ヘッダイメージ
東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島
※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

広島観音(総合)


偏差値55( 3つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)143.75点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 1559位/7791校( 学科単位 )
中国・四国地方 179位/892校( 学科単位 )
広島県 58位/224校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】 1件目の書込みをお願いします。



【広島県立広島観音高等学校】
広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおんこうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある県立高等学校。
概要 1922年(大正11年)に開校した「広島県立広島第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「広島県芸陽高等学校」となり、翌1949年(昭和24年)「広島県広島観音高等学校」に改称、1968年(昭和43年)に現校名「広島県立広島観音高等学校」となった。高等学校発足時に全日制課程と定時制課程が設置された。全日制課程は当初普通科・家庭科・商業科の3科体制で始まり、1965年(昭和40年)に普通科1科のみとなる。1998年(平成10年)には学科改編により総合学科を設置。2021年(令和3年)定時制課程が閉課し現在に至る。
沿革 ◇ 旧制中学校(男子校)時代
・ 1921年(大正10年)9月22日 - 広島県立広島第二中学校の設置が認可される。
・ 1922年(大正11年)
 ・ 1月18日 - 初代校長に泉英七が就任。
 ・ 4月1日 - 「広島県立広島第二中学校」が開校。修業年限を5ヶ年とする。
 ・ 4月11日 - 広島県師範学校の講堂において入学式を挙行。240名が入学。
・ 1923年(大正12年)4月 - 観音町(現・広島市立観音小学校所在地)の新校舎に移転。
・ 1924年(大正13年)4月 - 寄宿舎が完成。
・ 1926年(昭和2年)3月2日 - 第1回卒業式を挙行。
・ 1933年(昭和8年)9月23日 - プール(50m)が完成。
・ 1945年(昭和20年)
 ・ 8月6日 - 原子爆弾により、校舎が倒壊し全焼。職員8名と生徒344名が犠牲になる。
 ・ 9月 - 校舎の倒壊・全焼を受け、可部・廿日市・海田の3ヶ所に分教場を開設し、授業を再開。
・ 1946年(昭和21年)11月3日 - 復興校舎が完成し、3分教場から本校に復帰する。
・ 1947年(昭和22年)3月 - 旧制中学校の募集を停止。
・ 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・広島県立広島第二中学校が廃止される。
◇ 新制高等学校(現在)
・ 1948年(昭和23年)
 ・ 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、新制高等学校が発足。
 ・ 5月3日 -「広島県芸陽高等学校」(げいよう)が開校。全日制普通課程18学級・定時制(昼間部)普通課程4学級。
・ 1949年(昭和24年)
 ・ 4月30日 - 広島県広島商業高等学校を商業科として統合し「広島県広島観音高等学校」に改称。通常課程(普通科・家庭科・商業科)と定時制課程(普通科)を設置。
 ・ 5月9日 - 開校式を挙行。この日をもって開校記念日とする。
 ・ 5月29日 - 新校章(現校章)を制定。
・ 1950年(昭和25年)
 ・ 3月1日 - 新制高等学校第1回卒業式を挙行。
 ・ 3月19日 - 現在地に移転。
 ・ 7月24日 - 西校舎(普通教室・和裁・洋裁・洗濯・調理・作法室)が完成。
 ・ 12月21日 - 校歌を制定。
・ 1953年(昭和28年)4月13日 - 中校舎が完成。
・ 1954年(昭和29年)9月1日 - この時の商業科(1年生のみ)を新設の広島県広島商業高等学校に移管。商業科2・3年は存続。
・ 1955年(昭和30年)3月 - 商業科の募集を停止。
・ 1956年(昭和31年)
 ・ 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、商業科の課程を廃止。
 ・ 3月 - 広島市内5校(県立3校(観音・国泰寺・皆実)+市立2校(基町・舟入))での総合選抜制度を開始。
・ 1958年(昭和33年)
 ・ 3月25日 - 体育館兼講堂が完成。
 ・ 8月17日 - 芸陽観音同窓会を結成。
・ 1962年(昭和37年)10月5日 - 創立40周年を記念して芸陽観音同窓会館が完成。(1967年(昭和37年)10月に増築。)
・ 1963年(昭和38年)3月 - 家政科の募集を停止し、その代わりに普通科の中に甲型(家庭科コース)を設置し、募集を開始。
・ 1964年(昭和39年)5月28日 - 旧校地の広島市立観音小学校からクスノキ・ポプラ数本が移植される。
・ 1965年(昭和40年)3月31日 - 家政科を廃止。
・ 1967年(昭和42年)2月13日 - 本館が完成。
・ 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島観音高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」を加える)。
・ 1971年(昭和46年)3月 - 普通科甲型(家庭科コース)の募集を停止。
・ 1973年(昭和48年)5月8日 - 北校舎が完成。
・ 1975年(昭和50年)3月31日 - 寄宿舎(清風寮)を廃止。
・ 1978年(昭和53年)4月 - 新設の井口高校を加え、広島市内6校での総合選抜制度を実施。
・ 1979年(昭和54年)8月31日 - 中校舎を新築。
・ 1981年(昭和56年)7月31日 - 体育館兼講堂を新築。旧体育館兼講堂を格技場に改修。
・ 1983年(昭和58年)3月25日 - 新プールが完成。
・ 1991年(平成3年)3月 - 広島県学区改編により、第四学区西部3校(観音・井口・舟入)での総合選抜を開始。
・ 1992年(平成4年)9月 - 格技場が完成。
・ 1993年(平成5年)3月31日 - 本館リフレッシュ工事が完了。
・ 1995年(平成7年)
 ・ 3月31日 - エレベーターを中館に新設。出逢いの広場を新設。
 ・ 12月1日 - 教室にストーブを設置。
・ 1997年(平成9年)3月 - この時の入試を最後に、総合選抜を廃止。
・ 1998年(平成10年)
 ・ 3月 - 全日制課程普通科の募集を停止。単独選抜を開始。
 ・ 4月1日 - 全日制課程普通科を総合学科に改編。
 ・ 11月13日 - イギリスワーウィックシャーカレッジとの姉妹校を締結。
・ 1999年(平成11年)7月23日 - 英国語学研修を開始。
・ 2000年(平成12年)
 ・ 3月20日 - 総合学科棟(西館)が完成。
 ・ 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、全日制課程普通科を廃止。
・ 2001年(平成13年)3月25日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
・ 2006年(平成18年)3月31日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
・ 2010年(平成22年)5月 - 新築本館が完成。
・ 2011年(平成23年)7月29日 - 中館耐震改修及び内外リフレッシュ工事完成。
・ 2013年(平成25年)3月31日 - 部室改築工事完成。
・ 2017年(平成29年) - 当年度より定時制課程の募集を停止。
・ 2021年(令和3年)3月31日 - 定時制課程が閉課。
基礎データ ■ アクセス

・ 広島電鉄舟入本町停留場 徒歩約10分
・ 広電バス「観音本町」停留所 徒歩約3分、「観音小学校前」停留所 徒歩約15分

■ 象徴

◇ 校訓
・ 平安の裡に奮闘あり
・ 自由の境に秩序あり
・ 和気靄然たる間に節制規律あり
◇ 校章 : 1949年(昭和24年)に制定。旧制中学校以来のシンボルツリーであるポプラの葉4枚を背景にして、中央に校名の広島(Hiroshima)の頭文字「H」と観音(Kanon)の頭文字「K」を置いている。
◇ 校歌 : 1950年(昭和25年)に制定。作詞は小川二郎、作曲は升田徳一(卒業生)による。歌詞は4番まであり、校名は登場しない。
◇ 制服 : 男女ともに冬服はブレザー。ネクタイ着用。
学校行事 ・ 4月 - 始業式・新任式、入学式、離退任式、課題考査、対面式、生徒総会
・ 5月 - 中間考査、遠足、PTA総会、広島県高等学校総合体育大会(以下、県総体)壮行会
・ 6月 - 観音祭(文化祭)、県総体
・ 7月 - 期末考査、避難訓練、クラスマッチ(球技大会)、終業式、オープンスクール
・ 8月 - 広島原爆の日(6日)二中慰霊祭、始業式、課題考査
・ 9月 - 体育祭
・ 10月 - 中間考査、修学旅行
・ 11月 - 学校へ行こう週間、避難訓練
・ 12月 - 期末考査、生徒会長選挙、終業式
・ 1月 - 始業式、3年学年末考査
・ 2月 - 高校入試、同窓会入会式、3年同窓会入会式
・ 3月 - 卒業式、1・2年学年末考査、クラスマッチ(球技大会)、終業式
部活動 ◇運動部 :
・サッカー部 :
 ・2005年(平成17年)度 - 全国高等学校サッカー選手権大会に出場。準々決勝進出。 :
 ・2006年(平成18年)度 - 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で広島県初の全国制覇を果たす。 :
・バレーボール部 :
・バスケットボール部 :
・卓球部 :
・陸上競技部 :
・水泳部 :
・剣道部 :
・柔道部 :
・山岳部 :
・ソフトテニス部 :
・硬式テニス部 :
・野球部 :
・バドミントン部
◇文化部 :
・放送部 :
・文芸部 :
・書道部 :
・美術部 :
・物理化学部 :
・生物地学部 :
・演劇部 :
・茶華道部 :
・吹奏楽部 :
・ESS(English-Speaking Society) :
・家庭科部 :
・囲碁将棋部 :
・パソコン部 :
・バトントワーリング部 :
・軽音楽同好会 :
・アニメ・イラスト同好会 :
・ダンス同好会

■ 広島二中排球部
畑喜美夫が就任して以降サッカー部の活躍が目覚しいが、観音高校は戦前、広島二中時代にバレーボールの先達として極めて大きな足跡を残している。日本のバレーボールの草分け・神戸高等商業学校(現神戸大学)から昭和3年(1928年)、同校で黄金期を築いた高橋哲雄と鎔米二が卒業後、広島二中にコーチとして赴任。昭和23年(1948年)の学制改革までの約20年間に明治神宮体育大会(国体の前身)、全日本中等学校選手権などの全国大会優勝だけで10回、準優勝3回と旧制中学最強チームを築いた。さらに同校のOB達が進学・赴任した早稲田大学、慶應義塾大学、京都帝国大学、山口高商(現山口大学経済学部)などのバレーボール部を創部。また多くの名選手を生んだが、特に長崎重芳、前田豊は戦後も長く日本バレーボール協会の中枢にいて全日本監督、強化委員長、協会要職などで男子バレー、女子バレーとも強化指導を行った。 1989年(平成元年)発刊された『廣島二中排球部史』において松平康隆は「広島二中ほど近代日本バレーに大きく影響を与えた旧制中学のバレーボール部は他にはなかったと思います。日本バレー史の大きな部分を広島二中OBの方々がになわれたことはまぎれもない事実であります。オリンピックで金メダル3回、銀メダル3回、銅メダル2回という赫々たる戦果を収めた日本バレー界でありますが、それらを指揮した歴代の全日本監督諸兄も私を含めて広島二中のOBの方々のご指導や影響を少なからず受けた人達であります。(抜粋)」との言葉を寄せている。
高校関係者と組織 ■ 高校関係者組織

・ 同窓会 - 「芸陽観音同窓会」と称している。旧制広島第二中学校・旧・芸陽高等学校・観音高等学校卒業生を会員とする。

■ 出身者

・ 香藤繁常(元昭和シェル石油代表取締役会長兼グループCEO)
・ 福田幸雄(アスカネット創業者・元代表取締役会長兼CEO)
・ 宮本正太郎(天文学者、元京都大学付属花山天文台長)
・ 田中隆荘(元広島大学学長、元広島市立大学学長)
・ 河野美代子(医師、政治活動家)
・ 佐藤卓己(社会学者、京都大学教授)
・ 箕野博司(北広島町長)
・ 前田豊(元日本バレーボール協会理事長)
・ 近藤芳美(歌人)
・ 蒔田尚昊(作曲家)
・ 佐和隆研(美術史家、元京都市立芸術大学学長)
・ 脇田義信(元広島テレビアナウンサー)
・ 棚田徹(テレビ新広島アナウンサー)
・ 梶山季之(作家)
・ 津原泰水(作家)
・ 木村功(俳優)
・ 代健司(サッカー選手)
・ 原田直樹(サッカー選手)
・ 塚川孝輝(サッカー選手)
・ 日高大(サッカー選手)
・ 河村優(サッカー指導者)
・ 山本文男(元プロ野球選手)
・ 松ヶ下宏之(ミュージシャン、歌手)
・ 和田慎二(漫画家)
・ 西島大介(漫画家)
・ 竹内雄悟(将棋棋士)
・ 江本一真(元あいテレビアナウンサー、フリーアナウンサー、ラジオDJ、ローカルタレント)
・ 国光文乃(衆議院議員、医師)
・ 山下威士(法学者)

「広島県立広島観音高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年11月10日2時(日本時間)現在での最新版を取得。

東北地方 北海道
関東地方
中部地方
近畿地方 青森
中国・四国地方 秋田 岩手
九州・沖縄地方 山形 宮城
石川 富山 新潟 福島
長崎 佐賀 福岡 山口 島根 鳥取 兵庫 京都 滋賀 福井 長野 群馬 栃木 茨城
熊本 大分 広島 岡山 大阪 奈良 岐阜 山梨 埼玉 千葉
鹿児島 宮崎 和歌山 三重 愛知 静岡 神奈川 東京
愛媛 香川
沖縄 高知 徳島


楽天ウェブサービスセンター