済々黌山鹿分校として設立
 ・ 1909年 - 熊本県立鹿本中学校と改称
 ・ 1948年 - 学制改革により熊本県立鹿本高等学校発足
・ 熊本県立八代高等学校
 ・ 1896年 - 熊本県中学済々黌八代分校として設立
 ・ 1900年 - 熊本県立八代中学校と改称
 ・ 1948年 - 学制改革により熊本県立八代高等学校発足
・ 私立尚絅高等学校
 ・ 1888年 - 済々黌附属女子学校として設立
 ・ 1891年 - 済々黌より独立して尚絅女学校と改称
 ・ 1896年 - 尚絅高等女学校と改称
 ・ 1948年 - 学制改革により尚絅高等学校発足
卒業生  ○ 学界
・ 狩野直喜 - 漢学者・歴史学者
・ 宇野哲人 - 漢学者、元東京帝国大学教授、実践女子大学学長
・ 稗方弘毅 - 元和洋女子大学学長
・ 荒木俊馬 - 京都産業大学創設者・初代総長
・ 田島義博 - 経済学者、前学習院長
・ 姜尚中 - 政治学者、聖学院大学学長、東京大学名誉教授
・ 蓮田善明 - ロマン派系の国文学者。元陸軍中尉
・ 塚本啓祥 - 元宝仙学園短期大学学長、東北大学名誉教授
・ 佐伯千仭 - 元京都大学教授、立命館大学名誉教授、弁護士
・ 内藤高 - 比較文学者、元大阪大学教授
・ 馬場彰 - 英語学者、元東京外語大学教授、副学長
・ 原田永之助 - 眼科医。Vogt-Koyanagi-Harada病を1926年に原著として発表
・ 深沢宏 - 元一橋大学経済学部教授 歴史学者 経済学者
・ 生嶋順理 - 東京造形大学教授、画家
・ 遠藤嘉基 - 国語学者、京都大学名誉教授
・ 田浦雅徳 - 皇学館大学大学教授
・ 中村尚史 - 歴史学者、東京大学社会科学研究所教授
・ 野田哲也 - 東京藝術大学名誉教授、版画家
・ 山川烈- 九州工業大学名誉教授
・ 木原隆司 - 経済学者、獨協大学教授
・ 坂本親宣 - 九州栄養福祉大学元教授
 ○ 経済・実業界
・ 堀貞 - 真宗信徒生命保険社長、共保生命保険社長
・ 斉藤惇 - 日本取引所グループ最高経営責任者 (CEO)、前産業再生機構社長
・ 田中千一 - 元ランシステム社長
 ○ 政治家・官僚 ・法曹
・ 安達謙蔵 - 元内務大臣
・ 木村尚達 - 元司法大臣、元検事総長
・ 大塚惟精 - 元貴族院議員
・ 大津敏男 - 元樺太庁長官
・ 井手三郎 - 衆議院議員、ジャーナリスト
・ 小見山七十五郎 - 衆議院議員
・ 林市蔵 - 元内務官僚、方面委員(のちの民生委員)制度の創設者
・ 東郷彪(途中転出) - 元貴族院議員(東郷平八郎の長男)
・ 山田珠一 - 初代九州日日新聞社、熊本市長
・ 高橋守雄 - 台湾総督府総務長官、警視総監、熊本学園大学学長、熊本市長
・ 石坂繁 - 熊本学園大学理事長、熊本市長
・ 松岡利勝 - 元衆議院議員、農林水産大臣
・ 三浦一水 - 元参議院議員
・ 三角保之 - 元熊本市長
・ 木原稔 - 衆議院議員
・ 幸山政史 - 前熊本市長
・ 村田信一 - 元熊本県副知事
 ○ 文化人
・ 山田隆憲-洋画家
・ 宗不旱(中退) - 歌人
・ 白仁秋津 - 歌人、銀水村村長
・ 西島麦南 - 俳人
・ 牛原虚彦 - 映画監督
・ 細川隆元 - 評論家
・ 佛田洋 - 特撮監督
・ 後藤大輔 - 映画監督
・ 芥川保志 - 映画プロデューサー
・ 池田運 - 翻訳家、インド研究家
・ 清水天山 - 本校教師、能書家
・ 広瀬大志 - 詩人
 ○ 芸能
・ チャンス青木 - お笑い芸人
・ 海原はるか - お笑い芸人
・ 上田晋也 - くりぃむしちゅー、お笑い芸人(ラグビー部)
・ 有田哲平 - くりぃむしちゅー、お笑い芸人(ラグビー部)
・ 上田啓介 - くりぃむしちゅー上田晋也の兄、熊本県のローカルタレント
・ 大田黒浩一 - 熊本県のローカルタレント
・ 財津一郎 - 俳優
・ 常田富士男(定時制) - 俳優、TBS「まんが日本昔ばなし」
・ 中上真亜子 - モデル
・ 橋本貴久 - 乙三.メンバー
・ 東田トモヒロ - ミュージシャン
・ 安達ひでや - ミュージシャン、ちんどん屋
・ チャーリー永谷 - ミュージシャン、日本のミュージシャンで唯一米国大統領パーティーに招かれた。
・ 村石雅行 - ミュージシャン
・ 樋口了一 - ミュージシャン
・ 葉山拓亮 - ミュージシャン
 ○ スポーツ
・ 飽本唯徳 - 元プロ野球選手、阪急ブレーブス
・ 井洋雄 - 元プロ野球選手、広島東洋カープ - 中日ドラゴンズ
・ 大麻勇次 - 剣道範士十段、全日本剣道道場連盟初代会長
・ 大竹耕太郎 - プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス
・ 大野熊雄 - 武道家、弁護士
・ 大渕龍介 - 元サッカー選手
・ 岡本健一郎 - 元プロ野球選手、阪急ブレーブス
・ 川上哲治 - 元プロ野球選手・監督、野球解説者(熊本工より編入。ただし、3か月で退学、旧制人吉中学へ)
・ 古葉竹識 - 東京国際大学野球部名誉監督、元広島東洋カープ監督
 ○ 軍人など
・ 梅津美治郎(途中転出) - 関東軍総司令官他、東京裁判でA級戦犯として終身刑。
・ 武藤章(途中転出) - 第14方面軍参謀長、東京裁判でA級戦犯として絞首刑。
・ 井上貞衛 - 陸軍中将
・ 上村利道(中退) - 陸軍中将
・ 綾部橘樹 - 陸軍中将、三菱重工業顧問
・ 坂口静夫 - 陸軍中将
・ 深沢友彦 - 陸軍中将、八王子市長
・ 山室宗武 - 陸軍中将、第11師団長、砲兵監、陸軍士官学校長
・ 津野田是重 - 陸軍少将、衆議院議員
・ 河野壽 - 陸軍航空大尉。二・二六事件に参加、湯河原の別荘に滞在中の牧野伸顕を襲撃、事件後自決。
・ 安田優 - 陸軍砲兵少尉。二・二六事件に参加、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監を襲撃・殺害、死刑。
・ 清原康平 - 陸軍少尉。二・二六事件に参加、反逆罪(群衆指揮など)で無期禁固刑(のち恩赦)。
・ 赤星慶治 - 第二十九代海上幕僚長
・ 吉岡範策 - 海軍中将
・ 福村利明 - 海軍少将
・ 平田早苗 - 陸軍大佐
・ 堀内豊秋 - 海軍大佐
・ 淺井秋生 - 海軍中佐
・ 林正義 - 海軍中尉。五・一五事件に連座し、内乱予備罪で有罪。
・ 岩永寶 - 陸軍大佐。東部ニューギニア参謀長
 ○ 政治運動家
・ 田中義三 - よど号ハイジャック事件
・ 新美卯一郎 - 大逆事件
 ○ マスコミ
・ 鳥居赫雄(鳥居素川) - ジャーナリスト
・ 山村明義 - 作家、ジャーナリスト
・ 斉田季実治 - 気象予報士、防災士、NHK日本放送協会気象キャスター
・ 浦川泰幸 - 朝日放送アナウンサー
・ 山田真由美 - FBS福岡放送アナウンサー
・ 清原憲一 - 熊本放送報道制作局専任局次長兼RKK学苑長、元アナウンサー
・ 檜室英子 - 熊本放送アナウンサー
・ 柿木綾乃 - 熊本放送アナウンサー
・ 岡村久美 - 熊本放送報道記者、元アナウンサー
・ 福田浩一 - テレビ熊本元アナウンサー(現在事業局所属)
・ 郡司琢哉 - テレビ熊本アナウンサー
・ 徳永千帆子 - 元IBC岩手放送~熊本朝日放送アナウンサー
・ 菅緑 - 第2日本テレビ第7期専属アナウンサー、tvk『みんなが出るテレビ』元女子大生レポーター(東京海洋大学卒業。現在はネット系企業社員)
・ 江越哲也 - ラジオDJ
・ 山本恵里伽 - TBSアナウンサー
 ○ その他
・ 上塚周平 - ブラジル移民功労者
・ 内田守 - 医師
・ 福島源次郎 - 創価学会元副会長
 ○ 訴訟 2017年4月、新入生だった元在校生が上級生から強制的に丸刈りを行う伝統的慣例でうつ状態になり、転校を余儀なくされたとして賠償金1億円を求めて県を提訴。2019年12月2日、熊本地方裁判所にて第一回口頭弁論が行われ、県側は請求棄却を求めた。

「熊本県立済々黌高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年5月25日14時(日本時間)現在での最新版を取得。


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