全国高校 偏差値ランキング |
全国公立高校 偏差値ランキング |
全国私立高校 偏差値ランキング |
東北地方 | 北海道 | ||||||||||||||
関東地方 | |||||||||||||||
中部地方 | |||||||||||||||
近畿地方 | 青森 | ||||||||||||||
中国・四国地方 | 秋田 | 岩手 | |||||||||||||
九州・沖縄地方 | 山形 | 宮城 | |||||||||||||
石川 | 富山 | 新潟 | 福島 | ||||||||||||
長崎 | 佐賀 | 福岡 | 山口 | 島根 | 鳥取 | 兵庫 | 京都 | 滋賀 | 福井 | 長野 | 群馬 | 栃木 | 茨城 | ||
熊本 | 大分 | 広島 | 岡山 | 大阪 | 奈良 | 岐阜 | 山梨 | 埼玉 | 千葉 | ||||||
鹿児島 | 宮崎 | 和歌山 | 三重 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | 東京 | ||||||||
愛媛 | 香川 | ||||||||||||||
沖縄 | 高知 | 徳島 |
津和野(普通)
偏差値 | 44( 2つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 102.5点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 4159位/7791校( 学科単位 ) 中国・四国地方 464位/892校( 学科単位 ) 島根県 35位/78校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
1件目の書込みをお願いします。
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【島根県立津和野高等学校】 | |
島根県立津和野高等学校(しまねけんりつつわのこうとうがっこう, Shimane Prefectural Tsuwano High School)は、島根県鹿足郡津和野町に所在する公立の高等学校。略称「津高」(つこう)。 | |
概要 |
◇歴史
:1908年(明治41年)に開校した「鹿足郡立高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足した翌年、旧制中学校を前身とする「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)と統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)となった。
◇設置課程・学科 :全日制課程 普通科 ◇教育目標 : ・学業に情熱を傾け、真実を追求する態度を養う。 : ・個性を生かし、自主自立の精神を養う。 : ・健康に心掛け、明るく豊かな心と情操を育てる。 : ・勤労に重んじ、博愛奉仕の精神を育てる。 : ・学業尚び、独創的で視野の広い人間を育成する建学の精神を維持する。 ◇校章 :地名「津和野」の由来であるつわぶきの葉を背景にして、中央に「高」の文字を置いている。 ◇校歌 :作詞は川上清吉、作曲は長岡敏夫による。歌詞は4番まである。歌詞に校名は登場しない。1番に「西周」、「森鷗外」が登場する。 |
沿革 |
◇前史
・1786年(天明6年)- 津和野藩第8代藩主亀井矩賢により藩校「養老館」が創立される。 ◇高等女学校・新制高等学校(女子校)時代 ・1908年(明治41年)- 「養老館」の教育精神を継承し、藩校の跡地に「鹿足郡立高等女学校」が開校。 ・1922年(大正11年)4月1日 - 県立移管の上、「島根県立津和野高等女学校」と改称。 ・1941年(昭和16年)4月1日 - 本科卒業生を対象に補習科を設置。 ・1943年(昭和18年)4月1日 - 補習科を廃止し、その代わりに専攻科を設置。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足) ・高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。 ・新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ・併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ・高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校に在籍し、それぞれ4年生・専攻科生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足) ・高等女学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足。 ・高等女学校専攻科修了者を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。 ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。 ・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。 ◇旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代 ・1925年(大正14年)4月1日 - 「島根県立津和野中学校」(修業年限5年)が開校。 ・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この年の入学生から修業年限が4年に短縮される。 ・1944年(昭和19年) ・4月1日 - 前年に閣議決定された教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが行われることとなる。 ・8月1日 - 学徒動員が開始。 ・1945年(昭和20年) ・3月 - 決戦教育措置要綱が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。 ・4月1日 - 授業を停止(期間は1年間)。 ・5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。 ・8月15日 - 終戦。 ・9月 - 授業を再開。 ・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足) ・旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。 ・新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ・併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ・旧制中学校3・4年生はそのまま旧制中学校に在籍し、それぞれ4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足) ・旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)が発足。 ・旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。 ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。 ・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。 ◇新制高等学校(男女共学) ・1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校の再編により、上記2校が統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)が発足。 ・1951年(昭和26年)4月1日 - 商業科を新設。 ・1952年(昭和27年)4月1日 - 家庭科を新設し、普通科・商業科・家庭科の3科を有する総合制高等学校となる。 ・1953年(昭和28年)4月1日 - 定時制六日市分校を設置。 ・1958年(昭和33年)4月1日 - 定時制六日市分校を島根県立益田産業高等学校七日市分校(現・島根県立吉賀高等学校)に移管・統合。 ・1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。 ・1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。 ・1975年(昭和50年)- 新校舎が完成。 ・1979年(昭和54年)- 新寄宿舎「つわぶき寮」を開寮。 ・1990年(平成2年)8月 - 第72回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。 ・1999年(平成11年)- 高校魅力アップ事業「津和野学'99」スタート ・2003年(平成15年)4月1日 - 商業科の募集を停止。 ・2005年(平成17年)3月31日 - 商業科を廃止。 ・2008年(平成20年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。 |
部活動 |
◇運動部
・野球部 ・バレーボール部 ・陸上部 ・卓球部 ・弓道部 ・ソフトテニス部 ◇文化部 ・吹奏楽部 ・合唱部 ・美術部 ・グローカルラボ |
著名な出身者 |
・ 桑原史成(報道写真家)
・ 田中誠(テノール歌手) ・ 舛成孝二(アニメ監督) ・ 橋本以蔵(脚本家) ・ ムラムラタムラ(お笑い芸人) |
「島根県立津和野高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2025年1月28日12時(日本時間)現在での最新版を取得。