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日本学園(特進)


偏差値50( 3つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)125点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 2564位/7791校( 学科単位 )
関東地方 706位/1967校( 学科単位 )
東京都 237位/567校( 学科単位 )
公立/私立私立
男女男子
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【日本学園中学校・高等学校】
日本学園中学校・高等学校(にほんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区松原二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校での募集があり、特別進学コース、総合進学コース、スポーツコースの3コースに分かれ、その一部が内部進学生と混合のクラス編成となる、併設混合型中高一貫校。2026年度より男女共学化し、となる予定。
概要 杉浦重剛、増島六一郎、宮崎道正らが、共に国粋運動の政教社の同人であった千頭清臣、谷田部梅吉、松下丈吉らに要請され、1885年(明治18年)東京府神田区神田錦町に設立した東大予備門の進学予備校である東京英語学校が前身校に当たる。
沿革 ■ 略歴
1885年(明治18年)に創立された「東京英語学校」が前身に当たる。創立者は杉浦重剛、初代学校長は増島六一郎であった。同じ敷地の門を挟んだ所に、増島によって同年月日に設置願いが出された英吉利法律学校(現在の中央大学)があり、校舎を共有もしていた。当初は、共立学校(現在の開成中学校・高等学校)や成立学舎などを抑えて第一高等中学校(帝国大学予科、後の一高)への進学者数トップ校として知られていた。 1891年(明治24年)の中学校令の一部改正に合わせて校名を尋常中学私立日本中学校とし、進学予備校から尋常中学校への脱皮を図った。しかし、この中学校令の一部改正により(官公立の)尋常中学の設立要件が緩和されたことは、市井の私立校の第一高等中学校など官立高等諸学校への進学が断ち切られたことをも意味し、私立校には軒並み生徒が集まらなくなった。この頃、火災で校舎を焼失し、1892年(明治25年)、半蔵門そばの東京府東京市麹町区山元町に再建。この頃、中村正直の死にあたり同人社を引き取る形で吸収。 1899年(明治32年)に日本中学校と改称、1936年(昭和11年)に現在の世田谷区松原に移転した。戦後に現在の日本学園中学校・高等学校となった。 当時、杉浦がその教育の念頭に置いていたのは、欧化一辺倒に流れる中でも伝統の継承を基本的な課題としたことにあり、官学よりもさらに国威を高めようとするものであった。他方で上級学校への進学にも適応し、明治時代の私立全盛期においては、一高合格者数では獨逸学協会(現:獨協中学校・高等学校)、府立一中(現:東京都立日比谷高等学校)などと並び常に上位に位置していたという進学名門校であったがそうであったように近代化の過程で教育面における伝統の創造的継承という課題にも成功してきたとはいえず、明治後半以降から徐徐に上級学校への進学力も落としていくこととなる。 2007年度から高等学校に「特進コース」を設置。また、日本大学とは無関係だが、中央大学とは設立当初に関わりのあった人物や経緯などから、また当初は東京英語学校から英吉利法律学校へ無試験入学が許可されていたように関係が深い。 2008年度から、同じ世田谷区にある講道学舎の塾生を中学校・高等学校ともに受け入れを開始した。 2012年3月に、明治大学と高大連携協定を締結した。 2026年4月1日に、明治大学の系列校となり、校名を「明治大学付属世田谷中学校・高等学校」に改称し、系列校化と同時に共学化すると公表した。

■ 年表

・1885年 - 東京英語学校として東京府神田区神田錦町(現:千代田区神田錦町)に設立
・1892年 - 尋常中学私立日本中学校に改称
・1899年 - 日本中学校に改称
・1916年 - 東京府豊多摩郡淀橋町(現在の東京都新宿区西新宿)に移転
・1936年 - 現在地に移転
・1948年 - 学制改革により、現在の校名に改称
・1956年 - 中学校の募集を停止
・1989年 - 中学校の募集を再開
・2026年 - 明治大学の系列校として、校名を「明治大学付属世田谷中学校・高等学校」に改称し、共学化すると公表
・AssH(ギタリスト)
◎ 官界

・埴原正直(外務次官、駐米大使 / 山梨尋中を経て入学)
・永井松三(外務次官、駐独大使 / 高師附属を経て入学)
・太田政弘(内務省警保局長、警視総監 / 高橋政知の父)
・荒木貞夫(陸軍大将、東京裁判にて終身刑判決、後釈放)
・小村欣一(拓務次官、外務省情報部長 (1927) / 小村寿太郎の長男)
・白鳥敏夫(駐イタリア大使、東京裁判にて終身禁錮刑判決、昭和24年死去)
・斎藤博(駐米大使 (1933- ))
・佐分利貞男(外務省条約局長)
・川村竹治(内務次官、台湾総督、司法大臣)
・秦豊助(逓信次官、拓務大臣、政友会幹事長 / 府立一中を経て入学)
・中川正左(鉄道次官(1923年))
・川村貞四郎(山形県知事、内務官僚、大日本インキ社長 / 愛知二中を経て入学)
・井上庚二郎(海軍司政長官、駐ハンガリー兼ユーゴ大使)
・磯田三郎(陸軍中将、特務機関「光機関」長)
・和仁貞吉(大審院院長)
・三好達(最高裁判所長官)
・藤島昭(最高裁判所判事)
・尾崎陞(弁護士、東京地裁判事 / 免田事件弁護団長)
◎ 政財界

・吉田茂(内閣総理大臣 / のち数校に在籍)
・芳沢謙吉(外務大臣 / 高田中学を経て入学)
・加藤勘十(労働大臣)
・宮沢胤勇(運輸大臣)
・大口喜六(衆議院議員、初代豊橋市市長、薬剤師)
・田中善立(衆議院議員、僧侶)
・牛島謹爾(カリフォルニア州開拓者、「在米ポテト王」 / のち二松学舎へ)
・小平浪平(日立製作所創業者)
・瀬下清(三菱銀行会長)
・小坂順造(電源開発総裁 / 長野中学を経て入学)
・菅礼之助(東京電力会長 / 秋田中学を経て入学)
・佐藤義夫(新潮社社長)
・鈴木誠一(エステー会長)
・千葉一男(王子製紙会長)
・細川春雄(新京成電鉄会長)
・佐々木弥市(日本石油社長)
・浅野康介(日本軽金属社長)
・井上実(東京銀行頭取)
・榎本龍幸(JR東日本東京本社社長)
・藤井健(三井信託銀行会長)
・三浦勇一(トクヤマ社長)
・本林理郎(日本IBM副社長)
・高井昌史(紀伊國屋書店社長、健康保険組合連合会副会長)
◎ スポーツ

・和宇慶勇二(プロボクサー、1998年度卒業)
・岡部一彦(登山家・画家)
・小原勝郎(マナスル登山隊隊員)
・橋本清(日本山岳会副会長)
・小西得郎(元プロ野球監督、元野球解説者 / 三高を経て入学・明大卒)
・西郷泰之(社会人野球選手、アトランタ五輪日本代表)
・山口貴之(サッカー選手、元ヴェルディ川崎在籍、アトランタ五輪予選日本代表、1991年度卒業)
・竹中穣(サッカー選手、元横浜FC在籍、現FC町田ゼルビアヘッドコーチ、1994年度卒業)
・南陽介 (サッカー選手)(サッカー選手、在籍、1994年度卒業)
・尾亦弘友希(サッカー選手、元セレッソ大阪在籍、2001年度卒業)
・野村政孝(サッカー選手、ロアッソ熊本在籍、2010年度卒業)
・西山祐貴(柔道家)

■ 教職員

・小野喬(本校講師 / メルボルンオリンピック鉄棒 金メダル)
・増村昭策(本校教諭・本校出身 / 日本ラグビー協会副会長、帝京大教授)
・谷川平夫(本校特別顧問・本校出身 / 読売新聞社論説副委員長)

「日本学園中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2023年10月2日22時(日本時間)現在での最新版を取得。

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