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富田林(普通)
偏差値 | 63( 4つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 173.75点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 457位/7791校( 学科単位 ) 近畿地方 120位/1347校( 学科単位 ) 大阪府 45位/422校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
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【大阪府立富田林中学校・高等学校】 | |
大阪府立富田林中学校・高等学校(おおさかふりつとんだばやしちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tondabayashi Junior and Senior High School)は、大阪府富田林市にある公立中高一貫校の高等学校および中学校。 | |
概要 | 富田林高等学校は1901年創立。全日制普通科を設置する。かつては定時制課程も併設していたが、閉課程となっている。 2017年度より併設中学校の大阪府立富田林中学校を設置し、中高一貫教育を実施している。大阪府立学校としての中高一貫校の設置は初となる。 通称「富高/富中(とんこう/とんちゅう)」。比較的自由な校風であり、高校では学校が指定した日以外では私服での通学が認められている。指定されている制服は男子が学ラン、女子がセーラー服であるが、2023年度の中学校入学生(7期生)より、ユニセックスのブレザーを選択することも可能となっている。「全部全力」をモットーに掲げており、文化祭や体育祭、ペナントなどの行事は活発である。また、部活動は全国経験が文化部を中心に豊富である。 探究活動に力を入れており、2017年度よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。ユネスコスクール(ASPnet)やスーパーサイエンスハイスクールの制度を利用した海外での語学研修や国内の実験施設見学等も実施されている。 同窓会報は「菊水郷」といい、校章に地元・南河内に本拠を置いた楠木氏の家紋「菊水」があしらわれていることに由来する。 |
沿革 |
■ 旧制・富田林中学校 文部省は1900年9月5日、大阪府第八中学校を1902年4月に開設する告示を出した。大阪府第八中学校は南河内郡川西村(現在の富田林市)に開設することもあわせて告示されている。 一方で地元住民らは早期開設を求めて大阪府に陳情を繰り返すなどした。その結果、大阪府第八中学校は当初の開校計画より1年繰り上がり、1901年4月の開校が決まった。 大阪府会郡部会は1900年12月に開校時期繰り上げを決定した。文部省は1901年2月9日、大阪府第八中学校の開校を1901年4月に修正する告示を出した。 大阪府第八中学校は1901年3月7日に設置され、開校準備作業を実施した。大阪府の中学校・高等女学校では学校設置順による番号での校名を廃して所在地の名称を校名に取り入れることになったことに伴い、1901年4月の開校と同時に大阪府富田林中学校へと改称している。学校の場所は南河内郡川西村大字甲田字谷毛寺(やもじ)の現在地である。 開校直後の1901年4月8日付文部省令により、中学校・高等女学校などの名称について「○○県立・○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することが義務づけられ、この命名規則に沿っていない既存校については6ヶ月以内に変更する指示がされた。これに伴い大阪府のすべての中学校・高等女学校では、1901年4月に「大阪府○○中学校/高等女学校」と改称された校名を、2ヶ月後の1901年6月に「大阪府立○○中学校/高等女学校」へと一斉に再変更することになった。これに伴い1901年6月3日付で大阪府立富田林中学校に改称している。 1901年6月13日に開校式がおこなわれている。旧制中学校時代は、当時の政府の方針に加えて学校所在地が楠木正成の出生地に近いことから、楠木正成と結びつけた忠君愛国教育がおこなわれた。校章については、当初は六稜に第八中学校を表す「八」をあしらったものであったが、大阪府立八尾中学校(現在の大阪府立八尾高等学校)と間違われやすいことから、1927年に菊水紋をあしらった現在のものへ変更された。 1902年には遠方在住生徒向けの寄宿舎が併設されたが、1935年5月23日に校舎が火災にあったことを機に廃止されている。 ■ 富田林高等学校 学制改革により、1948年に大阪府立富田林高等学校が発足した。大阪府立河南高等学校(大阪府立富田林高等女学校)と男女生徒を交流して男女共学を実施している。なお当初は大阪府立黒山高等学校(現在の大阪府立登美丘高等学校、旧制大阪府立黒山高等女学校)とも男女生徒交流の案もあったが、大阪府は「強いて実行する必要はない」などと消極的な見解をとるなどしたため、黒山高等学校との交流案は立ち消えになっている。 新制高校の校名については、当時の富田林町に高等学校が2校あったことから、学校所在地の位置関係から旧制富田林中学校を「富田林東」、旧制富田林高等女学校を「富田林西」にする案が検討された。しかし富田林中学校を富田林高等学校、富田林高等女学校を河南高等学校にする案で決着した。 新制高等学校発足直後の1948年5月、GHQの指令により河南高等学校校舎を新制富田林町立中学校(現在の富田林市立第一中学校)校舎として転用することになった。このため河南高等学校は富田林高等学校内に移転して同居している。河南高校は1951年に自校舎へ復帰している。 1960年代以降高校生急増期を迎え、1960年代から1970年代にかけて校舎を増設している。 1962年には家政科を併設した。しかし普通科志望者の増加や家政科在籍者の進学希望者の増加、複数学科併置による指導の難しさなどが指摘され、家政科廃止の案が1978年に職員会議で出された。家政科は1980年度に募集停止となり、その分を普通科の増学級に振り分けられた。 1930年代以降使用していた校舎の老朽化が目立つようになったため、大阪府議会で1991年、校舎改築予算が成立した。校舎建設に先立ち、1994年から1995年にかけ、校内の校舎建設予定地周辺で谷川遺跡の発掘調査がおこなわれた。発掘調査終了後に校舎建設工事が進んだものの、大阪府の財政難のため1996年7月の第一期工事竣工後、建築工事が一時中断することになった。約10ヶ月後の1997年5月に工事が再開され、1999年7月に完成している。以前校舎があった場所は現在グラウンドになっている。 2017年度には富田林高等学校の校地内に中学校を開校した。大阪府立として設置された学校としては初めての中高一貫校となった。中学校3クラス・高等学校6クラスを設置し、通学区域は大阪府全域となっている。 |
部活動 | 多くの生徒がクラブに所属しており活発に活動している。陸上部はインターハイ出場経験があり、ラグビー部は1988年度大阪大会決勝まで進んだが、全国優勝した大阪工大高に敗れた。 文化系では、全国高等学校総合文化祭など全国大会への出場経験もある。 |
交通 | ・ 近鉄長野線 富田林西口駅 南東へ約700m。 |
「大阪府立富田林中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年10月6日1時(日本時間)現在での最新版を取得。