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甲陽学院(普通)


偏差値71( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)203.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 33位/7792校( 学科単位 )
近畿地方 12位/1347校( 学科単位 )
兵庫県 2位/305校( 学科単位 )
公立/私立私立
男女男子
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【甲陽学院中学校・高等学校】
甲陽学院中学校・高等学校(こうようがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県西宮市(阪神間)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。現在は完全中高一貫校で、中学校と高等学校の所在地は異なる。設置者は学校法人辰馬育英会(白鹿グループ)である。
概要 関西教育界の第一人者で、女子教育で定評のあった伊賀駒吉郎が「官立学校は型にはまった教育しかできない」と「自由な私学」を求め、1917年(大正6年)、阪神間枝川(現在の甲子園)の地に「私立甲陽中学」を創立。開校前から自由、ハイカラ、ハイソという評判があった。 「桜梅桃李一時春」を建学の精神とし、『甲陽十二訓』、自由主義の下、「明朗・溌剌・無邪気」、「気品高く教養豊かな有為の人材の養成」を目的とする校風が自主的に育まれた。当時の学級の構成は「桜・梅・桃・李」である。 第一次世界大戦後の不況により本学の経営が困難に陥るが、白鹿の酒造家である辰馬吉左衛門が私財を投じ1920年(大正9年)3月、財団法人辰馬学院を設立。中学校令に基づく中学校を発足させる。酒造家ならではの経営を行い、教育に関しては一切を歴代の校長に任せた。 戦後の学制改革では、パブリックスクールを手本の一つとして新体制が整えられた。当時の校長と理事長の2人で京大、阪大などを歴訪し新教員をリクルートした。 新制以来、所在地が中学と高校で別であるのは特徴的である。現在は、中学は海風薫る浜辺に、高校は天を仰ぐ山辺に、ともに阪神間文教都市西宮市夙川沿いにある。以来、甲陽の歴史は、自然とのふれあい豊かな環境とともにある。 所在地の違いは中学、高校の校風にも反映されており、中学では制服があり規律正しいが、高校では校則もほぼなく自由となる。 酒造家による経営が反映され、人間形成に役立つ生業(体育、芸術、マナーなど)に力を入れている。「文化祭」ではなく「音楽と展覧の会」という行事が存在する。 賢明な経営手腕の下、在校生・教職員・卒業生の三極による、学校内で完結した学問、教育の場を目指している。現在までに約2万人の卒業生を輩出している。
環境 創立者伊賀駒吉郎は、自由な私学を念願し、1916年(大正5年)に阪神間枝川周辺(現在の甲子園)の景色を見てその地に旧制「私立甲陽中学」を創立。創立当初の甲陽中学は、近くの枝川にはアユなどが泳いでおり、魚釣りをする生徒もいた。辺りは見渡す限りのイチゴ畑で、その中を阪神電車が走っていた。球場もできる前であった。 戦後の学制改革の際に中学部を香櫨園に新設した。 枝川の清流と白砂青松を誇った高校校舎の外周も、騒音と排気ガスにより環境が悪化した。そのような折に辰馬家はいち早く校舎移転を唱え、甲山山麓の辰馬家所有地を提供、1978年(昭和53年)に移転した。 自然豊かな環境とともにあり、生徒の年齢発達に応じた、一層実りの多い中高一貫教育を行うために、中学と高校の立地、設備を別々に備えている。
設備 中学と高校で校地が異なる。中学、高校のそれぞれで設備が独立しており、中学、高校のそれぞれに、講堂、図書室、食堂、体育館、テニスコート、プールがそれぞれに設置されている。ただし、トレーニングジムは安全性のため高校のみにある。 香櫨園の中学校地では、1993年(平成5年)8月に中学旧校舎東側に新校舎が竣工した。旧校舎は一部改築され講堂・芸術棟、食堂および記念塔として使用している。2017年3月には100周年記念事業として、中学講堂が新築された。
教育方針 創立以来の「桜梅桃李一時春」の理念で、気品高く教養豊かな有為な人材を養成することを目的としている。 中学では規律、高校では自主性・創造を重視している。中学では黒の詰襟学ランおよび白ポロシャツの制服があり、身だしなみについて細やかな注意や学習方法の指導がある。 一方、高校では頭髪、服装は全面的に自由になり、自律が期待される、「甲陽負けじ魂」という言葉がよく薫陶に用いられている。 将来大学で学ぶ者、つまり「いい大学生」のために、充分な学力と体力とを練磨する。保護者や塾・予備校の関与は最低限に抑えている。
◇学術 :「甲陽は教育をする場ではなく、学問をする場である」という言葉が受け継がれてきた。このような学問第一の伝統の下、授業の進度は早く、中学で高校課程の範囲のほとんどを修了する。 :成績の席次は発表せず、安易な序列意識、階層意識が生まれないようにしている。
◇芸術 :文科省の標準授業時数よりも多く授業時間数をとっている。
象徴 ■ 校章
中高はともに夙川沿いにあり、中学の校章は海の近く、高校の校章は山の上つまり空近くにあることを象徴した意匠となっている。学院歌の一節にはこのことを謳った「山に問えば山は答え、海に問えば海は答える」という件がある。

■ 歌

・甲陽学院のうた:作詞:竹中郁 / 作曲:清水脩
・甲陽学院応援歌:作詞:山田在夫 / 作曲:山田耕筰
・甲陽学院中学校校歌:作詞:丸谷緑野 / 作曲:花輪洋
・甲陽学院高等学校校歌:作詞:山田在夫 / 作曲:信時潔 よく歌われるのは「甲陽学院のうた」であり、「学院歌」と呼ばれる。したがって、校歌を歌う機会がないまま卒業する生徒も多い。

■ 建学の精神

・桜梅桃李一時春 :創立者伊賀駒吉郎の愛誦する句であった。それは自由な環境の中に強い自主性を育て祖国愛に燃える識見高い日本青年を世に送ろうとする伊賀の建学の精神でもあった。

■ 設立趣旨
古人曰く、一年の計は穀を植うるにあり、十年の計は木を植うるにあり、百年の計は人を植うるにありと。天下の英才を教育して、各其の天稟を發揮せしめ、光彩陸離百花爛漫の偉観を現出するは、啻に國家百年の大計たるのみならず、人生の快事之れより大なるは無かる可し云々。

■ 甲陽十二訓
一. 青年期は人生無二の修養期なり少年老い易く学なり難し一寸の光陰軽んず可からず未だ覚めず池塘春草の夢階前の梧葉巳に秋声あり 二. 行為を蒔けば習慣を刈取り習慣を蒔けば品性を刈取り品性を蒔けば運命を刈取る 三. 過去を払拭せよ未来は信頼せよ而して光栄ある現在に生活せよ この他に第四訓から第十二訓まである。
活動 ■ 野球
戦前は野球の戦績が優秀であった。第9回全国中等学校優勝野球大会(1923年(大正12年))では初出場で優勝。逆転に次ぐ逆転での優勝であった(このとき「甲陽負けじ魂」という言葉が生まれる)。なお、鳴尾球場での立命館中との試合で観客がなだれ込み、翌年の甲子園球場建設の一因となった。
・選抜中等学校野球大会(春季、現:選抜高等学校野球大会)- 出場8回、ベスト4:2回、ベスト8:3回
・全国中等学校優勝野球大会(夏季、現:全国高等学校野球選手権大会)- 出場4回、優勝1回、ベスト4:2回、ベスト8:1回 :(試合経過はを参照) 1938年(昭和13年)の第24回の夏の大会を最後に一度も出場していない。そのため、特に旧校地時代は「近くて遠い甲子園」と呼ばれている。
甲陽の由来 ◇精神 :法華経、白鹿酒造、自然環境(海、浜、川、山、空)と密接な関係があり、その精神は、「在野精神」、「おっとりした気風」、「起業精神」と評されている。 :「甲陽学院の血」という言葉が成立を見るなど、独自の精神の血脈を有する。イギリスのパブリックスクール、イートン・カレッジやハーロー校に通じる精神を持つといわれる。 :創立百周年の2017年度には、第四代校長丸谷喜市の詩をもって、第十一代校長今西昭により、「さやけさ」がその精神として示された。
◇理念 :孝養心を秘めた識見高い青年の輩出を目指す。銘酒の醸成のように、焦らず競わず衒わず長期的展望に立った人間教育を方針とする。 :教職員は、一人の人間に対し、目は離さないが干渉せず、失敗さえも黙って見守る。生徒の内発的なものの萌芽、内なるものの開花を辛抱強く待つ。
◇食 :甲陽では創立以来、食を大切にしている。旧制時代では食堂棟を独立に設け、プロの料理人が経営、当時にしてカレーライス、ハヤシライス、日替わりランチがメニューに存在していた。
◇同窓生 :本学院は時代に阿らずずっと変わらないことが重要であるとしており、苦悩し、傷心したときに立ち上がるための力が得られる「母港」であろうとしている。 :学校訪問、補習、講演、甲陽だよりなど様々な繋がりを通して、教職員、在校生を支え、薫陶する。 :同窓会には、「君子の交わりは淡きこと水の如し」、「同窓会を政治や商売などの場にしない」、「社会上の肩書きは捨てあくまで甲陽人として」などの理念がある。ネットを通して世界中で地域甲陽会を作り、地域交流を図ることを目的としている。
◇学術 :法華経の原理(桜梅桃李、日蓮御義口伝)、日本酒酒造、阪神間地域、自然環境を背景に、独自の文化が醸成してきた。
◇地域学 :地域の文化(地域学)には当地に固有の私学の風土が介在している。 :1947年(昭和22年)に甲陽史学会が結成され、現在まで地域研究、自学史研究などの分野で業績を残してきた。この会の目的には、本学院を地域(阪神間)に根差したものにするということもあった。 :甲陽史学会が阪神間地域学研究の一つのルーツとなっている。文教都市西宮市において文教の振興に貢献してきた。
◇甲子園球場 :甲子園時代、校地の南隣に阪神甲子園球場が建設されたため、グラウンドは出場校の練習場としても使われていた。当時、阪神タイガースとグラウンドで合同練習をしていたこともあったという。
◇旧制時代の進学と入試 :現在でいう大学に相当する学校(旧制高等学校、大学予科、大学専門部、高等師範学校、旧制専門学校など)にほとんどの者が進学した。主な進学先は京都帝国大学、大阪帝国大学をはじめとする帝国大学、神戸商業大学、関西学院高等商業学校、同志社大学、慶應義塾大学、早稲田大学などであった。医師、外交官、教育者、芸能家、作家、実業家、政治家、博士、プロスポーツ選手、法曹家など様々な方面で人材を輩出した。なお、旧制中学は5年制である(第二次大戦末期は4年制)。旧所在地は現在、白鹿グループ運営のホテルヒューイット甲子園(土地・施設は現在も白鹿グループが所有)とコロワ甲子園となっている。
・1993年(平成5年)8月:中学校において従来の校舎の東側に新校舎竣工。旧校舎は改築の上、講堂・芸術棟および記念塔として使用している。
・2006年(平成18年)4月:中学校の募集定員を165人から約180人(実際は200名程度)に変更し、55人3クラス制から40人前後の5クラス制へと変更。なお、この変更により40人前後5クラスでの最初の学年が高校へ進学する年から高校入試は廃止されることとなる。
・2007年(平成19年):前年からの募集定員増加に関連し中学校の旧校舎の一部を建て替え。
・2009年(平成21年):高等学校入学枠を廃止。完全中高一貫校化。
・2016年(平成28年):旧講堂が解体される。
・2017年(平成29年)3月:中学新講堂が竣工。
財務 第一次世界大戦後の不況を通じて、辰馬吉左衛門が私財を投じて経営を引き受けて以来、学校法人辰馬育英会として経営が酒造白鹿グループにより引き継がれている。 辰馬家は日本酒「白鹿」などの酒造オーナーとしてだけでなく、損害保険や海運業といった各業種の文化事業家でもある。 賢明な経営手腕の下、潤沢な自己資金を持っている。学費が他の私学に比べて安い。在校生・卒業生に寄付を募ることはなく、甲陽ファンドという同窓会有志による基金がある。経済的に困窮している在校生への援助や、優秀者の表彰に奨学金として使われる。 旧制甲陽中学・甲陽学院高校旧校地は、東半分は売却され現在はコロワ甲子園となっている。西半分は現在はホテルヒューイット甲子園となっているが、白鹿の関連会社が土地・施設を保有していることもあり甲陽学院高校のテーブルマナー講習会が催されている。
入試 現在は中学校入試のみを実施し編入試験はない。入学試験は兵庫県内私立中学校と同じ日に行われる。中学校入試は2日間であり、国語200点・算数200点・理科100点である。不合格者には成績を開示するが、合格者には成績を開示しない。その理由は同じスタートラインに立って中等教育生活を始めてほしいという配慮に基づくものである。なお、アドミッションポリシーは定めていない。成長の可能性を積極的に汲み取り、なるべく絶対評価で合格判定をする。 志願者は専願のみである。
アクセス ・甲陽学院中学校:662-0955 兵庫県西宮市中葭原町2-15
 ・阪神電鉄・香櫨園駅下車、南へ徒歩10分
 ・阪急電鉄・夙川駅下車、南へ徒歩20〜23分
 ・JR・さくら夙川駅下車、南西へ徒歩15~17分
 ・阪急バスにて大東町下車、東へ徒歩3~5分
 ・電車で通学する生徒は、「夙川オアシスロード」と呼ばれる歩行者専用道路を通る。
・甲陽学院高等学校:662-0096 兵庫県西宮市角石町3-138

 ・阪急電鉄・甲陽園駅下車、北西へ徒歩20~30分
 ・阪急電鉄・芦屋川駅、JR・芦屋駅から阪急バスにて苦楽園下車、北へ徒歩10~15分
 ・阪急電鉄・夙川駅から阪急バスにて苦楽園下車、北へ徒歩10~15分
 ・JR・さくら夙川駅、阪急電鉄・夙川駅から阪神バス・阪急バスにて柏堂町下車、南へ徒歩5分
 ・通学の際には、通学路の一つに兵庫県道82号大沢西宮線を経由したルートがある。このルートは、非常に交通量が多い上に歩道が狭く山道のため、かなり危険であり、このことはかつて高等学校のHP内でも取り上げられていた。甲陽園駅からタクシーを利用したり、夙川駅あるいは苦楽園駅から住宅街の中を歩いてくる生徒も多い。
出身者・教職員・組織 ■ 財界・経済界

・西松龍一 - 鐘淵商事、東洋綿花常務取締役、東綿紡績副社長、元同窓会副会長および世話人、1回卒
・加藤誠之 - 元トヨタ自動車販売取締役社長、元学校法人関西学院理事長、4回卒
・原清 - 朝日放送元社長、大正15年卒、5回卒
・山口興一 - 関西テレビ放送代表取締役社長、阪急電鉄副社長、京都大学蹴球部OBクラブ会長、6回卒
・飯田新一 - 髙島屋元社長、8回卒
・建内保興 - 元日本石油会長、元石油連盟会長、12回卒
・松本盛二 - 元大阪朝日新聞編集局長、朝日新聞西部本社代表、九州朝日放送社長、日本民間放送連盟副会長
・平田豊 - ユニチカ元社長、昭和18年卒、22回卒
・山岡淳男 - 三代目ヤンマー社長、昭和18年卒、22回卒
・八木頼夫 - 八木通商取締役、昭和25年卒
・菅谷定彦 - 元テレビ東京代表取締役会長、昭和32年卒、38回卒
・田淵暉久 - 田淵電機取締役会長、41回卒
・辻卓史 - 鴻池運輸会長、関西生産性本部評議員会議長、昭和36年卒、42回卒
・宮崎恒彰 - 元阪神電鉄取締役、阪神タイガースの元オーナー、取締役、42回卒
・藤本勝司 - 日本板硝子取締役会長、昭和37年卒、43回卒
・千草宗一郎 - 関西テレビ放送元社長、昭和38年卒、44回卒
・佐治信忠 - サントリー代表取締役会長、昭和39年卒、45回卒
・内藤誠二郎 - 内藤証券社長、45回卒
・黒田章裕 - コクヨ社長、昭和43年卒、49回卒
・西和彦 - アスキー特別顧問、情報学博士他、昭和49年卒、55回卒
・鈴木尚 - スクウェア創業者、61回卒
・久義裕 - 久金属工業取締役、ベンチャーキャピタリスト、昭和56年卒、62回卒
・後藤玄利 - ケンコーコム社長、昭和60年卒、66回卒
・加藤和弥 - 加藤産業社長、昭和63年卒、69回卒
・辻庸介 - 経営者、マネーフォワード創業、平成8年卒、77回卒

■ 大学教員・教育界

・薮内清 - 京都大学名誉教授、天文学者、科学史学者、2回卒
・角戸正夫 - 大阪大学蛋白質研究所所長、姫路工業大学学長、15回卒
・平修二 - 京都大学教授、19回卒
・濱口博章 - 甲南大学・姫路獨協大学名誉教授、21回卒
・浜田陽太郎 - 第13-14代立教大学総長、元日本私立大学連盟会長、昭和19年卒、23回卒
・花房秀三郎 - 大阪バイオサイエンス研究所名誉所長、昭和23年卒、28回卒
・難波精一郎 - 日本学士院会員、大阪大学名誉教授、32回卒
・高口恭行 - 建築家、元住職、元奈良女子大学教授、40回卒
・北村惣一郎 - 国立循環器病研究センター名誉総長、40回卒
・青井秀夫 - 東北大学名誉教授、42回卒
・豊下楢彦 - 元関西学院大学教授、昭和38年卒、44回卒
・田辺征夫 - 元奈良文化財研究所所長、奈良県立大学特任教授、昭和38年卒、44回卒
・東野治之 - 奈良大学教授、日本学士院会員、紫綬褒章受章、昭和40年卒、46回卒
・杉原薫 - 政策研究大学院大学特別教授、京都大学教授、前ロンドン大学教授、昭和42年卒、48回卒
・今田高俊 - 東京工業大学名誉教授、昭和42年卒、48回卒
・吉川研一 - 同志社大学生命医科学部教授、元京都大学大学院理学研究科教授、昭和42年卒、48回卒
・笠谷和比古 - 国際日本文化研究センター名誉教授、大阪学院大学法学部教授、昭和43年卒、49回卒
・小溝裕一 ー 大阪大学名誉教授、紫綬褒章受章、昭和43年卒、49回卒
・宇野隆夫 - 国際日本文化研究センター名誉教授、帝塚山大学人文学部教授、昭和43年卒、49回卒
・山岸正和 - 大阪人間科学大学副学長、金沢大学名誉教授、昭和46年卒、52回卒
・上田隆穂 - 学習院大学経済学部教授、昭和47年卒、53回卒
・加登豊 - 同志社大学大学院ビジネス研究科教授、神戸大学名誉教授、昭和47年卒、53回卒
・石川憲洋 - 駒澤大学教授、昭和49年卒、55回卒
・山村隆 - 国立精神・神経医療研究センター神経研究所免疫研究部部長、55回卒
・岩坪威 - 東京大学大学院医学系研究科教授、昭和53年卒、59回卒
・吉田純 - 京都大学大学院人間・環境学研究科教授、昭和53年卒、59回卒
・米田明 - 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授、建築家、昭和53年卒、59回卒
・清原良三 - 神奈川工科大学教授、昭和54年卒、60回卒
・高井裕之 - 大阪大学教授、昭和54年卒、60回卒
・今村誠 - 東海大学教授、昭和55年卒、61回卒
・山井成良 - 東京農工大学教授、昭和55年卒、61回卒
・松本充弘 - 京都大学工学研究科准教授、昭和55年卒、61回卒
・中西寛 - 京都大学公共政策大学院教授、昭和56年卒、62回卒
・西きょうじ - 英語教育者、コラムニスト、エッセイスト、62回卒
・飯嶋徹 - 名古屋大学大学院理学研究科素粒子宇宙物理学専攻教授、昭和58年卒、64回卒
・白石忠志 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授、昭和58年卒、64回卒
・藤田友敬 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授、昭和58年卒、64回卒
・鍵本聡 - サイエンスライター、大学講師、昭和60年卒、66回卒

■ 文化・芸能

・萩原淳 - 元日本将棋連盟会長、九段、1回卒
・荻原利次 - 作曲家
・武部本一郎 - イラストレーター、星雲賞
・永田禎彌 - 洋画家
・木谷恭介 - 作家、昭和20年卒、24回卒
・嶋本昭三 - 現代美術家、京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学主任教授、昭和20年卒、24回卒
・五十嵐喜芳 - テノール歌手、昭和20年卒、25回卒
・吉田文雀 - 文楽技芸員、人間国宝、昭和22年卒、27回卒
・林成年 - 俳優、29回卒
・柄谷行人 - 文芸評論家、昭和35年卒、41回卒
・風見梢太郎 - 作家、甲陽学院をモデルにした長編小説「浜風受くる日々に」の作者、昭和42年卒、48回卒
・麻生香太郎 - 作詞家、昭和46年卒、52回卒
・河内厚郎 - 文化プロデューサー、昭和46年卒、52回卒
・今村荘三 - CMディレクター、演芸評論家、昭和46年卒、52回卒
・鈴木創士 - フランス文学者、昭和48年卒、54回卒
・寺沢大介 - 漫画家、昭和53年卒、59回卒
・乾純 - 自閉体、ザ・スターリンドラマー、59回卒
・納浩一 - ジャズベーシスト、昭和54年卒、60回卒
・谷山雅計 - コピーライター、61回卒
・柳下毅一郎 - 翻訳家、63回卒
・村上たかし - 漫画家、昭和59年卒、65回卒
・上田慶行 - 朝日放送元アナウンサー、昭和61年卒、67回卒
・真下貴 - NHKアナウンサー、昭和63年卒、69回卒
・福本康之 - 音楽学者、僧侶、69回卒
・岡本貴也 - 脚本家・舞台演出家、平成3年卒、72回卒
・本部純 - テレビ朝日総合編成局ゼネラルプロデューサー、平成4年、73回卒
・清涼院流水 - 推理作家、平成5年卒、74回卒
・棟広良隆 - 競馬評論家・塾講師、平成6年卒、75回卒
・三枝零一 - 小説家、平成7年卒、76回卒

■ スポーツ

・天知俊一 - 元プロ野球選手・監督、野球殿堂入り、5回中退(大正10年入学、大正12年に攻玉社中学に転校)
・川村徳久 - 元プロ野球選手
・渡辺敏夫 - 元プロ野球選手
・藤田宗一 - 元プロ野球選手
・西邑昌一 - 元サッカー選手・監督、ベルリンオリンピック日本代表、昭和5年卒、9回卒
・塩見力 - 戦前期の社会人野球選手
・九里正 - 元アマチュア野球選手、13回卒
・ヴィクトル・スタルヒン - 元プロ野球選手、16回中退(昭和7年入学、同年旭川中学に転校)
・富松信彦 - 元プロ野球選手
・森下重好 - 元プロ野球選手、17回卒
・芳村嵓夫 - 元プロ野球選手
・別当薫 - 元プロ野球選手・監督、野球殿堂入り、昭和14年卒、18回卒
・小前博文 - 元プロ野球選手、19回卒
・日下章 - 元プロ野球選手、元尼崎市議会議長、元兵庫県市議会議長会会長、25回卒
・水野隆 - 元サッカー選手・監督、31回卒
・北川公一 - 元プロ野球選手、41回卒

■ 政官・法曹界

・大賀小四郎 - 外交官、東京大学教養学部教授、ケルン日本文化会館初代館長、7回卒
・樋渡利秋 - 検事総長、昭和39年卒、45回卒
・門口正人 - 元名古屋高等裁判所長官、45回卒
・野口善國 - 弁護士、昭和40年卒、46回卒
・北橋健治 - 北九州市長、昭和46年卒、52回卒
・池田克彦 - 元警視総監、原子力規制庁長官、昭和46年卒、52回卒
・縄田修 - 元大阪府警察本部長、52回卒
・川本正一郎 - 元内閣官房地域活性化統合事務局長、54回卒
・松富重夫 - 外交官、駐ポーランド特命全権大使、昭和49年卒、55回卒
・武川光夫 - 元内閣府審議官、58回卒
・赤松武 - 外交官、駐南スーダン特命全権大使、63回卒
・奥野総一郎 - 衆議院議員、64回卒
・石田昌宏 - 参議院議員、昭和61年卒、67回卒
・今村岳司 - 元兵庫県西宮市長、72回卒

■ 本校教職員

・伊賀駒吉郎 - 本校開校者、初代校長、詩人、宗教学者、教育学者、心理学者、歴史学者
・丸谷喜市 - 第4代校長、経済学者、詩人、神戸商業大学第2代学長、神戸経済大学初代学長
・須田剋太 - 元美術教員
・高井悌三郎 - 元社会、日本史教員、考古学者、辰馬考古資料館初代館長

■ 組織

・甲陽史学会
脚注および参照 ◇脚注

「甲陽学院中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年8月7日0時(日本時間)現在での最新版を取得。

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