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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

秋田(普通)


偏差値68( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)192.5点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 97位/7793校( 学科単位 )
東北地方 2位/760校( 学科単位 )
秋田県 1位/83校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【秋田県立秋田高等学校】
概要 1873年(明治6年)に洋学校として設立され、旧学制下の中学校等を経て戦後の学制改革で新制高等学校となった。学校当局が「現存する高校の中では全国で4番目の歴史を持つ」と主張していたこともあった。自主自律の精神が尊重されており、生徒主体の行事運営をはじめ活発な生徒会活動が行われているほか、昭和40年代から「応援の自由」「着帽の自由」「着装の自由」等を実現してきた。
交通 ・ JR秋田駅より徒歩30分
・ 秋田中央交通手形山経由大学病院線大松沢バス停より徒歩5分
・ 排気量50ccを超える車輌による通学は禁止されている。
年表 ・ 1873年(明治6年)9月 - 秋田東根小屋町の日新学校内に洋学科を増設、洋学校として開校。
・ 1874年(明治7年)5月 - 伝習学校と統合し太平学校と改称。校舎を秋田東根小屋町の旧藩校明徳館跡に新築。洋学校を中学科に改称し、中学科(洋学校の後身)と伝習科(伝習学校の後身)を併置。
・ 1876年(明治9年)9月 - 中学科を変則中学科と改称。
・ 1882年(明治15年)
 ・ 3月 - 太平学校を秋田県師範学校に改称。変則中学科を中学師範予備科に改称。
 ・ 7月 - 中学師範予備科を廃して秋田中学校と改称。
 ・ 9月 - 秋田中学校開校。
・ 1886年(明治19年)8月 - 秋田尋常中学校と改称。
・ 1893年(明治26年)
 ・ 1月 - 校章を三剣菱章に改定。
 ・ 4月 - 農業専修科を設置。
・ 1895年(明治28年)4月 - 農業専修科が秋田県簡易農学校(現在の大曲農業高等学校)として分離独立。
・ 1898年(明治31年)4月 - 秋田県第一尋常中学校と改称。
・ 1899年(明治32年)4月 - 秋田県第一中学校と改称。
・ 1901年(明治34年)7月 - 秋田県立秋田中学校と改称。
・ 1916年(大正5年)5月 - 校旗制定。
・ 1922年(大正11年)7月 - 校歌制定。
・ 1936年(昭和11年)11月24日 - 秋田市東根小屋町から秋田市手形字深田(秋田県師範学校跡地)へ移転。
・ 1945年(昭和20年)
 ・ 9月19日 - 米軍に校舎が接収され、秋田市寺内の帝国石油鉱手養成所(通称石油学校)を代用校舎とする。
 ・ 12月5日 - 米軍に接収されていた校舎が焼失。
 ・ 12月22日 - 仮校舎として秋田市長野町の旧兵舎へ移転。
・ 1946年(昭和21年)
 ・ 2月12日 - 中通小学校・築山小学校・牛島小学校・明徳小学校を1〜4各学年の代用校舎とする 退職→秋田経法大附高校長
第33代 畑澤潤一 1985.4.1 - 1987.3.31 秋田 秋田県教育庁主幹
兼高校教育課長 退職
第34代 榊田清 1987.4.1 - 1988.3.31 秋田 大館鳳鳴高校長 退職
第35代 室田弘
1988.4.1 - 1993.3.31 秋田 角館南高校長 退職
第36代 椎名光雄 1993.4.1 - 1995.3.31 秋田 能代高校長 退職
第37代 松岡正樹
1995.4.1 - 1997.3.31 秋田 能代工高校長 退職
第38代 池田好道
1997.4.1 - 2000.3.31 秋田 退職→秋田経法大附高校長
第39代 高橋幸臣 2000.4.1 - 2003.3.31 秋田
第40代 菅原洋
2003.4.1 - 2006.3.31 秋田 退職
第41代 柴田義弘
2006.4.1 - 2008.3.31 秋田 横手高校長 退職
第42代 菊谷一
2008.4.1 - 2011.3.31 秋田 秋田県教育次長 退職
第43代 高橋貢
2011.4.1 - 2014.3.31 秋田 湯沢高校長 退職→秋田県立図書館長
第44代 伊藤成年
2014.4.1 - 2016.3.31 秋田 秋田県総合教育センター所長 退職
第45代 安田浩幸
2016.4.1 - 秋田 秋田県教育庁高校教育課長
・ 第15代太田達人は大学予備門時代の夏目漱石の学友。1915年(大正4年)学校長事務取扱濱武元次は五高生徒時代、夏目漱石に師事。
太田の在任中、戦艦三笠が土崎港沖に錨泊した折、これを観艦しようとボート部員10名が短艇で三笠に向かう途中、激浪に洗われ転覆、このうち3名が溺死する事故があった。太田はこの責を負い更迭された。なお、三笠は日本海海戦時の聯合艦隊旗艦。日本海海戦当時は、大学予備門で太田の同期であった秋山真之が第一艦隊先任参謀として三笠に乗艦していた。
・ 第16代湯目補隆は、仙台一中「明治二十九年事件」の当事者。
・ 第28代鈴木健次郎は、文部省、福岡県教育委員会、日本教育テレビを経て秋田高校に招聘された熱心な社会教育活動家。文部省時代は公民館制度創出にたずさわり「公民館運動の父」(または単に「公民館の父」)と呼ばれた。秋田高校赴任後は多くの生徒に影響を与え、特に、鈴木がしばしば用いた「汝何のためにそこにありや」という訓戒は、鈴木の後輩教師やその当時教え子であった教師たちを通じて、今日にも伝えられている。

「秋田県立秋田高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年5月25日17時(日本時間)現在での最新版を取得。


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