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広島観音(総合)
偏差値 | 55( 3つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 143.75点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 1559位/7791校( 学科単位 ) 中国・四国地方 179位/892校( 学科単位 ) 広島県 58位/224校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
【学校掲示板】
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【広島県立広島観音高等学校】 | |
広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおんこうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある県立高等学校。 | |
概要 | 1922年(大正11年)に開校した「広島県立広島第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「広島県芸陽高等学校」となり、翌1949年(昭和24年)「広島県広島観音高等学校」に改称、1968年(昭和43年)に現校名「広島県立広島観音高等学校」となった。高等学校発足時に全日制課程と定時制課程が設置された。全日制課程は当初普通科・家庭科・商業科の3科体制で始まり、1965年(昭和40年)に普通科1科のみとなる。1998年(平成10年)には学科改編により総合学科を設置。2021年(令和3年)定時制課程が閉課し現在に至る。 |
沿革 |
◇ 旧制中学校(男子校)時代
・ 1921年(大正10年)9月22日 - 広島県立広島第二中学校の設置が認可される。 ・ 1922年(大正11年) ・ 1月18日 - 初代校長に泉英七が就任。 ・ 4月1日 - 「広島県立広島第二中学校」が開校。修業年限を5ヶ年とする。 ・ 4月11日 - 広島県師範学校の講堂において入学式を挙行。240名が入学。 ・ 1923年(大正12年)4月 - 観音町(現・広島市立観音小学校所在地)の新校舎に移転。 ・ 1924年(大正13年)4月 - 寄宿舎が完成。 ・ 1926年(昭和2年)3月2日 - 第1回卒業式を挙行。 ・ 1933年(昭和8年)9月23日 - プール(50m)が完成。 ・ 1945年(昭和20年) ・ 8月6日 - 原子爆弾により、校舎が倒壊し全焼。職員8名と生徒344名が犠牲になる。 ・ 9月 - 校舎の倒壊・全焼を受け、可部・廿日市・海田の3ヶ所に分教場を開設し、授業を再開。 ・ 1946年(昭和21年)11月3日 - 復興校舎が完成し、3分教場から本校に復帰する。 ・ 1947年(昭和22年)3月 - 旧制中学校の募集を停止。 ・ 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・広島県立広島第二中学校が廃止される。 ◇ 新制高等学校(現在) ・ 1948年(昭和23年) ・ 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、新制高等学校が発足。 ・ 5月3日 -「広島県芸陽高等学校」(げいよう)が開校。全日制普通課程18学級・定時制(昼間部)普通課程4学級。 ・ 1949年(昭和24年) ・ 4月30日 - 広島県広島商業高等学校を商業科として統合し「広島県広島観音高等学校」に改称。通常課程(普通科・家庭科・商業科)と定時制課程(普通科)を設置。 ・ 5月9日 - 開校式を挙行。この日をもって開校記念日とする。 ・ 5月29日 - 新校章(現校章)を制定。 ・ 1950年(昭和25年) ・ 3月1日 - 新制高等学校第1回卒業式を挙行。 ・ 3月19日 - 現在地に移転。 ・ 7月24日 - 西校舎(普通教室・和裁・洋裁・洗濯・調理・作法室)が完成。 ・ 12月21日 - 校歌を制定。 ・ 1953年(昭和28年)4月13日 - 中校舎が完成。 ・ 1954年(昭和29年)9月1日 - この時の商業科(1年生のみ)を新設の広島県広島商業高等学校に移管。商業科2・3年は存続。 ・ 1955年(昭和30年)3月 - 商業科の募集を停止。 ・ 1956年(昭和31年) ・ 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、商業科の課程を廃止。 ・ 3月 - 広島市内5校(県立3校(観音・国泰寺・皆実)+市立2校(基町・舟入))での総合選抜制度を開始。 ・ 1958年(昭和33年) ・ 3月25日 - 体育館兼講堂が完成。 ・ 8月17日 - 芸陽観音同窓会を結成。 ・ 1962年(昭和37年)10月5日 - 創立40周年を記念して芸陽観音同窓会館が完成。(1967年(昭和37年)10月に増築。) ・ 1963年(昭和38年)3月 - 家政科の募集を停止し、その代わりに普通科の中に甲型(家庭科コース)を設置し、募集を開始。 ・ 1964年(昭和39年)5月28日 - 旧校地の広島市立観音小学校からクスノキ・ポプラ数本が移植される。 ・ 1965年(昭和40年)3月31日 - 家政科を廃止。 ・ 1967年(昭和42年)2月13日 - 本館が完成。 ・ 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島観音高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」を加える)。 ・ 1971年(昭和46年)3月 - 普通科甲型(家庭科コース)の募集を停止。 ・ 1973年(昭和48年)5月8日 - 北校舎が完成。 ・ 1975年(昭和50年)3月31日 - 寄宿舎(清風寮)を廃止。 ・ 1978年(昭和53年)4月 - 新設の井口高校を加え、広島市内6校での総合選抜制度を実施。 ・ 1979年(昭和54年)8月31日 - 中校舎を新築。 ・ 1981年(昭和56年)7月31日 - 体育館兼講堂を新築。旧体育館兼講堂を格技場に改修。 ・ 1983年(昭和58年)3月25日 - 新プールが完成。 ・ 1991年(平成3年)3月 - 広島県学区改編により、第四学区西部3校(観音・井口・舟入)での総合選抜を開始。 ・ 1992年(平成4年)9月 - 格技場が完成。 ・ 1993年(平成5年)3月31日 - 本館リフレッシュ工事が完了。 ・ 1995年(平成7年) ・ 3月31日 - エレベーターを中館に新設。出逢いの広場を新設。 ・ 12月1日 - 教室にストーブを設置。 ・ 1997年(平成9年)3月 - この時の入試を最後に、総合選抜を廃止。 ・ 1998年(平成10年) ・ 3月 - 全日制課程普通科の募集を停止。単独選抜を開始。 ・ 4月1日 - 全日制課程普通科を総合学科に改編。 ・ 11月13日 - イギリスワーウィックシャーカレッジとの姉妹校を締結。 ・ 1999年(平成11年)7月23日 - 英国語学研修を開始。 ・ 2000年(平成12年) ・ 3月20日 - 総合学科棟(西館)が完成。 ・ 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、全日制課程普通科を廃止。 ・ 2001年(平成13年)3月25日 - 北館リフレッシュ工事が完了。 ・ 2006年(平成18年)3月31日 - 北館リフレッシュ工事が完了。 ・ 2010年(平成22年)5月 - 新築本館が完成。 ・ 2011年(平成23年)7月29日 - 中館耐震改修及び内外リフレッシュ工事完成。 ・ 2013年(平成25年)3月31日 - 部室改築工事完成。 ・ 2017年(平成29年) - 当年度より定時制課程の募集を停止。 ・ 2021年(令和3年)3月31日 - 定時制課程が閉課。 |
基礎データ |
■ アクセス ・ 広島電鉄舟入本町停留場 徒歩約10分 ・ 広電バス「観音本町」停留所 徒歩約3分、「観音小学校前」停留所 徒歩約15分 ■ 象徴 ◇ 校訓 ・ 平安の裡に奮闘あり ・ 自由の境に秩序あり ・ 和気靄然たる間に節制規律あり ◇ 校章 : 1949年(昭和24年)に制定。旧制中学校以来のシンボルツリーであるポプラの葉4枚を背景にして、中央に校名の広島(Hiroshima)の頭文字「H」と観音(Kanon)の頭文字「K」を置いている。 ◇ 校歌 : 1950年(昭和25年)に制定。作詞は小川二郎、作曲は升田徳一(卒業生)による。歌詞は4番まであり、校名は登場しない。 ◇ 制服 : 男女ともに冬服はブレザー。ネクタイ着用。 |
学校行事 |
・ 4月 - 始業式・新任式、入学式、離退任式、課題考査、対面式、生徒総会
・ 5月 - 中間考査、遠足、PTA総会、広島県高等学校総合体育大会(以下、県総体)壮行会 ・ 6月 - 観音祭(文化祭)、県総体 ・ 7月 - 期末考査、避難訓練、クラスマッチ(球技大会)、終業式、オープンスクール ・ 8月 - 広島原爆の日(6日)二中慰霊祭、始業式、課題考査 ・ 9月 - 体育祭 ・ 10月 - 中間考査、修学旅行 ・ 11月 - 学校へ行こう週間、避難訓練 ・ 12月 - 期末考査、生徒会長選挙、終業式 ・ 1月 - 始業式、3年学年末考査 ・ 2月 - 高校入試、同窓会入会式、3年同窓会入会式 ・ 3月 - 卒業式、1・2年学年末考査、クラスマッチ(球技大会)、終業式 |
部活動 |
◇運動部
: ・サッカー部 : ・2005年(平成17年)度 - 全国高等学校サッカー選手権大会に出場。準々決勝進出。 : ・2006年(平成18年)度 - 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で広島県初の全国制覇を果たす。 : ・バレーボール部 : ・バスケットボール部 : ・卓球部 : ・陸上競技部 : ・水泳部 : ・剣道部 : ・柔道部 : ・山岳部 : ・ソフトテニス部 : ・硬式テニス部 : ・野球部 : ・バドミントン部 ◇文化部 : ・放送部 : ・文芸部 : ・書道部 : ・美術部 : ・物理化学部 : ・生物地学部 : ・演劇部 : ・茶華道部 : ・吹奏楽部 : ・ESS(English-Speaking Society) : ・家庭科部 : ・囲碁将棋部 : ・パソコン部 : ・バトントワーリング部 : ・軽音楽同好会 : ・アニメ・イラスト同好会 : ・ダンス同好会 ■ 広島二中排球部 畑喜美夫が就任して以降サッカー部の活躍が目覚しいが、観音高校は戦前、広島二中時代にバレーボールの先達として極めて大きな足跡を残している。日本のバレーボールの草分け・神戸高等商業学校(現神戸大学)から昭和3年(1928年)、同校で黄金期を築いた高橋哲雄と鎔米二が卒業後、広島二中にコーチとして赴任。昭和23年(1948年)の学制改革までの約20年間に明治神宮体育大会(国体の前身)、全日本中等学校選手権などの全国大会優勝だけで10回、準優勝3回と旧制中学最強チームを築いた。さらに同校のOB達が進学・赴任した早稲田大学、慶應義塾大学、京都帝国大学、山口高商(現山口大学経済学部)などのバレーボール部を創部。また多くの名選手を生んだが、特に長崎重芳、前田豊は戦後も長く日本バレーボール協会の中枢にいて全日本監督、強化委員長、協会要職などで男子バレー、女子バレーとも強化指導を行った。 1989年(平成元年)発刊された『廣島二中排球部史』において松平康隆は「広島二中ほど近代日本バレーに大きく影響を与えた旧制中学のバレーボール部は他にはなかったと思います。日本バレー史の大きな部分を広島二中OBの方々がになわれたことはまぎれもない事実であります。オリンピックで金メダル3回、銀メダル3回、銅メダル2回という赫々たる戦果を収めた日本バレー界でありますが、それらを指揮した歴代の全日本監督諸兄も私を含めて広島二中のOBの方々のご指導や影響を少なからず受けた人達であります。(抜粋)」との言葉を寄せている。 |
高校関係者と組織 |
■ 高校関係者組織 ・ 同窓会 - 「芸陽観音同窓会」と称している。旧制広島第二中学校・旧・芸陽高等学校・観音高等学校卒業生を会員とする。 ■ 出身者 ・ 香藤繁常(元昭和シェル石油代表取締役会長兼グループCEO) ・ 福田幸雄(アスカネット創業者・元代表取締役会長兼CEO) ・ 宮本正太郎(天文学者、元京都大学付属花山天文台長) ・ 田中隆荘(元広島大学学長、元広島市立大学学長) ・ 河野美代子(医師、政治活動家) ・ 佐藤卓己(社会学者、京都大学教授) ・ 箕野博司(北広島町長) ・ 前田豊(元日本バレーボール協会理事長) ・ 近藤芳美(歌人) ・ 蒔田尚昊(作曲家) ・ 佐和隆研(美術史家、元京都市立芸術大学学長) ・ 脇田義信(元広島テレビアナウンサー) ・ 棚田徹(テレビ新広島アナウンサー) ・ 梶山季之(作家) ・ 津原泰水(作家) ・ 木村功(俳優) ・ 代健司(サッカー選手) ・ 原田直樹(サッカー選手) ・ 塚川孝輝(サッカー選手) ・ 日高大(サッカー選手) ・ 河村優(サッカー指導者) ・ 山本文男(元プロ野球選手) ・ 松ヶ下宏之(ミュージシャン、歌手) ・ 和田慎二(漫画家) ・ 西島大介(漫画家) ・ 竹内雄悟(将棋棋士) ・ 江本一真(元あいテレビアナウンサー、フリーアナウンサー、ラジオDJ、ローカルタレント) ・ 国光文乃(衆議院議員、医師) ・ 山下威士(法学者) |
「広島県立広島観音高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年11月10日2時(日本時間)現在での最新版を取得。