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四条畷(普通)


偏差値67( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)188.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 137位/7792校( 学科単位 )
近畿地方 44位/1347校( 学科単位 )
大阪府 17位/422校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【大阪府立四條畷高等学校】
大阪府立四條畷高等学校(おおさかふりつ しじょうなわて こうとうがっこう)は大阪府四條畷市にある公立の高等学校。前身は、明治末期1903年に新設された府立10番目の旧制中学校(修業年限5年間の男子校)。
概要 1903年(明治35年)、10番目の府立中学校として創立された。略称は「畷高(なわこう)」。なお、太平洋戦争終戦後の当用漢字の採用以降、条例上の表記(正式表記)は「四条畷」となっていたが、2003年(平成15年)に表記変更の条例が大阪府議会で可決され、所在地の四條畷市とともに「四條畷」表記に戻された。 戦後の1948年(昭和23年)学制改革により、新制の高校の大阪府立四条畷高等学校に改編され、大阪府立寝屋川高等学校(旧制の府立寝屋川高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学が実施された。 全日制課程普通科の高校だったが、進学指導特色校に指定され改編。2011年(平成23年)度より文理学科が併置された。 2012年から、文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている(2018年に第2期指定)。
沿革 明治期、大阪府は府立中学校(旧制中学校)について、郡部では郡役所の所在地に設置していた(八尾中学校、茨木中学校、岸和田中学校、富田林中学校、池田中学校〈第九中学校〉)。 当時、都心部にある師範学校の大阪府師範学校(大阪市北区)が移転を計画(現・大阪教育大学天王寺キャンパス)。その誘致を北河内郡が計画したものの財政面などから断念し、府立中の誘致へ運動を切り替えた。 府立中の新設地として、郡役所所在地の枚方町も候補に挙がったが、師範学校を誘致の際に“忠君愛国教育の代表モデル楠木正成の嫡男の楠木正行(小楠公)を祀る別格官幣社の四條畷神社が鎮座する甲可村(現・四條畷市)で指導的人物の育成を図るべき”としていた経緯もあり、甲可村へ設置が決定した。また、関西鉄道(現JR西日本片町線)の通る甲可村が、都心部から交通の利便性の良い点も考慮された(当時京阪本線は開業前)。 1901年7月6日に大阪府立四條畷中学校の設置が告示され、1903年2月12日より開校準備事務を開始。4月、甲可村大字南野444番地で開校(現在地)。4月16日に入学式を実施し、翌4月17日より授業を開始した。

■ 開校2年で廃校の危機
旧制中学校や高等女学校など中等教育機関への進学率向上に伴い、かねてから過密の大阪市内の府立中3校(北野〈府立第一中学校〉・天王寺〈第五中学校〉・市岡〈第七中学校〉)の入学難が1905年に顕著化した。日露戦争を挟んで財政難に陥っていた大阪府は、1903年に同時開校し間もない池田中と四條畷中のどちらか1校を廃校として運営費用を捻出。大阪市内に府立中を新設することとした。結果、池田中が1906年3月31日で廃校となり(廃止を3月9日付の文部省告示第41号で認可)、代わりに翌4月に府立今宮中が新設された(開校を3月9日付の文部省告示第44号で認可。現・大阪教育大学の旧池田キャンパス)。ちなみに、再び府立中の未設置の郡となった豊能郡は、1921年の府立豊中中学校設置まで15年以上待つことになる。

■ 学制改革、定時制、交野分校
太平洋戦争後の学制改革に伴い、1948年(昭和23年)に大阪府立四条畷高等学校となった。大阪府立寝屋川高等学校(旧制の府立寝屋川高等女学校)との生徒交流で男女共学となる際、大阪市立高等学校(旧制の大阪市立中学校)も含めた3校構想もあった。 修業5年制から新制3年制への移行措置の「併設中学校」の3年生と高校1年生について、京阪本線沿線に在住生徒は寝屋川高校に、国鉄片町線沿線に在住生徒は四條畷高校に振り分ける形をとった。四條畷高校の男子は1948年4月に寝屋川高校へ転出したが、寝屋川高校側は四條畷高校へ転入対象の女子の数が少ないうえ、転入を不安視する声が保護者から挙がり急遽、見合わせ。2か月後(1948年6月)転入試験の形で女子生徒を一般募集。翌1949年、寝屋川高校からの転入対象と転入試験で合格した女子生徒が6月26日付で四條畷高校に転入し、男女共学が始まった。 1948年10月に夜間定時制課程が発足。普通科・商業科・家政科・農業科を募集し、いわゆる高校三原則に基づく総合制高校を構想したが、志願者の関係などから普通科を主体とした。 夜間定時制は2000年代の大阪府立定時制高校統廃合計画の対象となり、2005年(平成17年)以降の新入生募集を停止。最後の卒業生を送り出した2008年3月末、廃止(閉課程)となった。
◇町立裁縫専修学校を継承した交野分校 定時制は「中心校」と称する四條畷本校のほか、1951年(昭和26年)に北河内郡交野町(現・交野市)に「交野分校」も設置された。分校は「交野町立裁縫専修学校」(1902年創立)を継承する形で、交野町立交野小学校内に併設され、昼間定時制の家庭科も併置していた。 その後、交野分校に志願者が急増し校舎改築の声も挙がったが、同時期の枚方市での府立高校誘致運動の影響を受け、交野分校は1964年、枚方市で初の府立高の大阪府立枚方高等学校に移転。教育実践を継承させる形をとり、1966年に最後の卒業生を出して閉校した。なお、枚方高校の家政科は1975年に廃止された。 なお、交野分校の母体とも言える裁縫専修学校の源流は、1898年(明治31年)に北河内郡交南高等小学校に併設された裁縫専修科。校舎共用のまま1902年に独立し、「北河内郡交野村外四ヶ村学校組合立交南裁縫専修学校」として開校。1909年に「北河内郡交野村外四ヶ村学校組合立女子手芸学校」へ改称。1919年に交南高等小が廃校となり、高等科を交南尋常小学校(現・交野市立交野小学校)内に移管して北河内郡交南尋常高等小学校となった。これに伴い、女子手芸学校も交南尋常高等小に移転し、「北河内郡交南尋常高等小学校附設裁縫学校」へ改称した。 その後、「北河内郡交南尋常高等小学校附設交南裁縫学校」(1929年)、「公立交南裁縫女学校」(1933年)へ改称。1935年に青年学校令により農業補習学校などと統合され、「公立交南青年学校交野裁縫女学校」へ改編。「交野町立交南青年学校交野裁縫学校」(1939年)、「交野町立交野高等実践女学校」(1945年)への改編(改称)を経て、1948年に「交野町立裁縫専修学校」となった。しかし1951年に廃校となり、校舎を定時制交野分校が引き継いだ。

■ 年表

・ 1901年(明治34年) - 7月6日、文部省告示により「大阪府立四條畷中学校」設置が認可に指定
・ 2011年 - 文理学科を募集開始
・ 2012年 - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定。
・ 軽音楽部 - 2017年、軽音楽系クラブの全国コンテスト「スニーカーエイジ」第38回大会の最終グランプリ大会に出場。 そのほかのクラブ活動も、陸上、水泳、バドミントン、ソフトテニス、硬式野球、サッカーの各部、囲碁同好会等が活発である。
授業 2009年(平成21年)の進学指導特色校の指定に伴い、授業が1時限65分間に増えた。目標別クラス編成による少人数授業(2年生数学、3年生英語)や、土曜・夏季休業中の補習も実施している。 また、各界で活躍の卒業生による講演会「飯盛セミナー」を年1、2回実施したり、大学のオープンキャンパスへの積極参加を生徒に促したりしている。
学校施設 敷地内のほとんどが雁屋遺跡に含まれているため、新校舎建設や改築に伴う発掘調査で、弥生時代の遺構や土器などが多数出土した。出土品の一部は100周年記念館「楠葉館」の中で展示されている。
◇校舎 創立時の木造校舎の改築が1930年代に議論され、1932年度と1933年度に予算が付き着工したが1934年9月21日、室戸台風で講堂・雨天体操場が倒壊し、教室が半壊した。生徒や教職員は校内にいたが人的被害はなかった。復旧も兼ねて工事が急がれ、1936年12月に鉄筋コンクリート校舎が竣工した(現・本館校舎)。 老朽化に伴い、1993年(平成5年)から体育館の改築、新理科棟の建設、校舎(本館・新館・新新館)の改修、グラウンド改修が順次行われ、2007年に完了した。なお、本館校舎は2005年7月、国の登録有形文化財に登録された。

◇迷彩と転用 校舎は太平洋戦争中に戦時転用の対象となり、1944年10月に日本放送協会(NHK)大阪放送局が校舎内に疎開(大阪市馬場町の局舎が破壊された場合の代替)。12月に大阪陸軍造兵廠の機能も一部移転された。 また、空襲の目標となることを避けるため、1945年4月から5月にかけて生徒も動員し、大阪陸軍造兵廠により、本館校舎に黒タールで迷彩を施した。迷彩は戦後1953年に消されたが、2005年(平成17年)の校舎改修まで、雨の日に黒い迷彩模様が表面に滲み出していた。 学制改革の際、アメリカ軍などGHQの意を受けた大阪府は、旧制中等学校校舎の15%を新制の中学校の校舎として貸し出す方針を決定。これに伴い1947年4月28日、校舎の一部を町立四條畷中学校(現・四條畷市立四條畷中学校)に貸し出し、2校で同居した。新制の四條畷中学校は独立校舎の完成で翌1948年5月14日に退去したが、4日後の5月18日より北河内郡学校組合立讃良中学校(現在の大東市立四条中学校および大東市立住道中学校)へ貸し出し、再び2校で同居した(讃良中は1949年3月に退去)。
高校関係者と組織 ■ 関連団体

・ 大阪府立四條畷高等学校同窓会 楠葉会 - 同窓会。読み方は「なんようかい」。80周年記念事業で財団法人楠葉尚学会を設立し、奨学金制度も発足。同尚学会により四條畷市の複合レクリエーション施設・緑の文化園(大阪府立花の文化園)内に「青少年交流センター(楠葉ロッジ)」が建設された。

■ 高校関係者一覧

◎ 政治・行政

◎ 経済

◎ 学芸

◎ 芸能

◎ スポーツ

・ 神崎範之 - フィギュアスケート選手
・ 宮地克実 - ラグビー選手・指導者、元ラグビー日本代表監督

■ そのほか関係者

・ 牧田宗太郎 - 第3代校長。学校法人四條畷学園創設者

「大阪府立四條畷高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2021年5月6日20時(日本時間)現在での最新版を取得。

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