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矢掛(普通・単位制)
偏差値 | 41( 2つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 91.25点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 5159位/7791校( 学科単位 ) 中国・四国地方 594位/892校( 学科単位 ) 岡山県 107位/156校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
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【岡山県立矢掛高等学校】 | |
岡山県立矢掛高等学校(おかやまけんりつやかげこうとうがっこう, Okayama Prefectural Yakage High School)は、岡山県矢掛町にある県立高等学校。略称「矢高」(やこう)。 | |
概要 |
1902年(明治35年)に開校した「岡山県立矢掛中学校」(旧制中学校)を前身とする。2012年(平成24年)に創立110周年を迎えた。岡山県下では、明治期に岡山中(朝日高校)、高梁、津山、矢掛の4校の公立中学校(現在の高校に相当)しかなかった。矢掛中時代には、東京の第一高等学校(現在の東京大学)へ進学したものも多い。そのため、これら明治期に設立された高校は、岡山県においても人材を多く輩出している。
■ 学校データ ・ 校訓 : 至誠力行 ・ 校章 : 「高」の字を校名「矢掛」にちなむ2本の鏃で囲んでいる。 ・ 校歌 : 作詞は小川博史、作曲は芥川也寸志による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。各番とも「若き日を」で終わる。 |
沿革 |
■ 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代 ・ 1901年(明治34年) - 7月、設置が認可される。 ・ 1902年(明治35年) ・ 4月1日、「岡山県立矢掛中学校」が開校。 ・ 5月、開校式を挙行。 ・ 1920年(大正9年)4月1日 - 「岡山県矢掛中学校」と改称(「立」が除かれる)。 ・ 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)。 ・ 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立矢掛第一高等学校」(男子校)が発足。 ・ 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。 ■ 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代 ・ 1913年(大正2年) - 4月1日、「小田郡矢掛尋常高等小学校附設矢掛女学校」が設立。 ・ 1915年(大正4年) - 4月1日、組織改編により、「矢掛町立実科高等女学校」と改称。 ・ 1920年(大正9年) - 5月、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。 ・ 1923年(大正12年) - 4月1日、「矢掛町外七ヶ町村組合立女学校」と改称。 ・ 1939年(昭和14年) - 4月1日、岡山県に移管され、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。 ・ 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)。 ・ 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立矢掛第二高等学校」(女子校)が発足。 ・ 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。 ■ 新制高等学校(男女共学)発足後 ◎ 昭和 ・ 1949年(昭和24年) - 8月31日、高校三原則に基づく岡山県内公立高校再編に伴い、上記2校が統合され、総合制高等学校「岡山県立矢掛高等学校」(現校名)が発足。 ・ 1950年(昭和25年) ・ 4月1日、完全な男女共学を開始。2校舎制は維持し、性別ではなく学年によって校舎を使い分けることとする。 ・ 9月、東・西両校舎の同窓会を統合。 ・ 1961年(昭和36年) - 9月、東西両校舎を統合し、1校舎制(現在地)とする。 ・ 1971年(昭和46年) - 4月1日、岡山県立美星高等学校を統合し、美星分校とする。 ・ 1976年(昭和51年) - 4月1日、岡山県矢掛商業高等学校を統合し、西分校とする。 ・ 1985年(昭和60年) - 4月1日、西分校が分離し、岡山県立矢掛商業高等学校として独立。 ・ 1986年(昭和61年) - 3月31日、美星分校を廃止。 ◎ 平成 ・ 1999年(平成11年) - 4月、小学区制から中学区制(西備学区)となる。 ・ 2003年(平成15年) ・ 3月、第1棟校舎の大規模改修工事が完成。 ・ 4月、矢掛地域新高等学校開校準備委員会の事務局が設置される。 ・ 2004年(平成16年) ・ 3月、統合に伴い、岡山県立矢掛商業高等学校の生徒募集が停止される。在校生卒業までの間、商業高校の組織は存続。 ・ 4月1日、矢掛地域新高等学校として新・「岡山県立矢掛高等学校」(全日制普通科・単位制・定員200名)が発足。 ・ 2005年(平成17年) ・ 3月、東棟が完成。 ・ 8月、南棟が完成。 ・ 2006年(平成18年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、岡山県立矢掛商業高等学校が閉校。 ・ 2009年(平成21年) - 4月1日、類型3コース制(探究・総合・ビジネス)を開始。(全日制普通科・単位制・定員160名) ・ 2011年(平成23年) - 4月1日、地域ビジネス科を新設。定員を普通科120名、地域ビジネス科40名とする。 ・ 2014年(平成26年) - 1月22日、「矢掛高存続協議会」が発足し、初会合。 ・ 2015年(平成27年) - 3月6日、岡山県立矢掛商業高等学校の跡地を矢掛町が一般社団法人「バート・インターナショナル」に無償貸し付けすることを締結。 ・ 2018年(平成30年) - 2月28日、事業が軌道に乗らずバートインターナショナルが矢掛商業高等学校から退去。矢掛町長(2018年現在 山野通彦)の決断によりバートインターナショナル(代表理事 片山敬済)へ交付された補助金の経緯が不透明と問題となっている。 |
部活動 |
■ 運動部 ・ 軟式野球部 ・ ハンドボール部 ・ テニス部 ・ サッカー部 ・ ソフトテニス部 ・ バスケットボール部 ・ バドミントン部 ・ バレーボール部 ・ ソフトボール部 ・ 卓球部 ・ 陸上競技部 ■ 文化部 ・ 書道部 ・ 吹奏楽部 ・ 箏曲部 ・ サイエンス部 ・ 美術部 ・ 茶道部 ・ 報道部 ・ビジネス研究部 ・ 囲碁・将棋部 ・ジャズバンド同好会 |
環境への取り組み |
・ 2009年にユネスコ・スクールに認定
・ 生徒会による駅の清掃活動等 ・ 環境授業の実施 ・ 川レンジャーによる小田川整備 |
著名な出身者 |
旧制中学時代の卒業生を含む。
・ 矢吹憲道(岡山円通寺第28世住職、広島市教育課長・社会課長等を歴任、原爆孤児救済に尽力) ・ 高木純五郎(長崎医科大学教授(現・長崎大学医学部)、長崎原爆により死去) ・ 蜂谷道彦 (医学者、内科医、被爆時の広島逓信病院院長。被爆体験記『ヒロシマ日記』の著者) ・ 岡ノ山喜郎(元大相撲力士) ・ 池田道孝(衆議院議員・元岡山県議会議員) ・ 横溝亮一(音楽評論家) |
「岡山県立矢掛高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2025年1月14日5時(日本時間)現在での最新版を取得。