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※ メニュー先より、全国の高校・公立高校・私立高校の入試偏差値ランキング一覧が確認できます(全国区の難関校が上位に表示されます)。また、地図上のリンク先で都道府県ごとの高校、色分けされた左上のリンク先で地方限定による高校の偏差値ランキングを表示させる事ができます(地元の進学校や受験する高校の偏差値等が分かります)。

豊見城(普通)


偏差値36( 2つ星評価 )
5教科合計概算(250点満点)72.5点
※平均125点 標準偏差15として計算
偏差値順位全国 6915位/7791校( 学科単位 )
九州・沖縄地方 955位/1200校( 学科単位 )
沖縄県 26位/41校( 学科単位 )
公立/私立公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【沖縄県立豊見城高等学校】
沖縄県立豊見城高等学校(おきなわけんりつとみしろこうとうがっこう)は、沖縄県豊見城市にある県立高等学校。所在地の豊見城市の読みは「とみぐすく」だが、豊見城南高校と同様に校名の読みは「とみしろ」である。文化祭は「とみ高祭」という。
沿革 ・ 1965年6月24日 - 豊見城高等学校誘致期成会設立
・ 1965年9月25日 - 政府立豊見城高等学校設立を中央委員会で認可
・ 1966年2月1日 - 初代校長 砂川玄隆、教頭 新垣博 発令
・ 1966年2月22日 - 校章制定
・ 1966年4月11日 - 事務所を現在地に移転
・ 1966年4月 - 琉球政府立豊見城高等学校として開校。普通科、家政科を設置。
・ 1966年4月13日 - 開校式・第1回入学式(普通科540名、家政科108名)、PTA設立総会
・ 1966年7月20日 - 校旗贈呈並びに樹立式、後援会設立総会
・ 1966年8月10日 - 女生徒の制服を制定
・ 1967年2月4日 - グラウンド敷地決定、土地購入11,456坪
・ 1967年4月6日 - 第2回入学式(普通科520名、家政科104名)
・ 1967年10月1日 - 新垣博教頭首里高校へ、川崎幸明教頭赴任
・ 1967年11月8日 - 校門および堀工事完了
・ 1968年4月6日 - 第3回入学式(普通科500名、家政科100名)
・ 1968年7月18日 - 運動場完成記念式典挙行
・ 1968年9月16日 - 文部大臣旗争奪全国高校弁論大会において最優秀賞
・ 1968年10月6日 - 第1回 体育祭
・ 1969年2月22日 - 校歌制定・同発表会 豊見城祭
・ 1969年3月1日 - 第1回卒業式(卒業生602名)
・ 1969年4月7日 - 第4回入学式(普通科480名、家政科96名)
・ 1969年8月31日 - 砂川玄隆校長退職
・ 1969年10月1日 - 第2校長 西平秀毅発令
・ 1969年12月3日 - 図書館竣工
・ 1970年3月3日 - 第2回卒業式(卒業生590名)
・ 1970年4月7日 - 第5回入学式(普通科470名、家政科94名)
・ 1970年10月1日 - 川崎幸明教頭 久米島高等学校長へ、玉城仁得教頭赴任  第2回文化祭
・ 1971年3月2日 - 第3回卒業式(卒業生578名)
・ 1971年4月7日 - 第6回入学式(普通科450名、家政科90名)
・ 1971年10月16日 - 第2回 体育祭
・ 1972年3月2日 - 第4回卒業式(卒業生552名)
・ 1972年3月31日 - 西平秀毅校長退職
・ 1972年4月1日 - 第3代校長 玉城啓佐発令
・ 1972年4月7日 - 第7回入学式(普通科450名、家政科90名)
・ 1972年5月15日 - 沖縄返還により沖縄県立豊見城高等学校となる。
・ 1973年3月1日 - 第5回卒業式(卒業生549名)
・ 1973年3月29日 - 第20回沖縄県高等学校春季野球大会で優勝
・ 1973年3月31日 - 玉城啓佐校長 県教育庁へ転出
・ 1973年4月1日 - 第4代校長 福地蔡勇氏発令
・ 1973年4月9日 - 第8回入学式(普通科450名、家政科90名)
・ 1974年3月1日 - 第6回卒業式(卒業生494名)
・ 1974年4月8日 - 第9回入学式(普通科450名、家政科60名)
・ 1974年7月22日 - インターハイ弓道優勝 全国制覇
・ 1974年10月10日 - 第3回 体育祭
・ 1975年3月1日 - 第7回卒業式(普通科410名、家政科74名、計484名)
・ 1975年3月 - 甲子園出場。(1回戦:習志野3-0、2回戦:日大山形4-2、準々決勝:東海大相模1-2)
・ 1975年4月1日 - 校長 福地蔡勇氏退職、教頭 玉城仁得氏 北山高校へ転出 校長 玉城深二郎、教頭 新城久雄発令  第47回全国高校選抜野球大会 対東海大相模 準々決勝
・ 1975年4月7日 - 第10回入学式(普通科450名、家政科90名、計540名)
・ 1975年5月20日 - PTA総会並びに創立10周年記念体育館建設期成会設立
・ 1975年7月14日 - 体育館起工式
・ 1975年7月25日~30日 - 吹奏楽部ハワイ親善演奏会
・ 1975年9月7日 - 第2回夏季高校野球大会で優勝
・ 1975年10月7日 - 全国保健体育科優良校受賞
・ 1975年10月12日 - 県高体連より弓道男子(団体)優秀賞を受ける
・ 1975年11月2日 - 第25回高校新人野球大会で優勝し県代表となる
・ 1975年11月15日 - 第57回九州高校野球大会で準優勝
・ 1976年3月1日 - 第8回卒業式(卒業生511名)
・ 1976年3月 - 甲子園出場。(1回戦:土佐3-4)
・ 1976年4月1日 - 教頭 新城久雄転出、教頭 上原計雄発令
・ 1976年4月5日 - 体育館竣工
・ 1976年4月7日 - 第11回入学式
・ 1976年5月2日 - 第58回九州高校野球大会2回戦へ進出
・ 1976年5月30日 - 体育館開き・落成記念式典・PTA後援会総会
・ 1976年8月19日 - 第58回甲子園出場。(2回戦:鹿児島実3-0、3回戦:小山2-1、準々決勝:星稜0-1)
・ 1976年11月23日 - 第59回九州高校野球大会2回戦へ進出(対熊工高戦)
・ 1977年1月2日 - 国立出場。(1回戦:日大山形2-0、2回戦:川島1-5)
・ 1977年1月29日 - 野球部後援会結成・総会
・ 1977年3月1日 - 第9回卒業式(卒業生491名)
・ 1977年3月 - 甲子園出場。(1回戦:酒田東10-0、2回戦:箕島0-10)
・ 1977年4月7日 - 第12回入学式
・ 1977年8月 - 甲子園出場。(2回戦:水島工9-2、3回戦:広島商1-0、準々決勝:東洋大姫路3-8)
・ 1978年3月 - 甲子園出場。(1回戦:桐生1-3)
・ 1978年8月 - 甲子園出場。(2回戦:我孫子3-2、3回戦:東筑4-1、準々決勝:岡山東商5-6)
・ 1996年3月 - 家政科を廃止。
・ 2010年5月 - 管理・普通教室棟(通称A棟)建て替えの為解体。
著名な卒業生 ・ 赤嶺賢勇 - 元プロ野球選手 (巨人)
・ 石嶺和彦 - 元プロ野球選手 (阪急、オリックス~阪神)
・ 當間盛夫 - 沖縄県議会議員
・ 金城茉奈 - ファッションモデル
・ 宜保晴毅 - 元豊見城市長
・ 山城智二 - お笑い芸人(有限会社FECオフィス社長)
・ 山田マドカ - 那覇市議会議員
交通 ■ バス路線

 那覇バス  6番(那覇おもろまち線)
45番 (与根線)    豊見城高校前
 琉球バス交通  105番 (豊見城市内一周線)

「沖縄県立豊見城高等学校」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年12月21日23時(日本時間)現在での最新版を取得。

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