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広島皆実(衛生看護)
偏差値 | 51( 3つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 128.75点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 2354位/7791校( 学科単位 ) 中国・四国地方 252位/892校( 学科単位 ) 広島県 75位/224校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
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【学校掲示板】
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【広島県立広島皆実高等学校】 | |
広島県立広島皆実高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまみなみ こうとうがっこう)は、広島県広島市南区出汐に所在する県立高等学校。体育科と衛生看護科を併設し、広島県内の公立高校で唯一、看護教育を行っている。 | |
概観 |
◇歴史
:1901年(明治34年)創設の「広島県立広島高等女学校」を前身とし、2011年(平成23年)に創立110周年を迎えた。
◇設置課程・学科 :全日制課程 3学科(単位制) : ・ 普通科 : ・ 衛生看護科(専攻科との5ヵ年一貫教育) : ・ 体育科 ◇校訓 :「勤勉・強行・責任・自由」 ◇学校教育目標 :「教育基本法その他教育関係法令に基づき、心身ともに健康にして、高い知性・豊かな情操・強い意志をもった青年の育成をはかる。」 ◇校章 :現校章は二代目。工業科が広島県広島工業高等学校として分離した1953年(昭和28年)に制定された。柏の葉と雪の結晶の絵を組み合わせたデザインとなっている。 ◇校歌 :1961年(昭和36年)に制定。作詞は広島皆実高等学校、作曲は高木東六による。歌詞は3番まであり、校名の「皆実」は3番に登場する。 ◇制服 :男子の冬服は学生服(学ラン)、女子の冬服はセーラー服。 ◇同窓会 :「皆実有朋会」と称している。東京と近畿(奈良県)に支部を置く。 ◇国際交流校 :・(大新の読みは「テシン」)- 1991年(平成3年)より交流を開始。 : : |
沿革 |
高等女学校時代
・1901年(明治34年) ・12月20日 - 「広島県立広島高等女学校」の設置が文部大臣によって認可される。 ・12月28日 - 広島県知事により広島県立広島高等女学校の創設が告示される。 ・1902年(明治35年) ・2月4日 - 東京女子高等師範学校助教授広瀬豊十郎が初代校長に就任。 ・3月6日 - 学則を制定し、修業年限を4ヶ年、生徒定員(4学年合計)を400名とする。 ・4月12日 - 入学選抜試験を実施し、100名が合格。 ・4月18日 - 入学式を挙行。 ・4月21日 - 下中町の広島県師範学校校舎(下中町)を継承し、授業を開始。 ・5月28日 - 地久節祝賀式を挙行。 ・1903年(明治36年) ・2月4日 - 開校記念式を挙行。 ・2月11日 - 紀元節拝賀式を挙行。 ・5月14日 - 校舎の大修理を実施。 ・1904年(明治37年)5月28日 - 校友会(生徒会)が発足。 ・1905年(明治38年)11月3日 - 校友会機関誌「真巳とのとく」を発行。 ・1906年(明治39年) ・3月27日 - 第1回卒業式を挙行。77名が卒業。 ・4月1日 - 補習科(修業年限1ヶ年・定員100名)を設置。 ・この年 - 図書室を開設。 ・1907年(明治40年)11月25日 - 閑院宮妃が来校し、裁縫・薙刀・遊戯体操の授業を視察。 ・1908年(明治41年)10月16日 - 家事作法教室を新装。 ・1909年(明治42年) ・2月4日 - 同窓会「有朋会」が発足。 ・3月 - 募集定員を50名増員し、150名とする。 ・1910年(明治43年) ・1月21日 - 校友会事業として桐160本を植樹。 ・3月 - 募集定員を元の100名に戻す。 ・1913年(大正2年)9月10日 - 雨天体操場が完成。体操服を制定。 ・1915年(大正4年) ・2月26日 - 当時の文部大臣一木喜徳郎が視察のため来校。 ・11月10日 - 大正天皇即位の祝賀式を挙行し、御大典記念に図書館と博物館を新築。 ・1916年(大正5年)2月2日 - 募集定員を50名増員し、150名とする。 ・1917年(大正6年) ・2月2日 - 募集定員を更に50名増員し、200名とする。 ・10月10日 - 卒業生を開催し、割烹講習会を開催。 ・1918年(大正7年)8月31日 - 米騒動のため、寄宿舎生が飯用米を持って帰舎。 ・1919年(大正8年)6月15日 - 裁縫および洗濯教室が落成。 ・1920年(大正9年) ・3月30日 - 家事補習専攻の(修業年限3ヶ年・生徒定員50名)の設置が認可される。 ・9月 - 専攻科教室(2階建)「白塔」が完成 ・この年 - 校章と制服を制定。 ・1921年(大正10年)3月- 募集定員を50名増員し、250名とする。 ・1922年(大正11年)2月28日 - 本館と付属施設が完成。 ・1923年(大正12年) ・3月5日 - 千田町に寄宿舎が完成。 ・4月1日 - 家事補習専攻科を専攻科に改称。 ・1924年(大正13年) ・3月 - 同年4月入学生より、修業年限を1年延長し5ヶ年とする。 ・5月16日 - 定員が1200名となる。 ・1926年(大正15年) ・3月16日 - 保護者会が発足。 ・5月25日 - 摂政宮が来校。 ・1927年(昭和2年)3月 - 4ヶ年課程(1923年(大正12年)4月入学生)最後の卒業式を挙行。 ・1928年(昭和3年)3月5日 - 広島女子専門学校(県立広島大学の前身)の設立により、専攻科を廃止。 ・1929年(昭和4年)1月16日 - 裁縫室を焼失。 ・1930年(昭和5年)11月7日 - 明治天皇文庫を創設。 ・1934年(昭和9年)10月31日 - 校旗を制定。 ・1935年(昭和10年) ・2月11日 - 愛国子女団を結成。 ・3月18日 - 奉安殿が完成。 ・6月17日 - 同窓会を「社団法人広島県立広島高等女学校有朋会」とし、理事長に河野ハルが就任。 ・10月4日 - 校歌を制定。(作詞は鈴木敏也、作曲は信時潔による) ・この年 - 広島女子専門学校が宇品へ移転し、併設を解消。母子室、図書室を整備。 ・1940年(昭和15年)- 紀元2600年奉祝式を挙行。 ・1941年(昭和16年) ・4月1日 - 宇品に広島県立広島第二高等女学校 が開校したことにより、「広島県立広島第一高等女学校」と改称。 ・4月15日 - 勤労報国隊を結成。 ・11月22日 - 安佐郡八木村に修練道場を開設。 ・1942年(昭和17年) ・1月8日 -「大詔奉戴日」を制定し、護国神社参拝を実施。 ・10月1日 - 雨天体操場が完成。 ・この年 - 修学旅行が中止となり、代わりに宮島遠足と各学期1回の行軍を実施。 ・1943年(昭和18年) ・4月1日 - 高等女学校規定により、修業年限が1年短縮され、4ヶ年となる。3年生以上に英語を課さず、農作業・教練等を強化。 ・この年 - 4年生以上による広島陸軍被服支廠での作業奉仕が開始。 ・1944年(昭和19年) - 5年生が広海軍工廠へ勤労動員される。雨天体操場にミシンが設置され、4年生が広島陸軍被服支廠の作業を行う。 ・1945年(昭和20年) ・3月1日 - 5年生と4年生の同時卒業式を挙行。5年卒業者は広海軍航空廠へ、4年卒業者は広島陸軍被服支廠川内村工場への動員が継続される。 ・3月7日 - 2年生が広島印刷・広島航空に動員される。 ・4月29日 - 4年生が東洋工業・広島航空に動員される。 ・7月1日 - 戦況の悪化を受け、千田町寄宿舎が川内村へ疎開。 ・7月18日 - 2年生が広島印刷・広島航空・陸軍被服廠川内村工場に動員される。 ・7月23日 - 1年生が川内国民学校(現・広島市立川内小学校)で分散授業を開始。授業は週1日程度となる。1年生の一部は建物疎開作業に従事。 ・8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により、甚大な被害を受ける。 ・爆心地から650mの校舎は倒壊の上、焼失。校長と教職員19名、建物疎開作業中の1年生他生徒281名が死亡。 ・9月2日 - 被爆後最初の職員会議と保護者会役員会を草津町で開く。 ・9月30日 - 学校本部を草津町さくら寮に置き、さくら寮・川内国民学校・八木修練道場の3か所で分散授業を開始。元・大竹海兵団より机の転用をうけ搬入。 ・12月20日 - 草津教専寺で原爆犠牲教職員生徒の慰霊祭を執行。 ・1946年(昭和21年) ・1月22日 - 分散授業場を草津町のさくら寮と、出汐町の元広島陸軍被服支廠倉庫の2か所とする。 ・4月1日 - 修業年限が5ヶ年に戻る。 ・4月12日 - 元・広島陸軍被服支廠の一部倉庫を修理し、全生徒を収容して授業を再開。 ・5月6日 - 下中町の旧校地跡に、被爆教職員生徒の慰霊木碑を建立。 ・8月6日 - 慰霊碑前で被爆一周年追悼会を執行。哀悼歌(作詞:岸谷敞子)を合唱。 ・秋 - 第1回復興祭を開催。校友会(生徒会)活動・クラブ活動を再開。 ・1947年(昭和22年) ・4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、暫定措置として新制中学校を併設(以下、併設中学校)し、同年3月時点で高女1・2年の生徒を新制中学校2・3年生として収容。 ・5月19日 - 元・広島陸軍被服支廠倉庫から木造建物に校舎を移転し、旧・広島被服支廠本館を学校の本館とする。 ・秋 - 第2回復興祭を行い、復興歌を制定。修学旅行が復活。 ・1948年(昭和23年)3月25日 - 高等女学校最後の卒業式を挙行。267名が卒業。 新制高等学校 ・1948年(昭和23年) ・5月3日 - 学制改革(六・三・三制の実施) ・広島県立広島第一高等女学校が廃止され、新制高等学校「広島県広島有朋高等学校」(有朋の読みは「ゆうほう」、女子校)が発足。 ・併設中学校を継承。併設中学校卒業生を新高校1年生、同年3月時点で高女4年を新高校2年生、高女卒業生(希望者)を新高校3年生として収容。 ・広島県立広島第二高等女学校が廃止され、新制高等学校「広島県広南高等学校」(女子校)が発足。 ・9月22日 - 生徒自治大会を開催し「あけぼの会」(会長 長谷川澪子)誕生。 ・10月10日 - 保護者会に代わり、PTAが発足。 ・1949年(昭和24年) ・3月13日 - 有朋高等学校の解散惜別音楽会を広島高等学校の講堂で開催。 ・3月19日 - 有朋高等学校の最初で最後の卒業式を挙行。卒業生は104名。 ・3月31日 - 暫定措置として設置されていた併設中学校が、最後の卒業生(1946年(昭和21年)高女入学生)を送り出し、廃止される。 ・4月30日 - 高校再編により、下記4校が統合され総合制高等学校「広島県広島皆実高等学校」が発足。普通課程・生活課程・工業課程を設置。男女共学となる。 ・県立3校(広島県広島有朋高等学校・広島県広南高等学校・広島県広島工業高等学校)と市立1校(広島市立工業高等学校)の計4校。 ・5月9日 - 開校式を挙行。 ・6月8日 - 初代校章(鳩の羽根とペン)を制定。 ・1950年(昭和25年) ・3月1日 - 広島皆実高等学校としての第1回卒業式を挙行。普通科131名と工業科317名が卒業。 ・7月1日 - 家庭クラブを結成。 ・8月20日 - 皆実同窓会を結成。 ・この年 - 北グラウンドが整備され、スタンドが設置される。 ・1951年(昭和26年) ・1月 - B校舎の移転改修工事を完了。 ・9月 - C校舎が完成。 ・1952年(昭和27年) ・1月25日 - 第1回校内マラソン大会を開催。 ・2月20日 - 生徒歌「友よ」(作詞は坂下喜治と珠山哲弥、作曲は北千枝子による)が発表される。 ・9月1日 - 女子の制服を制定。 ・11月1日 - 三段峡遭難で工業部の生徒7名が死亡。 ・1953年(昭和28年) ・4月1日 - 工業科が分離し、広島県広島工業高等学校(再)として独立。なお両校の敷地は隣接したまま。 ・5月2日 - 新校章(柏葉と雪、二代目・現校章)を制定。 ・1954年(昭和29年) ・5月23日 - 有朋会と皆実同窓会が合併し、「社団法人皆実有朋会」が発足。 ・1955年(昭和30年) ・6月24日 - 木造2階建ての中校舎が完成。 ・8月5日 - 広島県立第一高等女学校原爆犠牲者遺族会が発足。旧第一高女正門跡に「原爆犠牲者追憶之碑」を建立し、慰霊祭を執行。 ・9月1日 - 相談室を設置し、カウンセリングを開始。 ・1956年(昭和31年) ・7月1日 - 旧第一高女の門柱を「追憶之碑」そばに移設。 ・9月13日 - 旧校舎を講堂兼体育館と南校舎に、柔道場と音楽室を図書館に改造。 ・この年 - 普通科に総合選抜制度導入。国泰寺高校・観音高校・基町高校・舟入高校との一括募集となり、「広島市内五校」(後に井口高校が加わり「広島市内六校」)と称される。 ・1958年(昭和33年) ・2月22日 - 北校舎が完成。 ・4月6日 - 皆実有朋会(同窓会)が生徒会売店の仕入れ・経営を行う。 ・4月30日 - 生徒ホールが完成。旧校舎の一部を柔道場に改造。 ・1959年(昭和34年)9月22日 - 隣接する広島工業高校との間で使用グランドを決定し、北グラウンドが割り当てられる。 ・1960年(昭和35年)4月28日 - 同窓会の寄贈により「皆実有朋プール」が完成。 ・1961年(昭和36年) ・4月6日 - 校旗を制定。 ・5月3日 - 校歌(現校歌)を制定。 ・5月 - 同窓会結婚相談所「柏葉会」が発足。(1977年(昭和52年)12月に解散) ・1962年(昭和37年) ・1月29日 - 音楽教室が完成。 ・8月21日 - 平屋建ての体育部室が完成。 ・1963年(昭和38年)5月13日 - 1号館が完成。 ・1964年(昭和39年)5月12日 - 鉄筋コンクリート3階建ての新本館と渡り廊下等が完成。旧本館は生徒急増期のため解体を延期の上、美術・書道教室に臨時改造。 ・1965年(昭和40年) ・3月31日 - 体育館兼講堂が完成。 ・5月31日 - 特別教育活動校舎が完成。 ・10月6日 - 本館を増築。 ・1966年(昭和41年) ・4月1日 - 衛生看護学科(生徒定員1学年、40名)を新設。 ・6月10日 - クラブ部室が完成。 ・8月31日 - 農林事務所を改造の上、衛生看護学科の仮校舎とする。 ・1967年(昭和42年) ・1月16日 - 理科校舎が完成。 ・9月11日 - 武道場が完成。 ・12月6日 - グラウンドを整備。 ・1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島皆実高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が加えられる)。 ・1969年(昭和44年)4月1日 - 衛生看護専攻科(2年間)を新設。 ・1970年(昭和45年) ・5月28日 - 家庭クラブを発展的に解消し、「白樺会」とする。 ・この年 - 水泳大会と柔剣道大会を廃止。 ・1971年(昭和46年)4月16日 - 同窓会館「皆実有朋会館」が完成。 ・1972年(昭和47年) ・3月1日 - 隣接の広島工業高校との校地交換が決定。 ・3月15日 - 衛生看護科・専攻科校舎が完成。 ・1973年(昭和48年)3月31日 - 4号館が完成。 ・1974年(昭和49年) ・1月31日 - 渡り廊下に木造波板ビニール屋根を設置。 ・2月28日 - 流紋岩の校門を設置。校内庭園「いこいの森」が完成。 ・1977年(昭和52年)3月31日 - 衛生看護学科の寄宿舎を廃止。 ・1978年(昭和53年)3月17日 - 平和教育「先輩諸姉の被爆体験を聞く会」を実施。 ・1980年(昭和55年)4月16日 - グラウンド前に自転車置き場を設置。 ・1981年(昭和56年) ・3月31日 - 3号館の一部と渡り廊下が完成。 ・8月23日 - 皆実有朋会が教育振興資金のための基金募集を開始。 ・1982年(昭和57年) ・3月31日 - 3号館特別教室一部が完成。 ・8月6日 - 原爆犠牲者銘板を除幕。 ・1987年(昭和62年)7月26日 - 弓道場が完成。 ・1989年(平成元年)1月24日 - 広島工業高校との共用プールが完成。 ・1990年(平成2年)3月31日 - 1号館と2号館校舎のリフレッシュ工事が完成。クラブハウスが完成 ・1992年(平成4年) ・4月1日 - 体育科(生徒定員40名、学区は全県一円)を新設。 ・7月18日 - 皆実高校スポーツ交流団が訪韓。 ・12月20日 - 第二体育館が完成。 ・1993年(平成5年)3月16日 - グラウンド改修工事が完了。 ・1996年(平成8年)3月31日 - 2号館と特活校舎のリフレッシュ工事が完了。 ・1997年(平成9年)3月31日 - 第一体育館下の雨天練習場人工芝工事が完了。 ・1998年(平成10年) - 総合選抜制度全廃。普通科も単独選抜に移行。 ・1999年(平成11年)8月31日 - 看護在宅実習室の整備工事が完了。 ・2002年(平成14年) ・3月25日 - 皆実会館が完成。 ・4月1日 - 5年一貫看護教育(3年+専攻科2年)の開始。 ・10月31日 - 7号棟・39号棟の内部リフレッシュ工事が完了。 ・2003年(平成15年)3月26日 - 防球ネットを設置。 ・2004年(平成16年) ・3月26日 - 駐輪場を新設。 ・5月31日 - PTAにより普通教室34室に空調が設置。 ・2005年(平成17年)3月31日 - 第二情報数室を新設。 ・2009年(平成21年)1月12日 - サッカー部が、3年連続8回目で出場した第87回全国高等学校サッカー選手権大会で初優勝(創部60年目)。 |
学校行事 |
・ 新入生歓迎遠足
・ 皆実祭 ・ 体育科野外活動 ・ 運動会 ・ 修学旅行(東京) ・ 合唱祭 ・ 韓国親善校との国際交流 ・ マラソン部・弓道部・剣道部が全国大会への出場経験あり。近年は水泳部・卓球部が県大会上位入賞している。中でもサッカー部は全国大会の強豪校で知られ、2008年の高校サッカー選手権では初優勝を果たした。 ◇文化部 ・ 英会話部 ・ 演劇部 ・ 茶道・華道部 ・ フォークソング部 ・ 社会問題研究部 ・ 写真部 ・ 美術部 ・ 文芸部 ・ 自然科学部 ・ 書道部 ・ 吹奏楽部 ・ 視聴覚(放送)部 ・ 園芸部 ◇運動部 ・ 弓道部 ・ 剣道部 ・ テニス部 ・ 男子サッカー部・女子サッカー部 ・ 柔道部(女子) ・ 水泳部 ・ 新体操部(女子) ・ 卓球部 ・ 男子バスケットボール部・女子バスケットボール部 ・ バレーボール部 ・ ソフトテニス部 ・ ボート部 ・ 陸上競技部 |
著名な出身者 |
■ サッカー ・朝日大輔 - 元サッカー選手(カターレ富山) ・井林章 - サッカー選手(清水エスパルス) ・梅田直哉 - 元サッカー選手(FC岐阜) ・金本圭太 - 元サッカー選手、現サッカー指導者 ・木村孝洋 - 元サッカー選手、FC今治監督 ・木村允彦 - サッカー選手(ファジアーノ岡山) ・小林優希 - サッカー選手(ファジアーノ岡山) ・重廣卓也 - サッカー選手(名古屋グランパス) ・柴村直弥 - サッカー選手(ヴァンフォーレ甲府) ・下田崇 - 元サッカー選手(サンフレッチェ広島) ・秦賢二 - サッカー選手(FC琉球) ・疋田優人 - サッカー選手(ファジアーノ岡山) ・藤原悠汰 - サッカー選手(サガン鳥栖) ・堀健人 - サッカー選手(ヴェルスパ大分) ・前川黛也 - サッカー選手(ヴィッセル神戸) ・増田卓也 - サッカー選手(サンフレッチェ広島) ・的場千尋 - 元サッカー選手(水戸ホーリーホック) ・丸川太誠 - サッカー選手(バレッタFC) ・森重真人 - サッカー選手(FC東京) ・山根巌 - 元サッカー選手(柏レイソル) ・吉弘充志 - サッカー選手(MIOびわこ滋賀) ・渡大生 - サッカー選手(アビスパ福岡) ■ その他スポーツ ・瀬戸彬仁 - フットサル選手(シュライカー大阪) ・為末大 - 陸上選手(400mハードル日本記録保持者・エドモントン、ヘルシンキ両世界選手権銅メダリスト) ・中広大悟 - プロボクサー ・福部真子 - 陸上選手 (100mハードル日本記録保持者) ・渡部真代 - バスケットボール選手 ・三間瑠依 - バスケットボール選手 ・上長美菜 - バスケットボール選手 ・奥村鈴 - バスケットボール選手 ・三谷桂司朗 - バスケットボール選手 ■ 芸能 ・今村美月 - STU48(アイドルグループメンバー) ・古今亭菊志ん - 落語家 ・角梨枝子 - 元女優 ・月丘夢路 - 元女優 ・松前吏紗 - まなみのりさ(アイドルグループメンバー) ・松本裕見子 - ローカルタレント ・森山あすか - お笑い芸人 ■ ミュージシャン ・奥田民生 - シンガーソングライター(UNICORN) ・二葉あき子 - 元歌手 ・MEG - ミュージシャン、モデル、デザイナー ・吉田拓郎 - シンガーソングライター ・磯部正文 - シンガーソングライター(HUSKING BEE) ■ マスコミ ・磯野恭子 - 元山口放送アナウンサー、テレビディレクター ・石川みなみ - 日本テレビアナウンサー ・久保田智子 - TBS報道記者・元アナウンサー、2024年より姫路市教育長 ・京面龍太郎 - テレビ高知アナウンサー ■ 作家 ・くぼ英樹 - 児童文学作家 ・佐伯千秋 - 児童文学作家 ■ 漫画家 ・市川ヒロシ - 漫画家 ■ 実業家 ・河村泰貴 - 吉野家ホールディングス代表取締役社長 ■ 学者 ・西田友是 - 東京大学名誉教授、元画像電子学会会長 ■ その他 ・ 井上龍也 - お好み焼き愛好家 ・ 松浦宰 - 彫刻家 日本彫刻会、東京都北区美術会 |
交通アクセス |
最寄りの鉄道駅
・JR西日本 山陽本線・芸備線 「広島駅」 ・広島電鉄(路面電車) 皆実線(5号線) 「南区役所前電停」、「皆実町二丁目電停」 最寄りのバス停 ・広島駅から ・広電バス(青)・広島バス(赤)・広島交通(オレンジ) ・まちのわループ右回り(302号線) 「出汐二丁目」バス停 ・広電バス(青)・広島バス(赤) ・大学病院行き(322号線) 「大学病院入口」バス停 ・旭町循環線(332号線) 「大学病院入口」バス停 ・広島バス(赤) ・県病院行き(342号線) 「出汐二丁目」バス停 ・広島みなと新線広島港行き(312号線) 「出汐二丁目」バス停 最寄りの道路 ・国道2号 「出汐」交差点 ・広島高速2号線 「東雲出入口」 |
「広島県立広島皆実高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年10月13日15時(日本時間)現在での最新版を取得。