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米沢興譲館(普通)
偏差値 | 60( 4つ星評価 ) |
5教科合計概算(250点満点) | 162.5点 ※平均125点 標準偏差15として計算 |
偏差値順位 | 全国 798位/7791校( 学科単位 ) 東北地方 45位/759校( 学科単位 ) 山形県 7位/104校( 学科単位 ) |
公立/私立 | 公立 |
男女 | 共学 |
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
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【山形県立米沢興譲館高等学校】 | |
山形県立米沢興譲館高等学校(やまがたけんりつ よねざわこうじょうかんこうとうがっこうは、山形県米沢市大字笹野に所在する公立高等学校。公立の高等学校としては日本最古である。 | |
概要 |
◇歴史
: 1886年(明治19年)創立の「私立米沢中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名となったのは1956年(昭和31年)。2011年(平成23年)に創立125周年を迎えた。
: なお1776年(安永5年)創立の藩校「興譲館」の流れを継承しているとされ、高校の創立年数とは別に創立年数が設定されており、節目に創立記念式典が行われている。2011年(平成23年)に創立235周年を迎えた。創基となる最初の学問所は1618年(元和4年)に開設されており、この時から数えて2024年で創立406年を数える。
◇校名の由来 : 「興譲館」という校名は、「大学」の一節「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」から採られた。興譲とは、譲を興す(おこす)と読み、「恭遜(きょうそん)の道を繁昌(はんじょう)さすること也」(細井平洲、建学大意)。 ◇設置課程・学科 : 全日制課程 2学科 : ・普通科 : ・探究科(国際探究科・理数探究科) ::2006年度(平成18年度)から、科ごとの募集を取り止め、一括募集としている。生徒は2年次から普通科・理数科を選択する。上記の変化に合わせ、同じく2006年度入試からは定員が240人から200人に削減、1クラス減となった。 ::また、2019年度(平成31年度)から、科ごとの募集を再開し、一年次から、探究科・普通科に分かれる。2年次から探究科は理数探究科・国際探究科を選択する。定員は今まで通りの200人である。 ◇校歌 : 現校歌は創立70周年を記念して、現校名に改称した1956年(昭和31年)に制定された。作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「興譲」が登場する。 ◇同窓会 : 「米沢興譲館同窓会」と称している。 |
沿革 |
内の日付は旧暦を表す。
・ 1618年(元和4年7月) - 上杉景勝家老直江兼続が禅林寺(現・法泉寺と文殊堂)に藩の学問所「禅林文庫」を創設。 藩校 ・ 1697年(元禄10年) ・ (6月15日) - 米沢藩第4代藩主上杉綱憲が「学問所」を建立。 ・ (11月29日) - 元細工町(現・中央)の儒医職矢尾板三印に命じ、その邸内の聖堂を改造して『感麟殿』と命名。そばに学問所を建設し、孔子像の遷座式を挙行。 ・ 綱憲の没後、藩財政の逼迫と共に衰微。 ・ 1724年(享保9年) - 聖堂の祭祀、孔子を祀る釈奠が中止となる。 ・ 1771年(明和8年5月2日) - 第9代藩主上杉治憲(鷹山)が「学問所」を再興し、招聘した細井平洲(紀徳民)を馬場御殿の松桜館に迎え学生に講授(以後10か月間)。 ・ 1776年(安永5年) ・ (5月19日) - 学館が完成し、細井平洲により藩校「興譲館」と命名される。 ・ (9月12日) - 細井平洲が再び米沢に入り、学則(先生施教弟子是則……)を揮毫。 ・ (9月19日) - 細井平洲により学館で初めて書経が講じられる(授業を開始)。また釈奠が再興される。 ・ 1785年(天明5年) - 聖堂の扁額を『先聖殿』に改称。 ・ 1793年(寛政5年11月14日) - 屋代町(現・丸の内)御国産所内に医学堂「好生堂」が設立される。薬草園と共に医学書やオランダ製の外科器械類を整備。 ・ 1796年(寛政8年) ・ (9月6日) - 細井平洲が三たび米沢入り、上杉鷹山が関根の普門院まで出迎える。 ・ (12月14日) - 通学生のために友于堂を建築。 ・ 1799年(寛政11年) - 服部正相(豊山)が学科試験を開始。 ・ 1807年(文化4年)3月 - 好生堂を興譲館構内に移転。上杉治憲は藩医を杉田玄白らの元に派遣し蘭学・医学を学ばせる。 ・ 1864年(元治元年) ・ (4月15日) - 西割出町(現・金池)から出火し、興譲館が類焼。 ・ (11月6日) - 門東町講武所内に興譲館を再建。 ・ 1867年(慶応3年12月29日) - 徳川慶喜からの大坂(阪)出陣の要請を受け、上杉斉憲は各頭・諸役員・興譲館諸生から意見を聴取。 ・ 1869年(明治2年1月) - 兵士の屯所や仮病院に充てられていた学館の修復が完了し、興譲館の授業を再開。 ・ 1871年(明治4年) ・ (1月24日) - 興譲館好生堂内に洋学舎を創設し、慶應義塾出身の木村道之助ら3名を招聘し英語を教授。 ・ (7月) - 廃藩置県により、米沢藩が廃止され、米沢県となる。これに伴い、藩学から県学となる。 ・ (9月) - 米沢県、学校革新大旨を布達。興譲館は「四民一途人材教育の制度」を立て、皇学・洋学・医学・筆学・数学の5科を設置。 ・ (11月2日) - 第1次府県統合により米沢県が廃止され、置賜県が発足。 ・ 1872年(明治5年10月17日) - 文部省布達(「従前の諸学校の儀一旦悉く可相廃止候」)により、県学としての興譲館は廃止される。学館は縮小して継続。 旧制中学校 ・ 1874年(明治7年)- 興譲館を旧・米沢藩士協立の「私立米沢中学校」と改称。上杉家寄贈資金の利子と授業料で経営。洋学科を外国語学校と改称。 ・ 1881年(明治14年)12月 - 屋代町上ノ丁(現・門東町)の元置賜県庁舎に移転。ともに外国語学校も屋代町に移転し統合。 ・ 修業年限を4年とする。以後徴兵猶予の恩典と上級学校進学の資格が得られない状況が1893年(明治26年)まで続く。 ・ 1886年(明治19年)9月19日 - 中学校令(勅令15号)の施行により、変則中学校から正則中学校となる。これにより、1886年を創立年、9月19日を創立記念日とする。 ・ 修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。 ・ 北堀端片町(現・丸の内)に新校舎が完成し移転を完了。 ・ 学校管理者(初代校長)に士族会会長の池田成章が就任。 ・ 1893年(明治26年)5月25日 - 県費補助を受けるため、山形県知事に移管の上、「米沢尋常中学校」に改称。県立同等の資格に認定される。 ・ 1895年(明治28年)5月2日 - 「米沢尋常中学校興譲館」と改称。 ・ 1900年(明治33年)4月1日 - 山形県に移管され、「山形県米沢中学校」と改称。 校友会(生徒会)として「興譲会」が発足。 ・ 1901年(明治34年) ・ 4月1日 - 「山形県立米沢中学校」と改称。 ・ 9月19日 - 校舎を関東町(現・西大通)に新築移転。 ・ 1904年(明治37年)9月 - 戦時(日露戦争)記念林創設。舘山に植林事業を開始。 ・ 1909年(明治42年) ・ 6月13日 - 5年生43名が仙台方面修学旅行の帰途、赤岩駅付近で列車転覆事故に遭遇し7名負傷。この時、生徒が負傷者救護に従事。 ・ 後日 - 負傷者救護の件で逓信大臣が来校の上、謝意を表明。 ・ 1925年(大正14年)4月24日 - 軍事教練のため軍事教官(将校)が配属される。 ・ 1926年(大正15年)5月1日 - 私立米沢中学校夜学校を併設。 ・ 1927年(昭和2年)6月14日 - 校歌を制定。作詞は五十嵐力、作曲は弘田龍太郎による。 ・ 1928年(昭和3年)- 後援会が発足。 ・ 1929年(昭和4年)1月29日 -「山形県立米沢興譲館中学校」と改称。 ・ 1936年(昭和11年) ・ 1月18日 - 積雪の重みにより講堂が倒壊。負傷者なし。 ・ 9月18日 - 新講堂が完成。 ・ 1938年(昭和13年)6月9日 - 勤労奉仕活動が開始。翌1939年度以降、全生徒が近郊農村や報国農場(鬼面川河畔)への勤労奉仕に出動。 ・ 1940年(昭和15年)4月1日 - 併設の夜学校が山形県に移管され、山形県立米沢夜間中学校となる。 ・ 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。併設の夜間中学校を統合し、夜間課程とする。 ・ 1944年(昭和19年)9月 - 学徒動員で4・5年生が群馬県太田町の中島飛行機製作所へ出動。 ・ 1945年(昭和20年) ・ 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。 ・ 本来、中等学校令の施行された1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年が施行される予定であったが、戦況の悪化により、中等学校令の施行される前(1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年))に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることとなった。この時、1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式が行われた。 ・ 4月 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。 ・ 8月 - 終戦。 ・ 9月 - 授業を再開。 ・ 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。 ・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。 ・ 旧制中学校の募集を停止。 ・ 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ・ 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ・ 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。 新制高等学校 ・ 1948年(昭和23年) ・ 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山形県立米沢第一高等学校」(男子校)が発足。 ・ 通常制普通課程(修業年限3年)と定時制普通課程(修業年限4年)を設置。 ・ 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。 ・ 併設中学校を継承(名称:山形県立米沢第一高等学校併設中学校)し、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。 ・ 後援会が改組され、教育振興会が設立される。 ・ 5月 - 興譲会を「自治会」に改称。 ・ 1949年(昭和24年) ・ 2月 - 自治会歌を制定。作詞は星篤志、作曲は滝沢美恵子による。 ・ 3月31日 - 併設中学校を廃止。 ・ この年 - 米沢興譲館同窓会が復活。 ・ 1950年(昭和25年) ・ 4月1日 - 高校三原則に基づき、県内の公立高等学校の再編が行われる。 ・ 山形県立米沢第四高等学校(女子校)と統合され、 総合制の「山形県立米沢高等学校」が発足。男女共学を開始。 ・ 旧第一高等学校(旧制中学校)校舎を「西校舎」、旧第四高等学校(高等女学校)校舎を「東校舎」として使用を継続。 ・ 5月25日 - 全校吾妻登山を開始。 ・ 9月19日 - 高湯マラソン(本校 - 高橋間約16km、白布温泉1泊)を開始。 ・ 10月1日 - 校章(帽章・襟章)を制定。 ・ 1952年(昭和27年) ・ 3月31日 - 定時制三沢東部分校を廃止。 ・ 4月1日 - 統合が解消され、西校舎は「山形県立米沢西高等学校」となる。 東校舎は山形県立米沢東高等学校として分離独立。 ・ 1956年(昭和31年) ・ 3月15日 - 雑誌『興譲』第1号を発行。 ・ 4月1日 - 「山形県立米沢興譲館高等学校」(現校名)と改称。 ・ 9月19日 - 創立70周年を記念して新たに校旗と校歌を制定。校歌の作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。 ・ 1957年(昭和32年)9月19日 - 体育後援会が発足。 ・ 1961年(昭和36年)3月31日 - 定時制広井郷分校を廃止。 ・ 1963年(昭和38年) ・ 3月31日 - 定時制窪田分校を廃止。 ・ 4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科、定時制普通課程を定時制課程普通科に改称。 ・ 1964年(昭和39年)6月16日 - 新潟地震が発生。 ・ 1966年(昭和41年) ・ 8月 - 我妻栄寄付の奨学基金を基に、財団法人自頼奨学財団を設立。 ・ 9月19日 - 全日制と定時制の同窓会を統合。 ・ 1967年(昭和42年) ・ 8月29日 - 羽越水害が発生。 ・ 10月 - 全校生徒で羽越水害の被災地小松地区の稲刈り勤労奉仕に出動。 ・ 1968年(昭和43年)4月1日 - 全日制課程に理数科(1学級)を設置。 ・ 1981年(昭和56年)3月31日 - 定時制課程を廃止。 ・ 1986年(昭和61年) ・ 8月31日 - 現在地に体育館と柔剣道場が完成。 ・ 9月19日 - 創立100周年(藩校興譲館創立210年)記念式典を挙行。 ・ 1987年(昭和62年) ・ 7月31日 - 現在地に新校舎が全面完成。 ・ 10月20日 - 新校舎に移転を完了。 ・ 1988年(昭和63年) ・ 3月31日 - セミナーハウスが完成。 ・ 11月8日 - 弓道場、テニスコートが完成。 ・ 1989年(平成元年) ・ 6月30日 - 部室棟2棟が完成。 ・ 12月15日 - 駐輪場2棟が完成。 ・ 1991年(平成3年)4月 - 体育後援会を「体育文化後援会」と改称 ・ 1996年(平成8年)1月15日 - 北通り-新大橋線(学園ロード)が開通。 ・ 1997年(平成9年)9月10日 - 思索の森を造成。 ・ 2008年(平成19年)8月 - 新部室棟が完成。 ・ 2000年(平成12年) ・ 3月 - 東屋(あずまや)の建設と樹木45本の植栽により思索の森の整備が完了。 ・ 7月 - 上杉鷹山生誕250年を契機に宮崎県立高鍋高等学校を親善訪問。以後、隔年で相互訪問交流。 ・ 9月 - 藩学創設300年記念講堂が完成。 ・ 2002年(平成14年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2004年度(平成16年度)末まで)。 ・ 研究開発課題:「生涯にわたって科学的に思考し、創意工夫する力を育むための教育課程及び教育方法の研究開発」 ・ 2008年(平成20年)4月1日 - 普通科と理数科のくくり募集を開始。 ・ 2011年(平成23年) ・ 3月11日 - 東日本大震災の発生により、米沢市は震度5強で校舎に軽微な被害を受ける。3月28日まで生徒登校停止。 ・ 9月1日 - 財団法人自頼奨学財団を公益財団法人自頼奨学財団として登記。 ・ 2012年(平成24年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2016年度(平成28年度)末まで)。 ・ 研究開発課題:「科学好きの裾野を広げ、科学技術系人材を育て、わが国の将来を担うサイエンス イノベーターの育成を目指す教育プログラムの研究開発。 ・ 2019年(平成31年) ・ 探究科の設置。 |
特色 | ・ いわゆる生徒会にあたる、自治会という組織が活動を行っている。オープンスクールなどさまざまな行事が生徒主導で進められている。 |
学校施設 |
・ セミナーハウスと呼ばれる宿泊施設があり、部活の合宿などに利用されている。
・ 2000年に藩学創設300年を記念した講堂が建てられた。合唱祭やコンサート、講演会の際に使用される。 |
部活動 |
運動部
・ 野球 ・ ソフトテニス(男・女) ・ フェンシング ・ 弓道 ・ 陸上競技 ・ 柔道 ・ 剣道 ・ ホッケー ・ バレーボール ・ バドミントン ・ バスケットボール ・ サッカー ・ 山岳 ・ スキー ・ 卓球 ・ 水泳 文化部 ・ CSSC(コアスーパーサイエンスクラブ) ・ 調理科学 ・ 美術 ・ 音楽 ・ 吹奏楽研究クラブ ・ 新聞・文芸 ・ ESS |
交通 |
・ JR東日本
・ 山形新幹線・奥羽本線(山形線)「米沢駅」より山交バス白布温泉行で「興譲館高校口」下車。 ・ 米坂線「南米沢駅」より徒歩で約20分。 |
著名な出身者 |
卒業生
・ 青木薫(翻訳家) ・ 秋山武三郎(電気通信技術の専門家) ・ 安部三十郎(米沢市長) ・ 池田成彬(大蔵大臣・日本銀行総裁・三井合名筆頭株主常務理事) ・ 宇佐美勝夫(東京府知事・内務官僚) ・ 遠藤武彦(衆議院議員・第45代農林水産大臣) ・ 大熊信行(経済学者・評論家・歌人) ・ 大滝則忠(第15代国立国会図書館長) ・ 大塚勝夫(経済学者・早稲田大学教授) ・ 岡部史(翻訳家、児童文学作家) ・ 星岳雄(経済学者・スタンフォード大学教授) ・ 金子善次郎(衆議院議員・自治省大臣官房審議官) ・ 河上清(社会主義者・在米ジャーナリスト) ・ 雲井龍雄(幕末・明治維新の志士) ・ 小関悠一郎(歴史学者・千葉大学准教授) ・ 近藤鉄雄(元労働大臣) ・ 高橋里美(哲学者) ・ 浜田廣介(童話作家) ・ 原田めぐみ(フェンシング選手) ・ 堀江守弘(スキーオリエンテーリング選手) ・ 針重敬喜(編集者) ・ 平田東助(内務大臣・農商務大臣) ・ 舩山信一(哲学者、立命館大学名誉教授) ・ 星秀一(伊藤忠食品社長) ・ 堀内素堂(江戸時代の医学者) ・ 眞島秀和(俳優) ・ ますむらひろし(漫画家) ・ 松野良寅(日本英学史学会会長) ・ 皆川睦雄(元プロ野球選手) ・ ラズウェル細木(漫画家) ・ 我妻栄(民法学者・東京帝国大学教授) ・ 山下源太郎(海軍大将) ・ 黒井悌次郎(海軍大将) ・ 南雲忠一(海軍大将) ・ 上泉徳弥(海軍中将) ・ 千坂智次郎(海軍中将) ・ 今村信次郎(海軍中将) ・ 片桐英吉(海軍中将) ・ 下村正助(海軍中将) ・ 小林仁(海軍中将) ・ 近野信雄(海軍少将) ・ 山田勇助(海軍少将) ・ 山下知彦(海軍大佐) ・ 下村忠助(海軍中佐) ・ 工藤俊作(海軍中佐) ・ 和田久馬(海軍少佐) ・ 金藤晃一(カウンセラー) ・ 佐藤源治(民俗学者、鶴岡市名誉市民) ・ 渡部謙一(指揮者) ・ 湯野川孝夫(自動車技術者、実業家) ・ 樋口公一(実業家) ・ 長谷川憲治(銀行家) ・ 西野忠次郎(医学者、慶應義塾大学名誉教授) ・ 佐藤寛次(農学者、農業経済学者、東京農業大学第3代学長) ・ 江辺清夫(内務・警察官僚) ・ 大沼保吉(造り酒屋経営者) ・ 上泉秀信(劇作家、新聞記者) ・ 北沢敬二郎(実業家) ・ 桐生正幸(心理学者) ・ 佐藤三郎(歴史学者、山形大学名誉教授) ・ 佐野利器(建築家、構造建築学者) ・ 田村哲(気象学者、海洋学者) ・ 平貞蔵(思想家) ・ 高橋勝兵衛(政治家) ・ 椿貞雄(洋画家) ・ 寺沢寛一(理論物理学者、数学者) ・ 土佐林義雄(アイヌ民族研究者) ・ 戸田虎雄(政治家) ・ 長晴登(政治家) ・ 南浩史(実業家、建設官僚) ・ 志田晃一(医学物理学者) ・ 瀬下秀夫(政治家) |
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