ヘッダイメージ
東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島
※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

浜田(普通)


偏差値51( 3つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)128.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 2354位/7791校( 学科単位 )
中国・四国地方 252位/892校( 学科単位 )
島根県 13位/78校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】 1件目の書込みをお願いします。



【島根県立浜田高等学校】
島根県立浜田高等学校(しまねけんりつ はまだこうとうがっこう)は、島根県浜田市黒川町に所在する3課程を置く公立の高等学校。略称は。
概要 ◇歴史 :1880年(明治13年)に開校した「浜田中学」(旧制中学校)を前身とする。1886年(明治19年)に一旦廃止され、1893年(明治26年)に再設置された。この再設置の年を創立年としている。1948年(昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立浜田第一高等学校」(男子校)となり、翌1949年(昭和24年)に高等女学校を前身とする2校の女子高と統合され、現校名の「島根県立浜田高等学校」となり、男女共学を開始した。2013年(平成25年)に創立120周年を迎えた。
◇設置課程・学科 (本校) :全日制課程 2学科 - 学年制 :
・ 普通科 :
・ 理数科 :定時制課程 1学科 - 単位制 :
・ 普通科(昼間部・夜間部) :通信制課程 1学科 - 単位制 :
・ 普通科
◇学区 (2020年入試より) :
・ 全日制課程普通科 - 島根県全域(5%の県外枠あり) :
・ 全日制課程理数科 - 島根県全域(10%の県外枠あり) :
・ 定時制課程 - 島根県全域(県外は4名以内) :
・ 通信制課程 - 島根県全域(県外枠設定なし)
◇分校 - 2013年(平成25年)3月に閉校 :今市分校(所在地: 〒697-0426 島根県浜田市旭町丸原46番地) :
・ 全日制課程 普通科
◇通信制課程 スクーリング協力校 大田地区 :
・ 島根県立大田高等学校 益田地区 :
・ 島根県立益田高等学校 :
・ 島根県立益田翔陽高等学校 (※3年おきに持ち回りで協力校となる)
◇校訓 :「質実剛健・不撓不屈」
◇校章 :浜田城跡の丘陵が「亀山」と呼ばれていることに因み、亀の絵と「高」の文字を組み合わせている。
◇校歌 :1959年(昭和34年)に制定。作詞は木島俊太郎、作曲は團伊玖磨による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。
沿革 ◇旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
・ 1880年(明治13年)7月 - 「浜田中学」が設置される。
・ 1883年(明治16年)9月 - 浜田師範学校を併設。
・ 1884年(明治17年)4月1日 - 「島根県第二中学校」と改称。浜田師範学校が松江師範学校に合併され、併設を解消。
・ 1885年(明治18年)- 初等中学科(修業年限4年)を設置。
・ 1886年(明治19年)5月 - 中学校令第6条(尋常中学校は各府県に1校ずつ設置)により、廃止される。
・ 1887年(明治20年)8月 - 元・島根県第二中学校の敷地に「連合浜田高等小学校」が設置される。中学校予備科を設置。
・ 1891年(明治24年)4月1日 - 連合浜田高等小学校が廃止され「那賀郡町村組合石見学校」が設置される。
・ 1893年(明治26年)4月1日 - 石見学校を県立移管の上「島根県第二尋常中学校」とする(中学校が復活、創立年)。
・ 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「島根県第二中学校」と改称(尋常を除く)。
・ 1901年(明治34年)6月 - 「島根県立第二中学校」と改称。
・ 1907年(明治40年)4月1日 - 「島根県立浜田中学校」と改称。
・ 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年に短縮される。
・ 1944年(昭和19年)4月1日 - 前年に閣議決定された教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行 の前倒しが行われることとなる。
 ・ この時の4年生(1941年(昭和16年)入学生)から適用し、4年を修了する1945年(昭和20年)3月の施行となる。
・ 1945年(昭和20年)
 ・ 3月 - 決戦教育措置要綱 が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。
 ・ 4月 - 授業を停止。
 ・ 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
 ・ 8月15日 - 終戦。
 ・ 9月 - 授業を再開。
・ 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 ・ 旧制中学校の生徒募集を停止。
 ・ 新制中学校を併設し(名称:島根県立浜田中学校併設中学校、以下:併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 ・ 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 ・ 旧制中学校3・4年修了者は、そのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
 ・ 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立浜田第一高等学校」(男子校)が発足。普通科に加え、商業科と通信課程を設置。
 ・ 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・ 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立浜田第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。
◇県立高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
・ 1900年(明治33年)5月 - 「島根県高等女学校」を設置。
・ 1901年(明治34年)6月1日 - 「島根県立高等女学校」と改称。
・ 1907年(明治40年)4月1日 - 「島根県立浜田高等女学校」と改称。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 ・ 高等女学校の生徒募集を停止。
 ・ 新制中学校を併設し(名称:島根県立浜田高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 ・ 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 ・ 高等女学校3・4年修了者は、そのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
 ・ 高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立浜田第二高等学校」(女子校)が発足。
 ・ 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・ 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立浜田第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。
◇市立高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
・ 1920年(大正9年)4月23日 - 「浜田町立女子技芸学校」が設置される。
・ 1933年(昭和3年)7月1日 - 実業学校規程により、「浜田町立実践女学校」となる。
・ 1940年(昭和15年)4月1日 - 「浜田高等実践女学校」と改称。
・ 1941年(昭和16年)4月1日 - 「浜田実践高等女学校」と改称。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 ・ 高等女学校の生徒募集を停止。
 ・ 新制中学校を併設し(名称:浜田実践高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 ・ 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 ・ 高等女学校3・4年修了者は、そのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
 ・ 高等女学校が廃止され、新制高等学校「浜田市立家政高等学校」(女子校)が発足。
 ・ 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・ 併設中学校は新制高校に継承され(名称:浜田市立家政高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。
◇新制高等学校(男女共学)
・ 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校再編により、以上の3校が統合され、「島根県立浜田高等学校」(現校名)が発足。
 ・ 当面の間、校舎は元・浜田第一高校と浜田第二高校の2校舎体制をとる。
・ 1950年(昭和25年)4月1日 - 旧・浜田歩兵第21連隊兵舎の改造工事が完成し移転。浜田市から旧兵舎一棟を借用し、定時制課程(夜間部)を新設。
・ 1951年(昭和26年)3月 - 硬式野球部、第23回選抜高等学校野球大会(春)に初出場。
・ 1959年(昭和34年)- 校歌を制定。
・ 1960年(昭和35年)4月1日 - 島根県立矢上高等学校より今市分校(全日制課程普通科)が移管される。
・ 1962年(昭和37年)3月31日 - 通信制課程を島根県立松江北高等学校へ移管。
・ 1964年(昭和39年)4月17日 - 体育館兼講堂が完成。
・ 1965年(昭和40年)4月1日- 島根県立浜田商業高等学校の新設に伴い、商業科を移管。
・ 1968年(昭和43年)8月 - 硬式野球部、第50回全国高等学校野球選手権大会(夏)に初出場。
・ 1970年(昭和45年)11月10日 - 校舎の改築が完成。
・ 1971年(昭和46年)
 ・ 3月 - 硬式野球部、第43回選抜高等学校野球大会(春)に20年ぶり2回目の出場。
 ・ 8月 - 硬式野球部、第53回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年ぶり2回目の出場。
・ 1976年(昭和51年)8月 - 硬式野球部、第58回全国高等学校野球選手権大会(夏)に5年ぶり3回目の出場。
・ 1977年(昭和52年)8月 - 硬式野球部、第59回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続4回目の出場。
・ 1979年(昭和54年)8月 - 硬式野球部、第61回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年ぶり5回目の出場。
・ 1980年(昭和55年)
 ・ 8月 - 硬式野球部、第62回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続6回目の出場。
 ・ 11月15日 - (1880年(明治13年)浜田中学の設置から数えて)創立100年記念館が完成。
・ 1981年(昭和56年)8月 - 硬式野球部、第62回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年連続7回目の出場。
・ 1982年(昭和57年)3月 - 硬式野球部、第54回選抜高等学校野球大会(春)に11年ぶり3回目の出場。
・ 1984年(昭和59年)1月 - サッカー部、第62回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。
・ 1993年(平成5年)10月29日 - 創立100周年記念式典を挙行。
・ 1997年(平成9年)8月 - 硬式野球部、第79回全国高等学校野球選手権大会(夏)に16年ぶり8回目の出場。
・ 1998年(平成10年)
 ・ 1月 - 大学入試センター試験島根県西部地区の試験会場となる。(~2001年(平成13年)1月)
 ・ 8月 - 硬式野球部、第80回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続9回目の出場。
・ 1999年(平成11年)
 ・ 3月 - 硬式野球部、第71回選抜高等学校野球大会(春)17年ぶり4回目の出場。
 ・ 8月 - 硬式野球部、第81回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年連続10回目の出場。
・ 2002年(平成14年)
 ・ 4月11日 - 定時制課程において三修制 の授業を開始。
 ・ 10月3日 - 学校図書館情報システムを整備。
・ 2004年(平成16年)8月 - 硬式野球部、第86回全国高等学校野球選手権大会(夏)に5年ぶり11回目の出場。
・ 2006年(平成18年)7月20日 - 記念館に校史展示室「素心室」を設置。
・ 2011年(平成23年)8月1日 - 部室が完成。
・ 2012年(平成24年)
 ・ 3月21日 - エレベーターを設置。
 ・ 4月1日 - 定時制課程に昼間部を新設し、従来の夜間部と合わせて二部制とする。通信制課程普通科を新設(1962年(昭和37年)の廃止以来、50年ぶりの復活)。
・ 2011年(平成23年)3月 - 今市分校の生徒募集を停止。
・ 2013年(平成25年)3月31日 - 今市分校を廃止。
・ 2020年(令和2年)「県立高校魅力化ビジョン」に基づき、普通科に設けられていた市外10%制限を撤廃。全県から志願可能とすると共に、普通科で5%以内、理数科で10%以内で県外からの志願受付を開始。
・ 2022年(令和4年)8月 - 硬式野球部、第104回全国高等学校野球選手権大会(夏)に18年ぶり12回目の出場。
・2023年(令和5年)7月29日 - 浜田高等学校の生徒副会長がかごしま総文2023に参加し、県内の代表生徒として、挨拶・宣誓を行った。この時の様子は、YouTubeの鹿児島県公式チャンネルにて、アーカイブが公開されているようだ。
・ 2023年(令和5年)10月7日 - 創立130周年記念式典開かれる。それに合わせ校歌の貼り替え、100周年記念館外廊下の屋根工事等が行われた。
部活動 ◇全日制課程(本校)
・ 硬式野球部 - 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に12回、選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に4回出場した。
・軟式野球部 - 全国高等学校軟式野球選手権大会準優勝2回、国民体育大会優勝1回など。
・ サッカー部 - 全国高等学校サッカー選手権大会に出場経験がある。 
・生活科学部 – LOCAL FISH CANグランプリ2023の決勝に出場。食用にされないウニやワカメを使った缶詰の開発に取り組んでいます。全国各地の高校生が海の環境問題を解決するオリジナル缶詰のアイデアを競うコンテストの最終審査に臨む。決勝は10/8に東京で行われ入賞した。
◇定時制課程
・ バスケットボール同好会
・ バドミントン同好会
著名な出身者 ◇スポーツ 高校野球などが盛んで、OBにもプロ野球選手が多い。
・ 上迫忠夫 - 体操
・ 金山友紀 - フットサル
・ 清水雅治 - 野球
・ 新宅洋志 - 野球
・ 竹本正男 - 体操
・ 土井将平 - サッカー
・ 梨田昌孝 - 野球
・ 福井誠 - 水泳
・ 和田毅 - 野球
・ 岡村佳典 - 野球
・ 久保田治 - 野球
・ 佐々木誠吾 - 野球
・ 佐々木常助 - 野球
・ 竹野吉郎 - 野球
・ 新田均 (野球)
◇芸能・メディア
・ 岡隆一 - アナウンサー
・ 尾原秀三 - アナウンサー
・ 賀山祐介 - 俳優
・ 左右田禎子 - アナウンサー
・ 田中亜矢 (アナウンサー)
・ 花田恵吉 - アナウンサー
・ 福岡ユタカ - ミュージシャン
・ 肥後マコト - 声優
◇政治家・官僚
・ 岩本久人
・ 大達茂雄
・ 大谷藤之助
・ 俵孫一
・ 福浜隆宏
◇官界・実業界
・ 久代敏男 - マルハニチロホールディングス社長
・ 熊谷典文 - 元通商産業省事務次官、元住友金属社長
・ 小山龍三 - 元中日新聞社社主
・ 坂根正弘 - 元コマツ会長、武田薬品工業取締役会議長、元日本経団連副会長、元総合資源エネルギー調査会会長
・ 七田眞 - しちだ教育研究所所長
・ 冨金原俊二 - 元経済企画庁事務次官
・ 間宮馨 - 元JAXA副理事長
◇学術・文化
・ 朝枝善照 - 学者
・ 石本正 - 画家
・ 江原絢子 - 教授
・ 佐野文子 - 廃娼運動家
・ 橋本明治 - 画家
・ 服部之総 - 歴史学者
・ 三浦浩 - 作家
・ 志川節子 - 作家
・ 朝田隆 - 医者
・花本金吾 - アメリカ文学者、早稲田大学名誉教授
◇軍人
・ 神本利男
・ 小川団吉

「島根県立浜田高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年3月29日8時(日本時間)現在での最新版を取得。

東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島


楽天ウェブサービスセンター