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兵庫播磨(特進)
偏差値 | 49( 3つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 121.25点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 2813位/7791校( 学科単位 ) 近畿地方 616位/1347校( 学科単位 ) 兵庫県 146位/305校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 私立 |
男女 | 女子 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
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【姫路女学院中学校・高等学校】 | |
姫路女学院中学校・高等学校(ひめじじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)とは、兵庫県姫路市豊沢町にある学校法人摺河学園が運営する私立中学校・高等学校(女子校)。略称は姫路女学院。旧兵庫県播磨高等学校。 | |
概要 | 1921年(大正10年)、大正デモクラシーの中、摺河静男が勤め先からの帰路に県立女学校に入学できずに涙ぐむ少女の姿を見て、女子の進学の狭き門を痛感。「国家の繁栄と国民の幸福は教育の振興によらねばならない。とりわけ、女子教育こそ国家百年の盛衰に関わる緊要事である」との強い信念により、妻・ウメと共に創立。建学の精神には、社会の一翼を担い、一方で家庭において良き妻・賢き母として理想的な家庭を創っていくことのできる女性を育てたい、という創立者・摺河静男の思いが込められている。 2021年(令和3年)4月に校名を兵庫県播磨高等学校から姫路女学院高等学校に変更した。併せて、同一敷地に設置されている兵庫県播磨中学校も姫路女学院中学校に変更し、生徒募集を開始した。 思いやりや心づかい、やさしさを育てる「心の教育」に重きを置いている。校祖は摺河静男。理事長・学校長は摺河祐彦。副校長は寳谷亮介。姉妹校に姫路ハーベスト医療福祉専門学校がある。 |
沿革 |
・ 1921年(大正10年)創立者の摺河静男により共愛裁縫女学校として開校
・ 1927年(昭和2年)甲種実業学校として姫路女子職業学校を設立 ・ 1927年(昭和2年)姫路高等女子職業学校と改称 ・ 1931年(昭和6年)甲種女子商業を併設 ・ 1944年(昭和19年)兵庫県播磨女子商業学校と改称 ・ 1946年(昭和21年)兵庫県播磨高等女学校と改称 ・ 1947年(昭和22年)兵庫県播磨中学校を併設 ・ 1948年(昭和23年)兵庫県播磨高等学校と改称 ・ 1969年(昭和44年)校歌を制定 ・ 1974年(昭和49年)正規教科として「教養科」の導入 ・ 1993年(平成5年)学園章「ハーベスト」、新制服を制定・導入。蒜山高原セミナーハウス竣工 ・ 2001年(平成13年)新制服のバリエーションを追加 ・ 2002年(平成14年)摺河静男記念講堂・伯倫館、有朋館完成 ・ 2004年(平成16年)京都大学の関西教育考学との遠隔授業を導入 ・ 2005年(平成17年)タイ王国ケーマ・シリ・メモリアル高校と姉妹校提携 ・ 2008年(平成20年)姉妹校として姫路ハーベスト医療福祉専門学校を開設 ・ 2011年(平成23年)ポーランド共和国ナザレ高校と姉妹校提携 ・ 2013年(平成25年)インドネシア共和国タラカニタ第一高校と姉妹校提携 ・ 2021年(令和3年)4月1日:兵庫県播磨高等学校を姫路女学院高等学校に改称。また翌9月25日も尻を蹴るなどの暴行を行い、多数の暴言もあった。これにより女子生徒は顎が外れ全治1カ月の外傷性開口障害と診断され、精神的なショックにより登校できない状態となった。女子生徒の保護者は兵庫県警に被害届を提出した。 事件は、県内他校のグラウンドで行われた地区大会で発生した。女子生徒は、大会でユニフォームを忘れたことに気づき、母親に「持ってきてほしい」と連絡した。母親は、ユニフォームを届けるため男性教諭に連絡を取ったという。男性教諭は母親に「一発どつきますよ」と言い、母親は「お任せします」と答えたが、この状況ではほかに返答しようがなく、母親は男性教諭が暴行を加えるとは考えていなかった。一方、保護者の許諾を得たと勘違いした男性教諭は堂々と女子生徒をビンタ。対戦相手のバッテリーは驚き、叩く音は相手側ベンチまで聞こえたそうである。その際に男性教諭は「帰れ」「おまえなんかいらん」と暴言を吐いた。女子生徒は、母親が届けてくれたユニフォームに着替え、ベンチで仲間を応援しようとしたが、男性教諭は許さなかった。男性教諭からは「あっちへ行け」「ベンチに入るな」などと言われ、女子生徒は帰るわけにもいかず、あごが外れる重傷を負ったまま、仲間と離れた場所で約5時間立ちっぱなしとなった。顧問は2人体制で男性教諭が監督を務め、コーチの若い女性教諭が近くにいたが、止められなかったという。そしてチームは試合に勝ち、翌日対戦する他校の試合をチームで観戦することになった。女子生徒は、この時も一人だったそうである。男性教諭は合間に「おまえなんかおらんでもやっていける」「まだおったんか」などと言い放った。女子生徒は、午後からのチーム練習への参加も認められなかった。見かねた女性コーチは部員たちに「(女子生徒に)声をかけてあげてよ」と促したり、女子生徒本人にも「あしたのことを考えて自分で工夫して自主練習したらどう」と提案した。しかし、男性教諭は自主練習も許さなかった。 翌9月25日、女子生徒は試合に姿を見せた。男性教諭は、試合に出すかどうかをコーチと相談し、出場させることにした。試合前にスパイクに履き替えている最中、男性教諭は「ちゃんと反省しとんのか」などと言って尻を2発蹴り、頭を叩くなどの暴行を行った。女子生徒は、試合でタイムリーを打つなど活躍し、チームは県大会に進んだ。暴行が発覚したのは、女子生徒の保護者から面談を求められた男性教諭が学校に報告したためだった。同校はソフトボール部の保護者説明会を開いて謝罪した。他の保護者からは、男性教諭が日常的に部員の頭や肩を叩いていたとする指摘があっただけでなく、暴言も明らかにされた。男性教諭は「じゃれ合いのつもりだった」という。説明会では「合同練習会で他校の監督に“こいつらクズなんですよ”と話すのを部員が聞いてしまい、ショックを受けた」という話まで出た。事件後、学校が全ソフトボール部員に男性教諭について聞き取り調査したところ、「厳しい」「機嫌のいいときと悪いときがある」と指摘があった。また複数の部員から「被害生徒には特に厳しくあたっていた」と共通意見が出た。「毒舌なところがある」との指摘もあり、寳谷亮介校長補佐は報道陣の取材に「非常に強くたたいたようだ。体罰は許されるものでなく、生徒に申し訳ない」と謝罪した。 10月4日には、同校のホームページに「お詫び」と題し、「この度、本校ソフトボール部顧問による部員への体罰がありました。この問題は、テレビや新聞でも報道され、生徒や保護者の皆様をはじめ、卒業生の皆様、各方面の皆様に多大のご心配、ご迷惑をおかけして誠に申し訳なく思っております。今後は、再発防止に努めるとともに、被害に遭われた生徒と保護者の方が1日も早く心身を快復なさるよう、また、在校生の心のケアに注力してまいります。」と摺河祐彦校長名で掲載された。 学校は教諭の懲罰委員会を実施し、2022年10月13日午後に兵庫県庁で寳谷亮介校長補佐と北村敬良教頭が男性教諭を懲戒解雇したと発表した。処分は10月12日付である。また女子生徒側は、警察に被害届を提出して受理された。 なお、男性教諭は、定時制高校などを経て同校に着任して5年目であった。ソフトボールの指導は初めてだが、野球経験があり、「ピッチングを教えるのは難しい」が口癖だったそうである。男性教諭のポリシーは「凡事徹底」であった。この男性教諭は、ほかにも暴言を吐くなど不適切な言動があったと保護者から指摘され、学校側が今後調査するとしていたが、懲戒解雇処分となったことから「現時点では、これ以上の調査を行う予定はない」とした。 この事件を受けて、多くの批判や非難の声があがった。SNSでは「姫路女学院」がトレンド入りする事態となり、「体罰ではなく犯罪」などの声があがった。学校には「おまえのアゴもはずしてやろうか」と脅迫めいた内容も含め、抗議の電話が鳴り止まなかったという。元大阪市長で弁護士の橋下徹は、10月3日にTBS系「ゴゴスマ -GO GOSmile-」に出演し、部活動での体罰について語った。橋下は、大阪市長時代に市立高校で体罰があり、被害を受けた生徒が自殺してしまった事件があったと話した。自身も高校時代はラグビー部で、体罰的なものには寛容な部分があったが、遺族に話を聞き「これはまずい」と改めた。大阪での体罰をなくす方向にかじを切った。結局、体罰をなくした方が部活動が強くなることもあったという。橋下氏は「2011年か12年くらい。大阪のあの事件がきっかけになって一気に変わってきたのに、10年たってもこれなんですかねぇ」と旧態依然とした部活動の現状にあきれていた。10月5日には、兵庫県知事の斎藤元彦も定例会見で「体罰は違法行為で許されない。いまだになお、このような事案が起きて大変残念だ」と述べた。斎藤は「被害者の生徒は大けがを負い、心身に大きな影響を受けているはず。設置者である学校法人は心のケアをしっかり行い、加害教員の処分を検討してほしい」と述べた。その上で、再発防止策の策定を急ぐよう求め「学校法人の対応を注視することが原則だが、必要であれば県として助言や指導を行う」と言及した。同校は男性教諭の懲戒解雇により、他の保護者から指摘のあった暴行や暴言に関し、「これ以上の調査を行う予定はない」と幕引きを図るようだが、兵庫県や兵庫県教育委員会がどのような助言や指導を行うかは一切示されていない。また長野五輪スピードスケート女子500メートル銅メダリストの岡崎朋美も、この暴行事件に関連し、高校時代の「体罰」問題を語った。 被害を受けた女子生徒は、学校への不信感なども重なり、10月下旬に医師から急性ストレス反応とうつ状態と診断された。そして学校に通えないまま、10月末で同校を退学した。11月2日、代理人弁護士と保護者の同席の上で、女子生徒は神戸新聞社の取材に応じた。女子生徒は、9月24日の大会でユニホームを忘れ、それに激怒した男性教諭に顔を叩かれた。その後、顎が外れた状態で5時間以上、男性教諭の傍に立っていたという。女子生徒は「先生に近づいても練習をしようとしても怒られて、何をしていいか分かりませんでした。グラウンドにも入れてもらえませんでした。その時は許してもらうために、謝り続けるしか方法が見つかりませんでした」と語り、女性コーチからも「諦めずに声をかけ続けるしかない」と言われたそうである。そして「それまでもたたかれたり、他の子との対応に差があったりしていました。その日にたたかれたことで吹っ切れました。ああ、この人とこのチームで続けても、自分がしたいソフトボールはできないと思いました。その日のうちに、翌日の大会に出場した後、退部することを決めました」と語った。その9月25日の大会でも、男性教諭は上述の通り、尻を叩くなどの暴力を振るっており、その精神的ショックが大きく、学校に通えなくなった。女子生徒は「戻ってもまた同じようなことになると思いました。コーチとも話はしていて、味方になってくれるって言っていたけどもう信用もできませんでした」と語った。そして10月3日に同校は会見を開き、摺河祐彦理事長らが出席した。だが会見が行われることは、女子生徒や保護者には一切知らされず、会見を見て驚いたという。女子生徒は「テレビでニュースを見たら、全然、寄り添ってくれている内容ではなかったです。どこか逃げているような、顧問の先生を守っているような。そんな言葉が多かったように思いました」と語り、不信感をあらわにした。会見で学校側は、顧問の教諭が暴行した理由として過去にも忘れ物があったなどと説明したが、女子生徒は「私は、それ以前の忘れ物は、ユニフォームの色を間違えた1回だけでした。でも、これまでも何度も忘れているように話されていました。記者会見を見て、そういう言われ方をしているのを知って『もう、戻りたくない』って思いました」と話した。学校側が暴力の原因を生徒側にもあると解釈できる発言をしたことが、女子生徒の復帰を完全に阻害したようである。女子生徒は学校側の会見後、精神的なショックから体に不調を感じ始めた。そして「先生のことを思い出すと、体調が悪くなるようになりました。母が運転する車の助手席から、先生が毎朝あいさつしていた校門や授業をしていたパソコン室、部活の練習があったグラウンドを見ただけで、いろいろ思い出して気分が悪くなってしまいました。担任の先生とコーチが自宅に来てくれた日にも、今までにない痛みをおなかに感じ、病院に行きました」と語った。10月下旬、女子生徒は病院で急性ストレス反応とうつ状態と診断された。男性教諭による暴行の発覚後、学校とはほとんどやりとりがなかった。女子生徒は最後に「先生に直接の謝罪を求めているわけじゃないんです。もう忘れたいし、思い出したくもないことなので。ただ、私に戻ってきてほしいと本当に思っているのなら、学校にはもう少し寄り添った対応をしてほしかったです」とその無念を語った。 2023年1月、兵庫県警捜査第一課は、この元教諭を、傷害などの容疑で神戸地方検察庁に書類送検した。 |
「姫路女学院中学校・高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2023年1月30日8時(日本時間)現在での最新版を取得。