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太田第二(普通)
偏差値 | 36( 2つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 72.5点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 6915位/7791校( 学科単位 ) 関東地方 1738位/1967校( 学科単位 ) 茨城県 151位/193校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
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【茨城県立太田第二高等学校】 | |
茨城県立太田第二高等学校(いばらきけんりつ おおただいに こうとうがっこう)は茨城県常陸太田市にあった高等学校。2006年(平成18年)4月に茨城県立里美高等学校を併合し、茨城県立太田第二高等学校里美校としたが、同校は2013年(平成25年)3月に閉校した。茨城県立太田第二高等学校は2017年(平成27年)12月に「第2次県立高等学校再編整備基本計画(2011年[平成23年度]~2020年[平成32年度])」に基づいた「第2次県立高等学校再編整備の後期実施計画」が発表されたことにより、茨城県立佐竹高等学校と統合し、茨城県立太田西山高等学校が設置された。本校は男女共学であるが、2015年(平成27年)現在全校生徒229人のうち男子は37人である。 | |
概要 |
1916年(大正5年)に太田町立実科高等女学校として開校し、2016年(平成28年)に創立100周年を迎える。2015年(平成27年)現在、全日制課程普通科と商業科を設置している。当時、県南・県西では女学校の設置が進んでいたが、県北では未整備であった。そこで太田町では、1915年(大正4年)11月28日の町議会で良妻賢母教育を目的とする「太田町立実科高等女学校」の設置を満場一致で可決し、翌1916年(大正5年)4月に「太田町立太田実家高等女学校」が開校した。第1期生は50人で、修業年限は2年、太田尋常高等小学校(現・常陸太田市立太田小学校)の一角を借用して授業を行い、校長は太田尋常高等小学校長が兼務した。開校後すぐ、1916年(大正5年)9月から太田尋常高等小学校の敷地に高等女学校の校舎の建設を開始、翌1917年(大正6年)3月に新校舎が完成し、移転した。校舎建設費5,200円は寄付と太田町基本財産で賄う予定であったが、篤志家からの寄付が相次いだため、寄付金のみで建設が可能であった。1919年(大正8年)9月、「茨城県久慈郡太田実科高等女学校」に改称、1921年(大正10年)4月には女学校卒業生を対象とした1年制の補習科も併設された。この補習科は1925年(大正14年)閉科と短命に終わった。
一方、女子中等教育をめぐっては、市町村立から県立へ、実科高等女学校よりも「実科」の付かない高等女学校への進学が期待されるようになり、県南・県西ではそれが進んでいたが、またしても県北は取り残されていた。太田実科高等女学校では県立移管を意識して、1925年(大正14年)に「茨城県太田実科高等女学校」への改称と定員の200人への増員を行い、1926年(大正15年)3月には町議会での紆余曲折を経て修業年限の4年への延長と学費の値上げが可決された。同年7月28日には県立移管の請願が町議会で可決され、太田町の周辺町村でも県立移管を推進する動きが高まり、同年11月の茨城県議会で翌1927年(昭和2年、議会中は「大正16年」として)度予算説明で茨城県太田実科高等女学校の県立移管を伊東喜八郎知事が表明し、県立移管が確定的となった。そして1927年(昭和2年)4月1日に県立移管に伴って「茨城県立太田高等女学校」への改称と定員400人への増員が行われた。当時、県立へ移管するには町立・組合立からまず郡立へ移管するのが一般的であったが、茨城県太田実科高等女学校は郡立になることなく一挙に県立に昇格できたことから、太田町民の誇りとなった。その後、新校地が新宿町の「山吹の里」に決定し、1929年(昭和4年)10月に2階建てでクリーム色をしたモダンな校舎が竣工した。机や椅子は生徒が自ら新校舎へ運び入れた。学校施設の整備も進められたが、時代は太平洋戦争による戦時体制となり、1944年(昭和19年)には太田高等女学校の卒業生らが太田女子挺身隊を結成し、同年1月から3月にかけて太田高等女学校内に軍需工場が設置された。更に1945年(昭和20年)になると高学年の生徒が直接日立製作所に通い、工員として各工場で労働することとなった。
1948年(昭和23年)4月1日、太田高等女学校は茨城県立太田女子高等学校に改称、翌1949年(昭和24年)4月1日には茨城県立太田第二高等学校へ改称と同時に共学化された。当時は普通科・家庭科・商業科を置き、毎年10人前後の男子生徒が商業科に入学していたが、1963年(昭和38年)の商業科定員増員時には男子生徒の入学はなく、以降は女子生徒のみとなった。1970年(昭和45年)4月、久慈郡里美村(現在は常陸太田市内)に里美分校を設置する。里美分校は1972年(昭和47年)4月1日に茨城県立里美高等学校として独立する。
■ 年表 ・ 1916年(大正5年)4月1日 - 太田町立太田実科高等女学校として開校、太田小学校の一部を借用。 ・ 1927年(昭和2年) - 茨城県立太田高等女学校に改称。 ・ 1972年(昭和47年)4月1日 - 里美分校が茨城県立里美高等学校として独立。 |
教育の特色 |
伝統文化学習を通して地域貢献のできる人材を育成することを目標としている。全日制普通科を設置し、2010年度の全校生徒数は35人(男子24人、女子11人)であった。当時、茨城県立高等学校の1学級は45人であった。
・ 2013年(平成25年) ・ 3月2日 - 卒業式と閉校式を挙行。そこで、村内に県立高校を誘致する運動が起こり、1970年(昭和45年)に太田第二高等学校の分校として発足した。 里美分校の開校に加え、経済事情の好転、道路整備によるバス通学の実現が重なり進学率は上昇し、1981年(昭和56年)に中学生の進学率は100%となった。 ◎ 太田二高の分校化と閉校の決定 2006年(平成18年)、入学者数の減少により、太田第二高等学校の分校となることが決定した。校歌と校訓は里美高等学校から維持・継承された。その後茨城県教育委員会は、2010年(平成22年)5月25日に第2次県立高校再編整備の前期実施計画を発表し、定員割れの続く里美校の閉校を決定した。常陽新聞の報道によると、定員40人に対し、過去3年の入学者は20人に満たなかったという。2013年(平成23年)3月2日、里美校で卒業式と閉校式が挙行され、最後の卒業生9人が送り出された。 ■ 里美校の部活動 2010年(平成22年)時点で活動していたもの。 ◇運動部 ・ ゴルフ部 ・ 総合体育部 ・ テニス部 ・ バスケットボール部 ◇文化部 ・ 書道部 ・ 総合文化部 |
交通 |
・ 常陸太田市市民バス
・ 二高前バス停より約50m。 ・ 西二町バス停より約750m。 ・ 東二町バス停より約800m。 ・ JR水郡線(常陸太田支線)常陸太田駅より徒歩約20分(約2km)。スクールバスあり。 |
「茨城県立太田第二高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年12月21日23時(日本時間)現在での最新版を取得。