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修猷館(普通)


偏差値69( 5つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)196.25点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 64位/7791校( 学科単位 )
九州・沖縄地方 6位/1200校( 学科単位 )
福岡県 3位/325校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【福岡県立修猷館高等学校】
福岡県立修猷館高等学校(ふくおかけんりつしゅうゆうかんこうとうがっこう)は、福岡県福岡市早良区西新六丁目にある公立高等学校。略称「修猷館(しゅうゆうかん)」「修猷(しゅうゆう)」。1784年(天明4年)開館の福岡藩藩校・甘棠館(西学問稽古所)、同修猷館(東学問稽古所)に起源を持つ伝統校。
概要 ■ 組織
かつては定時制と通信制も存在したが、現在は全日制普通科のみ。募集定員は11クラス440名。教室設備の都合上、3年に一度は定員を10クラス400名とし、全校で32クラス計1280名の生徒が通う。 2年次から文系・理系のクラスに分かれる。文系・理系普通クラスのほかに、文系英数クラス・理系英数クラス(通称英数)・医学部進学クラス(通称医進)が設置されている。文系英数クラスには東大・京大・一橋大を、理系英数クラスには東大・京大を志望する生徒が在籍している。 かつては補習科(福岡県立高校におかれた既卒生のためのクラス)を前身とする予備校、修猷学館が存在し、他校卒生も入学することができた。学校の裏手にある西南学院大学に隣接し、教員や模試も高校と共通であったため、「修猷は四年制高校」とも揶揄された。九大をはじめ国立大学医学部へ卒業生を多数輩出したが1995年に閉校となり、跡地は西南学院大学により図書館の敷地の一部として買収された。

■ 校名
修猷館の名は『尚書(書経)』「微子之命」の章句「踐脩厥猷(せんしゅうけつゆう)」から取られた。「微子之命」は周の黄金時代を築いたとされる成王(在位 紀元前1042年-1021年)が殷の王族である微子啓に殷王室の後継者となることを命じた文章である。「踐脩厥猷」は「厥(そ)の猷(みち)を踐(ふ)み脩(おさ)む」と書き下し、「その湯王の偉大な道を実践し修める」ということを意味する。典拠となった一篇は以下の通り。 ::書き下し文:嗚呼、乃(なんぢ)の祖成湯、克(よ)く斉聖広淵(せいせいこうえん)なり。皇天眷佑(こうてんけんゆう)し、誕(おおい)に厥の命を受く。民を撫するに寛を以てし、其の邪虐を除く。功時に加はり、徳後裔(こうえい)に垂る。爾(なんぢ) 惟(こ)れ厥の猷を踐み脩め、旧(ひさ)しく令聞あり。 ::現代語訳:ああ、汝の祖である湯王は慎み深く賢明で度量は広く物事に通じていた。そこで大いなる天はそれを助け、(成王は)天命を受けた。民を寛大な政治によって治め、(桀の)悪虐を除いた。功業は時にいや増し徳は後世の子孫にまで及んだ。汝はその成王の偉大な道を実践し修めており、久しく立派な評判がある。 藩校が廃藩置県で閉鎖された後、県立中学として再興されようとした際に、文部大臣から「旧藩校時代の校名は不適切」との理由で校名の変更を迫られたが、旧藩士はこれに猛反発し、旧福岡藩主黒田長溥が「学校経費は全て黒田家が出すから館名を残せ」と決意したことにより館名は守られた。実際に学校の財政は1893年まで黒田家が全額負担しており、黒田家の援助から離れて完全に県費負担となるのは1900年のことである。なお、一部の古い旗や制帽では六芒星の各頂点の内角が60°より小さく、鋭くなっているものがある。このようなデザインは校内のデザインやステッカー、刊行物にもしばしば見られる。 また、明治27年には初めて制帽の徽章に六光星が用いられた。(制帽のデザインとしては3代目にあたる。9月17日午後1時から館庭で館旗制定式が行われ、古賀毅館長の訓話ののち館旗に対して分列式を行った。 1922年(大正11年)に県立中学校学則が改訂され、導入を先送りにしていた唱歌が授業として採用されたことで、翌1923年に旋律を持った正式な館歌が制定され、3月5日の第35回卒業式で初めて発表された。作詞・作曲は中学修猷館教諭であった藤沢雄一郎、横田三郎(横田は福岡女子専門学校教授も兼任)がそれぞれ担当した。校閲は1895年(明治28年)卒業の第五高等学校教授、八波則吉に依頼され、さらに宮内省御歌所寄人、武島羽衣が再閲を行った。長い歴史の中で数々の応援歌やエールが誕生し、應援團が中心となり、生徒に指導を行ったり行事で指揮を取ったりしてその伝承に努めてきた。代表的な応援歌に、、「玄南の海」、「彼の群小」、「輿望は重し」などがある。 かつては「夫れ北筑」で志気を高め、続けて「玄南の海」で選手たちを送り出していた。福岡高校100周年の春には、春日公園にて記念試合を行い、両校とも雨の中全校で応援に向かった。
沿革 ■ 藩校時代

・ 1783年(天明3年)6月24日(旧暦) - 福岡藩第9代藩主黒田斉隆(江戸幕府第11代将軍徳川家斉の実弟)が藩儒竹田定良、儒医亀井南冥に藩校創建を命じる。
・ 1784年(天明4年)2月1日(旧暦) - 福岡藩の藩校として甘棠館(西学問稽古所)が開館。初代館長は亀井南冥。
・ 1784年(天明4年)2月6日(旧暦) - 同じく福岡藩の藩校として修猷館(東学問稽古所)が開館。初代館長は竹田定良。
・ 1798年(寛政10年)1月29日(旧暦) - 唐人町より発した大火により甘棠館焼失。生徒は皆修猷館に編入し以後福岡藩の藩校は修猷館のみとなる。
◎修猷館と甘棠館
修猷館が上級武士を対象に幕藩体制を支える理論重視の朱子学を講じたのに対し、甘棠館は下級武士や町人らを対象に朱子学に批判的な実践重視の徂徠学を講じており、前者の系譜は東学、後者の系譜は西学と呼ばれた。 1790年(寛政2年)、江戸幕府老中松平定信が寛政の改革で行った寛政異学の禁による、朱子学以外の学問に対する厳しい圧迫が地方にも及び、藩の上層部は1792年(寛政4年)に亀井南冥を甘棠館館長から罷免し、長男の亀井昭陽が家督を継いだ。 しかし、1798年(寛政10年)甘棠館校舎は焼失し、遂には再興もならず閉校が決定された。西学は亀井昭陽が開いた私塾 亀井塾としてその命脈を保ち、日田の広瀬淡窓や秋月の原古処、そして博多の興志塾を開いた高場乱などを輩出した。興志塾は後に玄洋社を興す頭山満、箱田六輔なども輩出している。

■ 断絶期

・ 1871年(明治4年)10月25日 - 廃藩置県により、福岡県が成立。全ての藩校は廃止された。1874年 福岡県はこの地に診療所を設置、これが九州大学の起源となる。
・ 1879年(明治12年)1月5日 - 向陽社(後の玄洋社)により向陽義塾設立。
・ 1881年(明治14年)1月7日 - 向陽義塾閉塾。
・ 1881年(明治14年)1月7日 - 向陽義塾を引き継ぎ、旧福岡藩主黒田家により藤雲館設立。
・ 1885年(明治18年)侯爵黒田長溥や金子堅太郎、福岡の旧藩士らの尽力により、廃止から十四年ぶりに修猷館を再興することが決定。

■ 再興

・ 1885年(明治18年)5月30日 - 福岡県令より、福岡県立英語専修修猷館 の設置が告示される。(同日を創立記念日としている。)
・ 1885年(明治18年)9月10日 - 福岡県立英語専修修猷館を開館し、開館式を行う。初代館長は隈本有尚。黒田家の寄付により藤雲館の校舎・什器一切を引き継ぐ。
・ 1887年(明治20年)3月26日 - 原因不明の出火により全焼。一時的に旧警固小学校跡に移転。
・ 1889年(明治22年)3月13日 - 福岡県立尋常中学修猷館と改称。
・ 1889年(明治22年)3月15日 - 隈本有尚館長、金子堅太郎、栗野慎一郎らの尽力により旧藩校修猷館跡である大名町堀端(現・中央区赤坂1丁目)に再建・移転。
・ 1891年(明治24年)3月24日 - 投石事件 が起こる。
・ 1894年(明治27年)12月 - 六光星の徽章を制定。
・ 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令改正に伴い、新年度より福岡県中学修猷館と改称。
・ 1900年(明治33年)7月17日 - 大名町から西新町(現在の場所)へ移転。
・ 1901年(明治34年)5月4日 - 福岡県立中学修猷館と改称。
・ 1917年(大正6年)4月1日 - 寄宿舎の一部を仮校舎として福岡県立福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)が開校。
・ 1923年(大正12年)3月5日 - 館歌制定 。
・ 1925年(大正14年)4月1日 - 福岡県中学修猷館と改称。
・ 1926年(大正15年)菁莪堂建設。
・ 1927年(昭和2年)6月22日 - 福岡中学校舎火災に伴い修猷館の一部を仮校舎として貸与。
・ 1945年(昭和20年)6月19日 - 福岡大空襲により大きな被害を受ける。

■ 戦後

・ 1948年(昭和23年)
 ・ 4月1日 - 学制改革に伴い、新年度より福岡県立高等学校修猷館と改称。
 ・ 4月20日 - 新年度より男女共学となり、初めての男女共同入学式を実施。
・ 1949年(昭和24年)8月31日 - 福岡県立修猷館高等学校と改称。
・ 1985年(昭和60年) - 創立200周年記念事業開始(- 1987年) 同年3月26日、菁莪記念館)竣工。
・ 1998年(平成10年)3月 - 新校舎建設事業開始。卒業式を待ち、まず最初に講堂が解体される。
・ 2000年(平成12年) - 第一期工事(教室棟)完了。
・ 2002年(平成14年)
 ・ 4月 - 文科省よりスーパーサイエンスハイスクール(第一期)の指定を受ける。(2006年度をもって終了。)
 ・ 第二期工事(管理棟)完了。校舎建て替え、福岡県立博多青松高等学校の開校により定時制課程を閉課
・ 2003年(平成15年) - 第三期工事(新体育館)完了。
・ 2005年(平成17年) - 第四期工事(プール、弓道場、ヨット部艇庫)完了。
・ 2008年(平成20年) - 第五期工事(新講堂、新正門)完了。これにより10年にわたる新校舎建設事業が全て完了する。
・ 2013年(平成25年)3月18日 - 旧正門が福岡市登録文化財に登録される
・ 2019年(平成31年/令和元年)
 ・ 3月 - 耐震基準に適合していなかった敷地西側の煉瓦塀・東側のブロック塀が取り壊され、新たに鉄筋コンクリート造の塀が完成。
 ・ 4月 - 男女混合名簿を採用。菁莪記念館の大規模改修工事が完了。講堂正面の壁面に新たに六光星の徽章を取り付ける。
 ・ 9月10日 - グラウンドの全面人工芝化工事に着手し、西半分を占める野球コートが閉鎖される。
 ・ 9月30日 - レンガ造だった南門の鉄筋コンクリート造への置き換え工事が完了。(外観はそのまま)
・ 2020年(令和2年)8月 - グラウンドの全面人工芝化が完了。
歴代館長 藩校時代は「総受持(そううけもち)」、再興後は「館長」が正しい呼称である。

■藩校時代

代 歴代総受持 号 就任年   備考
  1  竹田定良  梅廬  1783年(天明3年)  福岡藩の藩儒竹田家の第4代当主。
  2  竹田定矩  復斎  1796年(寛政8年)  福岡藩の藩儒竹田家の第5代当主。
  3  竹田定夫  梧亭  1807年(文化4年)  福岡藩の藩儒竹田家の第6代当主。
  4  竹田定簡  蕭韵  1840年(天保11年)  福岡藩の藩儒竹田家の第8代当主。
  5  竹田定猗  謙窓  1867年(慶應3年)  福岡藩の藩儒竹田家の第9代当主。


■再興〜現在

代   歴代館長 就任年   備考
  1  隈本有尚  1885年(明治18年)   前・東京大学理学部准助教授、東京大学予備門教諭(夏目漱石、正岡子規の師)。
  2  尾崎臻  1889年(明治22年)   光雲神社宮司、玄洋社社員。
  3  黒田長成   1892年(明治25年)  黒田家13代目当主、福岡藩最後の藩主黒田長知の長男、貴族院副議長・議員、枢密顧問官、議定官、侯爵。
  4  隈本有尚   1894年(明治27年)  再任。後・長崎高等商業学校初代校長、朝鮮総督府中学校(現・ソウル高等学校)初代校長。
  5  小寺甲子二  1901年(明治34年)  前・札幌農学校助教、後・福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)校長、長野県立長野中学校(現・長野県長野高等学校)校長、朝鮮総督府中学校校長。
  6  西村謙三  1905年(明治38年)  前・福井県武生中学校(現・福井県立武生高等学校)初代校長、滋賀県立第一中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)校長、後・長崎県立長崎中学校(現・長崎県立長崎西高等学校)校長、成美高等女学校校長、佐賀徴古館初代館長。
  7  柴崎鉄吉  1911年(明治44年)   前・岐阜県大垣中学校(現・岐阜県立大垣北高等学校)校長、京都府師範学校校長、大阪府立天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)校長、後・朝鮮総督府中学校校長。
  8  小松倍一  1913年(大正2年)  前・静岡県立掛川中学校(現・静岡県立掛川西高等学校)校長、後・旧制松江高等学校初代校長、第六高等学校校長、第四高等学校校長。
  9  白坂栄彦  1913年(大正2年)  前・私立岡山実科女学校(現・就実学園)発起人(岡山県視学官)・初代校長、後・福岡県教育会長、帝国教育会理事。
  10  古賀毅  1930年(昭和5年)   前・鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)校長、後・福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)校長。
  11  隈部以忠  1937年(昭和12年)  前・山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)校長、後・京都府立京都第一中学校(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)校長、甲南中学校・高等学校校長(新制初代)。
  12  大内覚之助  1941年(昭和16年)  前・旧制福岡高等学校教授、後・久留米大学附設中学校・高等学校校長、熊本女子大学(現・熊本県立大学)文家政学部長・名誉教授。
  13  井上孝太郎  1949年(昭和24年)  後・常盤高等学校校長、純真女子高等学校(現・純真高等学校)校長、純真女子短期大学(現・純真短期大学)学長、福岡県教育委員長。
  14  山田茂  1958年(昭和33年)  
  15  重藤市之丞  1961年(昭和36年)   後・東海大学第五高等学校校長。
  16  石橋茂   1968年(昭和43年)  
  17  樗木昇一  1971年(昭和46年)  
  18  佐村和春  1975年(昭和50年)  
  19  湊博文  1978年(昭和53年)  
  20  原岡鐵二  1982年(昭和57年)  後・福岡雙葉中学校・高等学校校長、東和大学附属東和高等学校・東和大学附属中学校校長。
  21  亀谷陽三  1989年(平成元年)  
  22  吉田秀男  1990年(平成2年)  
  23  船津正明  1993年(平成5年)  修猷館高校出身館長。
  24  前川昭治  1999年(平成11年)  
  25  末永照元  2002年(平成14年)  
  26  古田智信  2004年(平成16年)  後・久留米大学附設中学校・高等学校校長。
  27  中嶋利昭  2006年(平成18年)  
  28  亀岡靖  2010年(平成22年)  
  29  中嶋利昭  2011年(平成23年)  再任。後・筑紫女学園中学校・高等学校校長。
  30  奥山訓近  2012年(平成24年)  
  31  江口善雄  2015年(平成27年)  
  32  高島孝一  2018年(平成30年)  
  33  岡本圭吾  2021年(令和3年)  修猷館高校出身館長。
  34  中神智文  2023年(令和5年)  現任。前・福岡県立朝倉高等学校教諭、前・福岡県立武蔵台高等学校校長。
修猷館200年記念事業 修猷館200年記念事業は、1981年(昭和56年)2月の幹事会で図書館の改築・菁莪記念館の建設が了承され、具体化への一歩を踏み出した 。その後、記念事業委員会結成大会を経て、学校・同窓会・父母教師会・修猷協会が一体となって進められたもの蔵書を抱える図書館は読書だけでなく自習にも供される。図書館内には修猷館に関する資料や同校出身者の伝記・著作などをまとめた「修猷館コーナー」が存在する。
・ 教室棟(南棟・中棟・北棟)- コの字の校舎のうち、南北棟の2階から4階までが、それぞれ3学年から1学年のHR教室となっており、南北それぞれにホールと呼ばれる自習スペースが設けられている。中棟は2階が大講義室、3階が階段教室、4階がパソコン教室となっている。教室棟5階には美術室、音楽室、被服室、調理室、家庭科講義室、LL教室がある」 File: Shuyukan High School classroom.jpg HR教室 File: Shuyukan High School large lecture room.jpg 大講義室 File: Shuyukan High School career guidance room.jpg 進路指導室 File: Shuyukan High School hall in the south building.jpg ホール(南棟2階) File: Shuyukan High School school store.jpg 売店 File: Shuyukan High School gym.jpg 体育館 File: Shuyukan High School judo hall.jpg 柔道場 File: Shuyukan High School kendo hall.jpg 剣道場 File: Shuyukan High School tennis court.jpg テニスコート File: Shuyukan High School baseball ground.jpg 野球場 File: The monument of Shuyukan High School’s 50th founding anniversary.jpg 創立五十年碑 File: Mr. Nagamichi Kuroda and his wife visit monument in Shuyukan High School.jpg 黒田長礼夫妻来校記念碑 File: Art work "Michi" in Shuyukan High School.jpg アート作品「みち」
学校生活 ■ ルール
自主自立の精神と反骨的な校風が受け継がれていることから特に校訓・校則を定めず、生徒による大幅な自治が認められている。生徒心得という明文化されたルールはあるものの、校則とは呼ばれず、風紀検査も行われない。生徒手帳が配布されない代わりにカードサイズの生徒証明書が発行される。 校内での携帯電話の所持・使用は各自の裁量に任せるなど規則は緩やかであるが、私服登校やオートバイ通学は原則認められていない。火曜日7限に「総合的な探求の時間」、水曜日7限に「ホームルーム活動」を行う。なお、定期考査・実力考査の実施日は、SHR開始時刻を08:40、Ⅰ限開始時刻を09:00とする。
・ タンブリング - 各ブロックの男子全員で行われる組体操。各ブロックのテーマを7段の人間ピラミッド(通称7ピラ)や4段の人間円塔(通称4タワー)などの技を組み合わせて表現する。
・ 創作ダンス - 各ブロックの女子全員で行われる。ダンスの動きや構成を各ブロックが独自に考え、披露される。
・ 応援コンテスト - 通称応コン。各ブロック全員で行われるマスゲームである。応援歌に乗せて、パネルを使って様々な言葉や絵を表現する。
・ エール - エーラーと呼ばれる者が太鼓の音頭に合わせて演舞を行ったり、エールっこと呼ばれる者がチアダンスを披露したりする。
・ 騎馬戦 - 各ブロック計16騎の騎馬(1騎あたり5名で構成される)どうしがぶつかり合い、大将騎落馬を目指す。
・ 綱引き - 各ブロックの男女80名と綱の最後尾を担うアンカーマン1名で綱を引き合う。
・ 棒引き - 12本の棒を自陣に引き合う競技。
・ 大帽走 - 10人11脚で走り、縄跳びをするリレー競技。 バトンの代わりに帽子を使うことからこの名がついた。
・ 陸上α・β・γ - α・βはそれぞれ大運動会の幕開け・締め括りに行われるリレー競技。βは障害物競走である。 大運動会の入場行進の際には五輪旗が掲げられる。かつては1964年東京オリンピックにおいて国立競技場にはためいていた五輪旗の実物を使用していた。これは、アベリー・ブランデージIOC会長から同校出身の組織委員会会長の安川第五郎に寄贈され、その後安川から母校である修猷館高校へと寄贈されたものである。現在は劣化したためレプリカを使用し、実物は額に入れられ同校の資料館に展示されている。

■ 修猷大文化祭
毎年6月上旬頃の土曜・日曜の連日に開催されていたが、2学期制への移行に伴って平成20年度からは3月中旬ごろの土曜・日曜に移行された。また、3年生は参加しない。例年一般公開されている。 内容を大別すると、各クラスが一体となって展示や劇を行うクラス企画、文化部が部活動の内容や成果を紹介したり部活動に関連した内容の展示や劇を行ったりする文化部企画、展示・バンド・歌・ダンスなど有志が中心となって行う文化祭有志企画、の3つがある。 秀逸だったクラス企画には、館長自らが選ぶ「館長賞」や、来場者からの投票で選ばれる「六光賞」が与えられる。 2008年度から、6月に文化部を中心とした文化祭「春のフェスト」が開催されることになったが、2009年度から「春のフェスト」は廃止され、代わりに「文化部発表会」が開催されることとなった。
年間行事 上記の二大行事や学年行事、研修旅行を除いてほぼ全ての行事運営を執行部が担っている。年間を通しての行事スケジュールは以下の通り。

■ 4月

・ 入学式 - 講堂で執り行われ、孔子像や館歌の紹介がされる。
・ 部活動オリエンテーション - 1年生の入学直後の6限・7限に実施される。2週間ほどの体験入部期間の初日となる。
・ 応援歌指導 - 應援團員と応援歌指導員により、1年生に対して歌唱指導が行われる。
・ 創志研修 - 1年生の学年行事である。以前は近郊での宿泊研修だったが、自然災害の影響で平成29年度からは日帰りの自然レクリエーション、校内でのクラス討議などに変更されている。
・ 学年遠足 - 4月末に行われる、2・3年生の学年遠足である。2年生は志賀島方面、3年生は能古島へフェリーで遠足に行く。クラスや学年での団結を強める行事である。

■ 5月

・ 創立記念行事 - 5月30日の創立記念日に合わせて様々な文化行事が1日かけて催される。午前中は政財界の要人や科学者、文化人などを招いて講演会が行われる。午後は各方面で活躍する卒業生が出前授業をする卒業生キャリアセミナーが実施される。

■ 6月

・ 芸術鑑賞 - 6月中旬、2年生にのみ実施される。集団で地下鉄に乗り観劇に向かう。
・ 小学生ふれあい教室 - 6月中旬、近隣の小学生と保護者を招いて学校案内を行う。
・ 文化部発表会 - 6月下旬、13の文化部と有志団体の活動成果を発表する。

■ 7月

・ 海外研修 - 7月中旬の一週間で実施される。校内から選抜された派遣団が米国西海岸・東海岸の諸都市を隔年で訪問する。同窓会組織からの手厚い補助が不可欠の行事である。また、2022年度の1月には台湾を訪れるアジア研修も実施された。
・ クラスマッチ - いわゆる球技大会である。夏休み直前に2日間行われる。大運動会に向けてクラスの団結を高めるという側面をもち、6つの競技部門とクラス総合のそれぞれで成績が発表される。

■ 8月

・ 東京研修 - 夏季休業中の8月上旬に実施される。東京近辺への進学を考える2年生が参加する。大学や企業などを訪問する。

■ 9月

・ 大運動会 - 前述。
・ 東北研修 - 9月末から10月初旬の秋季休業中に実施される。2011年度の修学旅行で最初に東北地方を訪れたことから、2018年度まで7年続いた。東北の復興に鑑みてここで停止となる。

■ 10月

・ 修猷フェスト - 10月下旬から11月上旬頃に開催される。中学生に向けた学校説明会で、部活動の紹介や体験授業などを行う。土曜の午後に開催され、午前は卒業生による出前授業が行われる。
・ 研修旅行 - 10月末から11月初旬にかけて実施される、修学旅行である。学年全体で国内の同じ地方を訪れるが、その中でいくつかのコースに別れて研修を行う。
・ 文化講演会 - 各界で活躍する人物を講師として迎え、講演会が実施される。

■ 11月

・ 菁莪祭 - 校内での図書館祭で、11月中旬の読書週間に行われる。教員による講演会などもある。

■ 12月

・ 十里踏破遠足 - かつては十里行軍とも呼ばれた。糸島半島十里(約40km)を歩きぬく行事(強歩大会)である。毎年2月上旬ごろに開催されていたが、2008年度から12月中旬に引き上げられた。3年生が参加しない行事の一つである。
・ 課題研究発表会 - 課題研究の成果を発表し合う行事である。課題研究は、生徒自ら研究したいことについての講座を開き、それぞれの講座で1・2年生の混合グループを作り、夏季休業前から研究・発表準備が行われる。

■ 1月

・ 予餞会 - 毎年1月31日に開催される。下級生と上級生が対面形式で学校生活や生徒個人の理想、信念を語り合う場となっている。

■ 3月

・ 大文化祭 - 前述。
・ 卒業式
生徒会・部活動 部活動への加入率が高く、兼部をする生徒も多い。全校生徒からなる生徒会が大幅な自治と学校運営を任されており、どの団体も行事や大会に向けて日頃から盛んに活動している。

■ 生徒会
生徒会選挙で選出されるのは下記の三役員のみで、業務のほとんどは執行部が行う。
・生徒会総務 - 前期・後期各1名。生徒会の代表者であり、名目上は執行部の長。
・生徒会議長 - 前期・後期各1名。議長団を統括し生徒総会や談話会を主催する。
・監査委員長 - 前期・後期各1名。各クラスの監査委員を集め生徒会三役選挙を行う。

■ 事業部
生徒の学校生活や広報に関わる部で、学校運営の一端を担う。
・ 執行部 - 校内雑務・行事運営を担う。選挙ではなく届け出による入部。
・ 議長団 - 生徒会の議事録などを作成。
・ 應援團 - 学校行事や部活の試合などで活動。
・ 新聞部 - 年に5回「修猷新聞Neo」を発行。「修猷新聞Neo」はフルカラーの雑誌型新聞で、不定期に「EXTRA」も発行している。第46回全国高等学校総合文化祭出場、第26回全国高校新聞年間紙面審査優良賞受賞。

■ 運動部
スポーツ推薦による入学もあり、ラグビー部や陸上部をはじめ多くの運動部がインターハイ出場を目指して盛んに活動している。
・ ラグビー部 - 第4回国民体育大会優勝、2022年度全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会ベスト16。
・ 陸上部 - 平和台陸上競技場などで練習している。2022年度インターハイ出場。
・ 水泳部 - 2022年度インターハイ出場。
・ 山岳部 - 2022年度インターハイ男子12位、女子15位。
・ 柔道部 - 金鷲旗9回優勝。第44回全国高等学校柔道選手権大会女子個人優勝。
・ 剣道部 - 玉竜旗6回優勝。
・ 弓道部
・ 卓球部
・ 野球部
・ ヨット部
・ バドミントン部
・ テニス部
・ ソフトテニス部
・ バレーボール部
・ サッカー部
・ バスケットボール部

■ 文化部
文化部活動の成績による推薦入学もあり、多くの文化部で兼部が可能である。全国高等学校総合文化祭などへの出場を目指して盛んに活動している。
・ ディベート部 - 第27回ディベート甲子園第3位。23大会連続23回出場。
・ 映画制作部 - 高校生のための Eiga World Cup 2021 NPO法人映画甲子園賞受賞。
・ 書道部 - 第46回全国高等学校総合文化祭東京大会特別賞受賞。
・ 放送部 - 第46回全国高等学校総合文化祭東京大会出場。
・ 華道部 - 第4回全国高校生花いけバトル準優勝。
・ 吹奏楽部 - 2022年度高文連福岡県大会優秀賞受賞。
・ 数学研究部 - 第32回日本数学オリンピック本選出場。
・ 生物研究部 - 日本生物学オリンピック2022銅賞受賞。
・ 物理部
・ 化学部
・ 茶道部
・ 演劇部
・ 美術部
・ 写真部
・ 文芸部
・ パソコン部
・ コーラス部
・ JRC部 - Junior Red Cross(青少年赤十字)の略。ボランティア活動を行う。
・ ESS - English Speaking Society の略。英語を使った様々な活動を行う。

■文体総合部
校内での競技人口などの事情により部活こそ存在しないが、囲碁、将棋、空手など様々な分野で学校を代表して公式大会に出場している。第46回全国高等学校総合文化祭東京大会囲碁部門準優勝。

■ 愛好団体
まだ部活動として認可されていないが、生徒有志が集まり、大会に出場したり、学校行事に参加したりしている団体。
・ クイズ研究会 - 2021年度AQLジュニア全国大会出場。
・ 競技かるた愛好会
アクセス 最寄りの鉄道駅
・福岡市地下鉄空港線西新駅1番出口 最寄りのバス停
・西鉄バス
 ・ 修猷館前バス停
 ・ 脇山口バス停
 ・ 西南学院大学前バス停 最寄りの道路
・ 明治通り
・ サザエさん通り - 2012年5月27日、西新駅1番出口に程近い修猷館高校東側からシーサイドももちの福岡タワー先の博多湾岸までS字形に延びる市道約1.6kmが、「サザエさん通り」と名付けられた。漫画『サザエさん』の作者である長谷川町子が、1944年から2年間この近くに住んでいた際、通りの一部にある旧海岸線(現在は埋め立てにより海岸からは離れている)において、『サザエさん』の登場人物の名前を思い付いたことに由来する。

「福岡県立修猷館高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2023年4月2日9時(日本時間)現在での最新版を取得。

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