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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

鹿児島玉龍(学区外)


偏差値62( 4つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)170点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 561位/7793校( 学科単位 )
九州・沖縄地方 54位/1200校( 学科単位 )
鹿児島県 11位/216校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・鹿児島玉龍高等学校】
概要
沿革 第二次世界大戦中の国家状況を反映して、軍関係への志望者が増加、それに伴って中学校(旧制)進学希望者数も増加したが、当時鹿児島市内の旧制中学校は公立2校(一中と二中)、私立1校(鹿中)のみであったため、市議会の議決により設立に至った。第二次世界大戦終戦直後の時点で鹿児島市の管轄下にあった、鹿児島市立中学校、鹿児島市立高等女学校、(私立鶴嶺高等女学校)、鹿児島商業学校、鹿児島市立女子興業学校などの学校が、終戦後の混乱を経て、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校、鹿児島市立鹿児島商業高等学校、鹿児島市立鹿児島女子高等学校へと再編された。
● 鹿児島市立中学校
・ 1940年2月 - 鹿児島市立中学校・鹿児島市立高等女学校新設計画案が市議会にて可決
・ 1940年4月16日 - 鹿児島市稲荷町に第二高等小学校校舎として予定新築された建物を市立中学校校舎とし、第一回入学式挙行(4学級200名)
・ 1948年4月 - 学制改革に伴い、鹿児島市高等学校第一部と改称
● 鹿児島市立高等女学校
・ 1940年4月10日 - 鹿児島市天保山町の八幡小学校校舎を市立高女校舎とし、第一回入学式挙行(4学級212名)
・ 1945年10月 - 校舎焼失のため、バラック校舎を建築、鶴嶺高女と中郡小学校の一部を借りて授業再開
・ 1948年4月 - 学制改革に伴い、市立鹿児島商業と私立鹿児島中学を合併、鹿児島市高等学校第三部と改称
● 私立・鶴嶺高等女学校
・ 1896年 - 島津サエ子により鹿児島市平之町にて開校
・ 1909年 - 鹿児島市清水町へ移転
・ 1940年3月 - 鶴嶺高等女学校並びに鶴嶺女学校、市に移管
・ 1946年4月 - 市立高女に吸収合併
● 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校
・1950年4月 - 鹿児島市高等学校改組に伴い、第一部と第三部普通科が統合し「鹿児島県玉龍高等学校」と改称。全日制普通科課程、男女共学として発足、新たな校地として玉龍山福昌寺跡への移転が決定、工事開始。校舎完成までは市高等学校第一部校舎を使用。なお、第一部商業科と第三部女子商業科とが統合し、鹿児島県鹿児島商業高等学校と改称
・1951年1月 - 現在地に移転
・1951年2月 - アメリカ民事部主催の学校図書館コンクールにて県下第一位となる
・1952年5月11日 - この日を本校の開校記念日と定め、「勧学祭」を実施
・1954年11月 - 全校舎の新築落成、落成式挙行
・1957年 - 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校と改称
・1965年 - 校訓の制定
・2006年 - 鹿児島玉龍中学校を併設、中高一貫校となる
・2012年3月 - 鹿児島玉龍中学校1期生が高等学校(62期生)を卒業

「鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・鹿児島玉龍高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年7月9日7時(日本時間)現在での最新版を取得。


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