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延岡(普通)
偏差値 | 53( 3つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 136.25点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 1946位/7791校( 学科単位 ) 九州・沖縄地方 196位/1200校( 学科単位 ) 宮崎県 13位/109校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
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【学校掲示板】
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【宮崎県立延岡高等学校】 | |
宮崎県立延岡高等学校(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立高等学校。通称は「延高」(のべたか)。 | |
概要 |
◇歴史
:1873年(明治6年)旧延岡藩主内藤氏によって設立された「延岡社學」を源流とする。旧制・延岡中学校の開校した1899年(明治32年)を創立年としており、2014年(平成26年)に創立115周年を迎えた。
◇学区 :宮崎県内全域(旧学区:延岡市中心部・南部) ◇設置課程・学科 :全日制課程 2学科 : ・普通科 : ・メディカル・サイエンス科(理数に関する学科) ◇校訓 :「剛健・自治・信愛」- 1926年(大正15年)に制定。 ◇校章 :桜の花弁と「学問」を表す万年筆のペン先3本と「高」の文字を組み合わせたものとなっている。 ◇校歌 :1958年(昭和33年)制定。作詞は渡辺修三(旧制・延岡中学校卒業生)、作曲は近衛秀麿による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「延岡」が登場する。 :校歌の他に「延高賛歌」がある。作詞は金井總欣、作曲は太田陽・太田洋・藤原愛子、編曲は岩切佳代子による。歌詞は2番まであり、校名は登場しない。 ◇旧校歌 ・旧制・延岡中学校 - 作詞は工藤正勝による。歌詞は5番まであり、校名は歌詞中に登場しない。 ・旧制・延岡高等女学校 - 作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰による。歌詞は4番まであり、各番に校名の「延岡高女」が登場する。 ・旧・恒富高等学校学生歌 - 作詞は甲斐芳一、作曲は柳田育秀による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「恒富」、2番に校訓の「剛健・自治・信愛」が入っている。 ◇同窓会 :「延友会(えんゆうかい)」と称している。 |
沿革 |
◇前史
・1872年(明治5年) - 学制の布告により、旧延岡藩藩校「廣業館」が104年の歴史を閉じる。 ・1873年(明治6年)1月6日 - 廣業館の跡地に私立中学校の「延岡社學」が創立。延岡藩主家の内藤氏が運営。 ・1875年(明治8年)1月22日 - 延岡社學を「亮天社」に改称。 ・1876年(明治9年)3月1日 - 亮天社付属女兒教舎が開校。 ・1878年(明治11年)2月1日 - 女兒教舎が亮天社から分離・独立。 ・1903年(明治36年)3月5日 - 亮天社が廃校となる。 ◇旧制中学校(男子校)時代 ・1899年(明治32年) ・4月1日 -「宮崎県立延岡中学校」(修業年限5年:現在の中1から高2に相当)が設置される。 初代校長は山崎庚午太郎。100名に入学を許可。 ・5月25日 - 開校式を挙行。 ・1926年(大正15年)10月8日 - 校訓「剛健・自治・信愛」を制定。 ・1927年(昭和2年)11月5日 - 創立25周年を記念して図書館が完成。 ・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。 ・1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前(昭和16年・17年)に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。 ・1945年(昭和20年) ・4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。 ・6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。 ・7月28日 - 高千穂分教場を開設。 ・8月15日 - 終戦。 ・8月25日 - 田代分教場を開設。 ・9月 - 学校での授業が再開される。 ・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。 ・旧制中学校の募集を停止。 ・新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ・併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。 ・旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年) ・3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、旧制中学校が廃止される。 ・4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡恒富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。 ◇旧制・高等女学校時代 ・1901年(明治34年)4月1日 - 女兒教舎が「私立延岡女学校」に改称。 ・1903年(明治36年)3月 - 廃校となった亮天社跡に移転を完了。校地・校舎のすべてを継承。 ・1906年(明治39年)8月27日 -「私立延岡高等女学校」に改称。 ・1922年(大正11年)9月 - 寄宿舎が完成。 ・1929年(昭和4年)4月1日 - 県立移管により、「宮崎県立延岡高等女学校」に改称。 ・1943年(昭和18年)9月19日 - 延岡大水害のため校舎が浸水。 ・1944年(昭和19年)5月1日 - 4年生が日窒化学雷管工場に挺身隊として動員される。 ・1945年(昭和20年) ・4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。 ・6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。 ・8月15日 - 終戦。 ・9月 - 学校での授業が再開される。 ・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。 ・高等女学校の募集を停止。 ・新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ・併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。 ・高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年) ・3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、高等女学校が廃止される。 ・4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡岡富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。 ・1949年(昭和24年)4月1日 - 公立高校統合・再編により、宮崎県立延岡岡冨高等学校が廃止される。 ・跡地には、延岡市立岡冨中学校が設置された。 ◇新制高等学校 ・1948年(昭和23年) ・4月1日 - 学制改革により、県立の旧制中等学校(延岡中学校・延岡高等女学校・延岡工業学校・延岡商業学校)が統合され新制高等学校2校が発足。 ・旧制中等学校卒業者(5年修了)を新制高校3年、旧制中等教育学校4年修了者を新制高校2年、併設中学校卒業者(3年修了)を新制高校1年生として収容。 ・旧4校の併設中学校を継承。併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。 ・「宮崎県立延岡恒富高等学校」(恒富の読みは「つねとみ」)- 旧制・延岡中学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。 ・旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡工業学校生徒全員を収容。 ・全日制普通課程・工業課程に加えて、定時制夜間部・通信教育部を設置。 ・「宮崎県立延岡岡富高等学校」(岡富の読みは「おかとみ」)- 旧制・延岡高等女学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。 ・旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡商業学校生徒全員を収容。 ・全日制普通課程・商業課程に加えて、定時制昼間部を設置。 ・1949年(昭和24年) ・3月31日 - 併設中学校を廃止。 ・4月1日 - 公立高校の再編により、上記2校が統合され「宮崎県立延岡恒富高等学校」となる。 ・1950年(昭和25年)4月1日 - 商業課程と工業課程が分離し、宮崎県立延岡向洋高等学校として独立。定時制昼間部の募集を停止。被服科を新設。 ・1952年(昭和27年)3月31日 - 通信教育部を宮崎県立宮崎大宮高等学校に移管。 ・1958年(昭和33年)6月1日 - 校歌を制定。 ・1959年(昭和34年)4月1日 - 「宮崎県立延岡高等学校」(現校名)に改称。 ・1963年(昭和38年)2月 - 新設の宮崎県立延岡西高等学校の間で合同選抜を開始。 ・1967年(昭和42年)- 第二グラウンドが完成。 ・1969年(昭和44年)4月1日 - 定時制課程が分離し、宮崎県立延岡第二高等学校として独立。 ・1972年(昭和47年)9月 - 体育館が完成。 ・1977年(昭和52年)2月 - 新設の宮崎県立延岡東高等学校が合同選抜に加わる。 ・1992年(平成4年) - 家政科の募集を停止。 ・1995年(平成7年)4月1日 - 普通科理数コースを設置。 ・1996年(平成8年)3月 - 武道館が完成。 ・1998年(平成10年)3月 - 弓道場が完成。 ・2005年(平成17年) ・この年 - 宮崎県立延岡西高等学校・宮崎県立延岡東高等学校との合同選抜を廃止。 ・4月1日 - 理数科を設置。 ・2007年(平成19年)4月1日 - 女子制服を改訂。 ・2011年(平成23年)4月1日 - 理数科をメディカル・サイエンス科に改称。 ・2020年(令和2年)4月1日- 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(開発型)に指定される。 |
部活動 |
◇運動部
・野球部 ・陸上競技部 ・サッカー部 ・ラグビー部 ・弓道部 ・剣道部 ・ソフトテニス部 ・硬式テニス部 ・バスケットボール部 ・バレーボール部 ・ハンドボール部 ・水泳部 ・卓球部 ・バドミントン部 ・女子ソフトボール部 ◇文化部 ・かるた部 ・吹奏楽部 ・合唱部 ・演劇部 ・書道部 ・茶道部 ・放送部 ・美術部 ・ESS部 ・サイエンス部 |
著名な出身者 |
掲載は五十音順。
・ 石川恒太郎 - 歴史学者、宮崎県立上代日向研究所特別委員 ・ 石谷春貴 - 声優 ・ 井戸章雄 - 鹿児島大学学長(2025年4月-) ・ 稲用博美 - 元宮崎県副知事、宮崎県立看護大学理事長 ・ ・ 沖田愛加 - キャスター、タレント ・ 甲斐一政 - 元愛知県副知事、元名古屋高速道路公社理事長 ・ 鎌田正彦 - SBSホールディングス創業者・代表取締役社長(創業者) ・ ・ 後藤勇吉 - 航空黎明期の飛行家 ・ 志村喬 - 俳優 ・ 白田秀彰 - 法学者、法政大学准教授 ・ 高橋巨典 - フリーアナウンサー、元テレビ宮崎アナウンサー ・ 高森文夫 - 詩人、中原中也賞受賞 ・ 高森建二- 順天堂大学医学部皮膚科学 特任教授 ・ 中島峰広 - 地理学者、早稲田大学名誉教授 ・ 奈須敬三 - クジラ博士 ・ 貫文三郎 - 薬学博士、元日本薬理学会会長 ・ 原田千栄 - 歌手 ・ 日高健 - 経営学者、近畿大学教授 ・ 日野三代春 - テーブルマークホールディングス代表取締役社長 ・ 藤澤文洋 - 大リーグ解説者、東京都立高等学校教諭 ・ 真栄田雅也 - 前(株)キヤノン代表取締役社長 ・ 山元泰生 - 作家 ・ 若山牧水 - 歌人、旧制延岡中学校第1回卒業生 |
交通 |
◇最寄りの鉄道駅
・JR九州 日豊本線「延岡駅」 ・JR九州 日豊本線「南延岡駅」 ◇最寄りのバス停 ・宮崎交通バス 「延岡高校前」バス停 - 延岡駅から三輪行きのバスに乗車。 ◇最寄りの幹線道路 ・宮崎県道16号稲葉崎平原線 (基本的に日向・門川方面からの通学生は南延岡駅利用する。高千穂・五ヶ瀬・日之影の生徒は寮、黒岩・北方・北川・土々呂の生徒は自転車通学、バス及び保護者の送迎が多い。) |
周辺 |
・延岡市立西小学校
・延岡市立恒富小学校 ・延岡市立恒富中学校 ・大瀬川 ・愛宕山 |
「宮崎県立延岡高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年12月22日10時(日本時間)現在での最新版を取得。