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出水(普通)
偏差値 | 49( 3つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 121.25点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 2813位/7791校( 学科単位 ) 九州・沖縄地方 297位/1200校( 学科単位 ) 鹿児島県 52位/216校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
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【学校掲示板】
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【鹿児島県立出水高等学校】 | |
鹿児島県立出水高等学校(かごしまけんりつ いずみこうとうがっこう)は、鹿児島県出水市にある県立高等学校。 | |
概要 |
◇設置課程・学科・学区
:全日制課程 普通科 北薩学区
◇校訓 :「誠実・敬愛・向上」 ◇校章 :亀の甲に「高」の文字、それを鶴が羽を広げて支えている様子を表している。同校の所在する出水市が、全国有数のツル飛来地であるとともに、かつて島津分家の居城(亀ヶ城)があったことに由来する。また、太平洋戦争末期に、鹿児島城址に校舎を構えていた第七高等学校造士館(校章は鶴に「七高」)が戦火を免れるため、数年間出水市に移転してきていたことにもよる。 ◇校歌 :作詞は房内幸成、作曲は岡田忠彦による。歌詞は4番まであり、校名は歌詞に登場しない。1950年(昭和25年)に制定。 ◇同窓会 :「紫岳同窓会」と称し、北海道、東京、近畿、福岡、熊本、水俣・葦北、宮崎、鹿児島、鹿屋、薩摩川内、阿久根に支部を置く。 |
沿革 |
◇ 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
・1919年(大正8年)6月25日 - 出水郡出水町武本に「鹿児島県立出水中学校」が設置される。 ・修業年限を5年(現在の中学1年から高校2年の課程)、入学資格を尋常小学校(6年)を卒業した男子、定員を500名とする。 ・1920年(大正9年) ・1月14日 - 初代校長に山口重知が就任。 ・4月1日 - 「鹿児島県立出水中学校」が開校。 ・1933年(昭和8年)3月31日 - 寄宿舎を廃止。 ・1935年(昭和10年)3月25日 - 農作業室・堆肥舎等が完成。 ・1937年(昭和12年)12月27日 - 定員を500名から750名へ増員。各学年3学級編成となる。 ・1940年(昭和15年)12月28日 - 出水郡八ヶ町村から寄付により、教室・付属建物を増築。 ・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令により、この時の入学生から修業年限が4年となる。 ・1945年(昭和20年) ・3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行が前倒しされ、4年生(昭和16年入学)と5年生(昭和15年入学)の合同卒業式を挙行。 ・4月1日 - 学校の授業が1年間停止されることとなる。ただし、勤労動員は継続された。 ・9月 - 終戦により、授業が再開される。 ・12月1日 - 後援会により、 寄宿舎を再設置。 ・1946年(昭和21年)3月31日 - 定員を750名から1,250名へ増員。各学年5学級編成となる。修業年限が5年に戻る(4年で卒業することができた)。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。 ・旧制中学校の生徒募集を停止。 ・新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。 ・併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ・旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校第二部」が発足。 ・旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。 ・併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。 ・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。 ◇旧制高等女学校・新制高等学校(女子校)時代 ・1921年(大正10年)9月22日 - 「鹿児島県出水高等女学校」の設立が認可される。定員を320名とする。 ・1922年(大正11年) ・3月4日 - 初代校長に木場喜一郎が就任。 ・4月10日 - 出水尋常高等小学校(現・出水市立出水小学校)を仮校舎として「鹿児島県出水高等女学校」が開校。 ・6月14日 - 定員を400名に増員。 ・1923年(大正12年) ・1月16日 - 本館が完成。 ・4月1日 - 鹿児島県への移管により、「鹿児島県立出水高等女学校」に改称。 ・12月22日 - 講堂が完成。 ・1932年(昭和7年) ・2月11日 - 校旗と校歌(作詞・与謝野晶子、 作曲・山本直忠)を制定。 ・10月16日 - 創立10周年を記念し、図書館が完成。 ・1935年(昭和10年)12月18日 - 洗濯室が完成。 ・1943年(昭和18年)3月31日 - 定員を600名に増員。 ・1945年(昭和20年)3月31日 - 定員を800名に増員。 ・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。 ・高等女学校の生徒募集を停止。 ・新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。 ・併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ・高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。 ・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、高等女学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校第三部」が発足。 ・高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。 ・併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。 ・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。 ◇新制高等学校(男女共学) ・1948年(昭和23年) ・4月1日 - 学制改革により、出水市内の旧制中等教育学校3校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校」が発足。初代校長に遠藤力雄が就任。 ・旧・鹿児島県立出水実業学校および併設中学校を「第一部」とする。 ・旧・鹿児島県立出水中学校および併設中学校を「第二部」とし、本部が設置される。第二部長には旧・中学校校長の池城安伴が就任。 ・旧・鹿児島県立出水高等女学校および併設中学校を「第三部」とする。第三部長には旧・高等女学校校長の小田原文三郎が就任。 ・第一部・第二部・第三部ともに、旧制中等教育学校時代の校舎・生徒を継承していたため、この時点ではまだ男女共学ではなかった。 ・4月26日 - 開校式を挙行。 ・5月26日 - 父母と教師の会が発足。 ・1949年(昭和24年) ・3月31日 - 併設中学校を廃止。 ・4月1日 - 第一部が分離し、鹿児島県出水実業高等学校として独立。部制が廃止され、第二部と第三部が統合される。 ・6月13日 - 男女混成の学級を編成し、完全男女共学を実施。 統合完了までの間、旧・第二部および第三部の校舎を共用。 ・11月10日 - 統合に伴う増築工事の一環として北棟が完成。 ・1950年(昭和25年) ・4月1日 - 学区制により、出水・米ノ津・大川内・高尾野・野田・江内・川床・鷹巣・獅子島の各中学校区が出水高校の学区に指定される。 ・8月20日 - 南棟が完成。 ・11月12日 - 校歌を制定。 ・1951年(昭和26年) ・11月20日 - 中棟が完成。第二教場旧三部の生徒を第一教場旧二部に収容。 ・11月24日 - 旧・三部(高等女学校)校地の一切を出水町へ無償譲渡。 ・1952年(昭和27年)4月1日 - 商業科を設置。 ・1954年(昭和29年) ・4月28日 - 父母と教師の会総会において後援会が設立される。 ・10月 - プールが完成。 ・1956年(昭和31年)4月1日 - 「鹿児島県立出水高等学校」に改称(県の後に「立」が加えられる)。学区制が改定され、従来の学区に西長島村・阿久根市・高城西が加わる。 ・1962年(昭和37年)7月31日 - 1966年(昭和41年)5月30日までの間 - 鉄筋コンクリート造の新校舎(生徒館・本館)が完成。 ・1965年(昭和40年)4月1日 - 商業科を廃止。 ・1966年(昭和41年)7月13日 - 屋内運動場(体育館)が完成。 ・1967年(昭和42年) ・3月22日 - 寄宿舎が完成。 ・8月1日 - 生徒部室が完成。 ・1968年(昭和43年) ・3月1日 - 特別教室の改築が完成。 ・12月16日 - 武道場が完成。 ・1970年(昭和45年) ・3月9日 - 渡り廊下を設置。 ・10月9日 - 運勤場の整地を完了。 ・11月21日 - プールを新設。 ・1977年(昭和52年) ・1月25日 - 生徒通用門を設置。 ・3月30日 - 弓道場が完成。 ・1987年(昭和62年)3月10日 - 第2グラウンドを整備。 ・1990年(平成2年) ・3月30日 - 校門と通用門を新設。 ・9月1日 - 管理棟の大規模改造を完了。 ・1994年(平成6年)3月1日 - 校訓記念碑を建立。 ・1995年(平成7年)2月 - 推薦入試を実施。 ・1997年(平成9年)- 鹿児島県立川内高等学校とのスポーツ交歓会を初めて実施。 ・2011年(平成23年)4月 - 学区の改定により、北薩学区となる。 |
主な行事 |
・ 開校記念遠足
・ 出水・川内高校スポーツ交歓会 ・ 開校記念行事として、遠足とスポーツ交歓会のどちらかを実施。 ・ これまで、1997年(第1回、於: 川内総合運動公園)、1998年(第2回、於: 出水市運動公園)、2000年(第3回、於: 出水市運動公園)に実施されている。 ・ 県内の高校同士によるスポーツ交歓会としては、「甲鶴戦」(県立甲南高校と県立鶴丸高校、1971年 -)、「中玉戦」(県立鹿児島中央高校と鹿児島市立鹿児島玉龍高校、1991年 -)、「錦武戦」(県立錦江湾高校と県立武岡台高校、1991年 -)に次いで5例目。 ・ 文化祭 ・ 体育祭 ・ 芸術鑑賞会 ・ 修学旅行 ・ キャリアガイダンス講演会(卒業生による講演会) ・ 史蹟めぐり ・ 強走歩大会 |
著名な出身者 |
・ 出水憲 - 俳優
・ 井上吉夫 - 国会議員(参議院)、閣僚(国務大臣北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官、国務大臣国土庁長官)、地方議員 ・ 大石康 - 柔道家 ・ 尾崎末吉 - 国会議員(衆議院) ・ 桐野作人 - 歴史作家 ・ 小島義雄 - 陸上競技選手(砲丸投、ハンマー投) ・ 執印テル - 地方議員 ・ 外木場義郎 - 野球選手(元広島東洋カープエース) ・ 竹原信一 - 鹿児島県阿久根市長、地方議員 ・ 松岡真吾 - サッカー選手・指導者 ・ 先崎一 - 陸上自衛官(陸上幕僚長、統合幕僚会議議長・初代統合幕僚長) ・ 村岡隆明 - 宮崎県えびの市長、地方議員 ・ 森枝卓士 - 写真家、ジャーナリスト ・ 山下耕作 - 映画監督(東映)、緋牡丹博徒シリーズ(藤純子主演)など |
「鹿児島県立出水高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年11月9日19時(日本時間)現在での最新版を取得。