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盛岡工業(全科)


偏差値44( 2つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)102.5点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 4159位/7791校( 学科単位 )
東北地方 371位/759校( 学科単位 )
岩手県 40位/108校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【岩手県立盛岡工業高等学校】
岩手県立盛岡工業高等学校(いわてけんりつもりおかこうぎょうこうとうがっこう,)は、岩手県盛岡市に所在する県立工業高等学校。「盛工」(もりこう)の通称で呼ばれている。
概要 ◇ 歴史 : 1898年(明治31年)に「岩手県実業学校」として開校。2013年(平成25年)に創立115周年を迎える。 : 工部省赤羽工作分局より機械工場とともに引き継がれた「菊花御紋章付平削盤」は、日本機械学会「日本の工作機械100選」に認定され、国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に寄託・展示されている。
◇ アクセス  : 岩手県交通が運行している。以下の路線バスに乗車。 :
・ 「盛岡工業高校前」下車。※は終点の路線 :
 ・ 盛岡駅(東口13番のりば)・盛岡バスセンターより「501」 :
 ・ 飯岡駅西口より※「盛岡工業高校行」 :
・ 盛岡駅東口13番のりばより、「上湯沢」下車。徒歩5分。○は14番のりばからの路線 :
 ・ 「504・505・○510」 : 盛岡南ICより車で約10分。
◇ 校訓 : 「質実剛健」
◇ 教育目標
・ 科学性と創造性の陶冶
・ 勤労精神と責任感の高揚
・ 敬愛と互助精神の涵養
◇ 校章 : 桐紋の上に、「高」の文字を置いている。 由来︰たくましく成長する南部桐のように、寒風にも負けず、雄々しく活躍し、学業や技術の修得に弛まぬ精進を続ける本校生徒の意欲と刻苦、研鑽を象徴するもの。
◇ 校歌
・ 1928年(昭和3年)に制定。作詞は土井晩翠、作曲は山田耕筰による。歌詞は3番まである。また校歌とは別に第一から第七までの応援歌、および盛工応援団節がある。 【岩手県立盛岡工業高等学校 校歌】 1.大空に岩手聳えて 大原を北上走る 東北の郷のもなか 工業の教への庭に 集まれる子弟幾百 ああ健児勉めざらめや 2.厚生と利用のみちに 目にふるゝ文化の器 目に見えぬ理想をおはん 高くして遠き未来の あこがれも嬉し青春 ああ健児勉めざらめや 3.紅の頬の光の さめぬ間に業にいそしみ 身をたてゝ家を治めて 國に世につくさん願ひ 向上の一路辿りて ああ健児勉めざらめや
沿革 ◇ 旧制・工業学校
・ 1897年(明治30年)3月29日 - 「岩手県実業学校」の設立が文部大臣に認可され、教室・木工場と付属建物が盛岡市内丸に完成。
・ 1898年(明治31年)
 ・ 3月19日 - 徒弟学校規程に基づき校則を制定。金工科と木工科の生徒を募集。
 ・ 5月9日 - 授業を開始。
 ・ 12月10日 - 開校記念式典を挙行。
・ 1901年(明治34年)
 ・ 2月 - 工業学校規程に基づき、「岩手県工業学校」と改称。本科、乙科、別科のそれぞれに金工科、木工科を設置。
 ・ 6月 - 「岩手県立工業学校」と改称(県の後に「立」を加える)。
・ 1904年(明治37年)2月16日 - 校則の改正により、乙科を廃止し、本科と別科のみとする。本科の金工科と木工科を機械科と建築科に改称。別科に漆工科を増設。
・ 1908年(明治41年)
 ・ 4月 - 別科漆工科を廃止。
 ・ 12月10日 - 教職員・生徒の拠出金により校旗を作製。
・ 1915年(大正4年)10月 - 建築工場と建築材料庫を増築。
・ 1923年(大正12年)1月 - 別科を廃止し、新たに土木科を増設。
・ 1928年(昭和3年)8月 - 校歌を制定。
・ 1935年(昭和10年)4月1日 - 別科を復活させ、金工科と木工科を増設する。
・ 1937年(昭和12年)
 ・ 4月4日 - 機械建築工場以外のすべてが上田新校舎に移転。応用化学科を増設。
 ・ 10月1日 - 臨時工業技術養成の目的とした第二部機械科を新設。
・ 1938年(昭和13年)4月 - 別科を専修科に改称。
・ 1939年(昭和14年)4月1日 - 県立工業学校の新設に伴い、「岩手県立盛岡工業学校」と改称。
・ 1940年(昭和15年)3月 - 新たに5年制を併設。機械科卒業生の寄贈により建築製図室と普通教室を増築。
・ 1941年(昭和16年)3月31日 - 第二部機械科と専修科を廃止。
・ 1943年(昭和18年)4月1日 - 応用化学科を工業化学科に改称。
・ 1946年(昭和21年)3月27日 - 3年制度を廃止し5年制度のみとする。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
 ・ 工業学校の生徒募集を停止。
 ・ 新制中学校を併設(名称:岩手県立盛岡工業学校併設中学校、以下:併設中学校)し、工業学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
 ・ 併設中学校はあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 ・ 工業学校3・4年修了者は、そのまま工業学校4・5年生として在籍。
◇ 新制・工業高等学校
・ 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、工業学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡工業高等学校」が発足。
 ・ 工業学校卒業生を新制高校3年生として、工業学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
 ・ 併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
 ・ 併設中学校は継承され(名称:岩手県立盛岡工業高等学校併設中学校)、その在校生は1946年(昭和21年)に工業学校へ入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)
 ・ 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
 ・ 4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編により、総合制高等学校「岩手県立高松高等学校」と改称。普通科を増設し、男女共学を開始。校章を改定。
・ 1953年(昭和28年)4月1日 - 「岩手県立盛岡工業高等学校」(現校名)に復称。普通科は存続。
・ 1955年(昭和30年)4月1日 - 定時制課程機械科を設置。
・ 1958年(昭和33年)
 ・ 4月1日 - 岩手県美術工芸高等学校の廃止に伴い、工芸科を新設し、美工分校舎で授業を開始。
 ・ 10月10日 - 創立60周年を記念し、グラウンドを拡張。
・ 1959年(昭和34年)
 ・ 4月7日 - 電力科と電気通信科を設置し、美工分校舎で授業を開始。
 ・ 5月 - 上田神庭山に寄宿舎を新設し、入舎を開始。
 ・ 8月19日 - 火災により、講堂と家庭科教室を消失。
・ 1960年(昭和35年)12月25日 - 工芸科の校舎が完成し、美工分校舎からの移転を完了。
・ 1961年(昭和36年)3月 - 体育館が完成。
・ 1962年(昭和37年)10月 - ラグビー部、第17回国民体育大会(岡山県)で優勝。
・ 1963年(昭和38年)4月1日 - 学科改編
 ・ 機械科と工業化学科の編成を各2学級とする。
 ・ 電力科を電気科に、電気通信科を電子科と改称。
 ・ 定時制課程に電気科を新設。
・ 1964年(昭和39年)5月25日 - 建築科と工業化学科に実習棟を増築。
・ 1966年(昭和41年)
 ・ 1月 - ラグビー部、第45回全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝。
 ・ 3月31日 - 普通科を廃止。
・ 1968年(昭和43年)4月1日 - 工芸科を募集停止し、デザイン科を新設。
・ 1970年(昭和45年)
 ・ 4月 - 紫波郡都南村大字羽場字松崎に新校舎が完成し移転。
 ・ 10月 - ラグビー部、第25回国民体育大会(岩手県)で優勝。
・ 1971年(昭和46年)1月 - ラグビー部、第50回全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝。
・ 1973年(昭和48年)
 ・ 3月31日 - 校地の東端に寄宿舎を新築し、入舎を開始。
 ・ 4月 - 工業化学科を1学級減じ、情報技術科を新設。
 ・ 8月13日 - プールが完成。
・ 1981年(昭和56年)
 ・ 4月 - 定時制課程機械科に技能連携制度を新設。
 ・ 8月 - 野球部が岩手県代表として第63回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
・ 1982年(昭和57年)
 ・ 3月 - 庭球コート用地に第二体育館が完成。
 ・ 8月 - 野球部が第64回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に2年連続で出場。
・ 1989年(平成元年)
 ・ 3月21日 - 校地の東端に合宿所「桐工会館」が完成。
 ・ 4月1日 - 機械科を1学級減じ、電子機械科を新設。
・ 1992年(平成4年)4月1日 - 盛岡市と都南村の合併により、学校所在地の表記が盛岡市羽場第18地割11番地1に変更となる。
・ 1994年(平成6年)
 ・ 3月 - 家庭科実習棟が完成。
 ・ 4月1日 - 学科改編により、定時制課程の機械科と電気科の生徒募集を停止し、定時制課程工業科を新設。
 ・ 11月 - 校舎大規模改造工事を開始。
・ 1997年(平成9年)
 ・ 3月31日 - 定時制課程機械科と電気科を廃止。
 ・ 8月 - 機械科実習棟を改築。
・ 1999年(平成11年)
 ・ 2月 - ウェイトリフティング場が完成。全天候に対応できるテニスコートを整備。
 ・ 3月 - 情報技術科実習棟と工業化学科実習棟、プールを改築。
・ 2000年(平成12年)
 ・ 3月21日 - 創立100周年を記念し「盛工百年館」が完成。
 ・ 3月27日 - 建築科・土木科・デザイン科実習棟を改修。
 ・ 3月31日 - 太陽光発電装置を設置。
・ 2001年(平成13年)6月22日 - 所蔵の菊花御紋章付門形平削盤(明治12年、工部省赤羽工作分局製)が国の重要文化財の指定を受ける。
・ 2003年(平成15年)4月1日 - 電子科と情報技術科の生徒募集を停止し、電子情報科を新設。
・ 2005年(平成17年)3月31日 - 電子科と情報技術科を廃止。
・ 2008年(平成20年)4月1日 - 建築科とデザイン科の生徒募集を停止し、建築・デザイン科を新設。
・ 2009年(平成21年)4月-ウエイトリフティング場に隣接した室外トイレ完成。
・ 2010年(平成22年)3月31日 - 建築科とデザイン科を廃止。
部活動 :部活動が盛んであり、ラグビー・アマチュアレスリング・ウエイトリフティング・スケートなど全国大会でも活躍している。特に盛岡工業高等学校ラグビー部は、現在までに35回の全国高等学校ラグビーフットボール大会への出場と2度の全国制覇を果たしている強豪校である。
◇ 運動部
・ 陸上競技部
・ 硬式野球部
・ バスケットボール部
・ バレーボール部
・ ラグビー部
・ 柔道部
・ 水泳部
・ 登山部
・ スキー部
・ スケート部
・ 硬式テニス部
・ ソフトテニス部
・ レスリング部
・ アーチェリー部
・ 卓球部
・ ウエイトリフティング部
◇ 文化部
・ 吹奏楽部
・ 茶華道部
・ 化学部
・ 写真部
・ アマチュア無線部
・ 美術部
・ 演劇部
・ 文学部
・ 天文部
・ マイコン部
・ 自動車部
・ 囲碁将棋部
・ ギター同好会
著名な出身者 ・ 佐藤良一 - 元プロ野球選手
・ 田鎖博美 - 元プロ野球選手
・ 小田英明 - 元プロ野球選手
・ 高橋幸二 - 元プロ野球選手
・ 加賀元 - 元プロ野球選手
・ TAKAみちのく - プロレスラー
・ Hi69 - プロレスラー
・ 佐々木大地 - プロレスラー
・ 中村圭吾 - プロレスラー
・ 佐々木功 - 陸上選手
・ 小野寺政人 - ラグビー選手
・ 笹田学 - 元ラグビー日本代表選手
・ 小原義巧 - ラグビー選手
・ 川崎清純 - ラグビー選手
・ 川崎龍清 - ラグビー選手
・ 七戸昌宏 - ラグビー選手
・ 高城良太 - ラグビー選手
・ 瀧澤陽兵 - ラグビー選手
・ 佐々木和樹 - ラグビー選手
・ 高城佑太 - ラグビー選手
・ 楢山直幸 - ラグビー選手
・ 藤原誠 - ラグビー選手
・ 細川諭 - ラグビー選手
・ 田村正彦 - 八幡平市長
・ 柳村純一 - 元滝沢村長
・ 横澤高徳 - 参議院議員、チェアスキー選手
・ 中嶋英夫- 元衆議院議員(旧制)

「岩手県立盛岡工業高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年3月29日2時(日本時間)現在での最新版を取得。

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